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通級指導

今年から、長男が通級指導に通うことになった。
通級とは、特別な授業を受けに、学校の授業時間内に近隣の学校に行くことだ。

昨日は初めての通級。
息子は最初は緊張していたようだったが、先生方の温かい声がけにすぐに打ち解けて楽しそうに活動していた。


うちの息子は、ギフテッドではないけれど、かなり言語理解が高く、その他は平均並という超突出型の発達凹凸。
周りから「ギフテッドなんじゃないか」と言われて発達支援センターに行ったけれど、平均値130は超えてなかったのでギフテッドではなかった。
いや、結局、ギフテッドとか凹凸とか、言葉を柔らかくしてるだけで、とどのつまりは発達障害なのです。


発達障害。
定型発達ではない。
特性がある。

別にいいじゃん、そんなの。
と、今息子がこうなったから思うけど、ここ日本という国では「みんなと同じ」が好まれ、「はみ出ないように」生きていくのが上手な生き方なのだ。
私もそうやって生きてきた。
特に私は無難に無難に枠の中で生きてきたので、息子への理解が難しい。

そして、自分の子どもがこうなってみて思う。
学校というところは、やっぱりがっちりとした枠がある。
先生方はすごく良くしてくれる。
だけど、その枠の中で働く人で、それ以上でもそれ以下でもない。

そもそも、うちの息子は「学年制」が合わない。
それはプレ幼稚園の時からずっと感じていた。
だから縦割りの幼稚園を探したけれど、条件が合わず諦めた。
学年制の幼稚園は、やっぱりちょっと苦しそうだった。
そして今小学生になって、やっぱり苦しい。


外国のように、飛び級とかあればいいのにな。
小学生くらいの年齢の子が通える専門学校みたいなことところがあったらいいのにな。

そんなことも思うけど、地方都市暮らしで経済的にも普通、外国に住むという選択肢も、関東関西圏の都市部に住むという選択肢も持てない我が家は、置かれたところでなんとかやっていくしかないのだ。

私は元教師だけれど、学校という場所に今は疑問を持ちながら生きている。

発達障害というのは、年齢が上がってくるとその特性が目立つようになってくる、と、私は思う。
だけど、学校に通っていれば、入学したての頃は「まだ幼いから。個性だよ。発達が追いつけば大丈夫。」そんなふうに見てもらえるものがだんだんそうではなくなり、「普通に、みんなと同じに、一般的に、常識として」が求められるようになる。
そしてそれは次第に「暗黙の了解」として、空気を読むことを求められるようになる。

自分の子どもが特性ありだとわかっていても、学校に通わせていれば「普通」にあてはめたくなるのは私だけではないだろう。
そしてそこからはみ出ていることに悩むのだ。


そんな私たちにとって、通級は「息抜き」だ。
まだどんな感じになるのかわからないところだらけだけど、とにかく、大人とマンツーマンである程度自由な活動(ソーシャルスキルトレーニングというらしい)をさせてもらえるという環境だけでもありがたい。


昨日の息子は生き生きしていた。
「毎日でも行きたい!」そうだ。
ちょっとホッとした。


あとは、私が悩みを話せてアドバイスをもらえる場がほしいな。

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