2泊3日のキャンベラスマブラ記
オーストラリアでのワーホリ生活中に、シドニー、メルボルン、ブリスベンとワーホリ生活中に主要都市はある程度回ってきた僕だが、先日訪れたことのなかったキャンベラに3日ほど滞在させていただいた。ACT(オーストラリア首都特別地域)に存在する、この国の首都である。オーストラリアの首都、と言われると一番人口の多いシドニーを想像する人も時折いるかもしれないが、実際の首都はシドニーではなくキャンベラなのだ。クイズ番組でも時折引っ掛け問題として出されることもあったりする。
最も栄えている街でもないのにこのキャンベラという都市が首都になったのには理由がある。20世紀初頭、オーストラリアの首都を設立する際に、国の二大都市であるシドニーとメルボルン間でどちらを首都にするか揉めたそうだ。そこで妥協案として、「じゃあその間らへんに位置するキャンベラを首都にしようぜ」となったという話がある。これは果たして妥協と呼べるのか甚だ疑問ではある。今でこそ国の中枢や大学、若干の観光地などがあるものの、当時はほぼ何もないようなところだったらしい。
現在キャンベラの人口の多さは国内第8位。正直パッとしないし、今でもさほど賑わっているとはいえない都市だ。故に、観光のみでキャンベラに行く人というのは稀である。仕事や勉強など、何かしら他の目的が必ずといっていいほどついて回る。
ではなぜ僕はそんなキャンベラに行くことにしたのか。
きなじ君がいるからである。
僕がスマブラのガチ対戦をやっているのは度々このnoteでも述べてきたが、このきなじ君もオーストラリアに在住している数少ない日本人のスマブラプレイヤーである。その圧倒的腕前から現地のゲーミングチームとスポンサー契約中。3月にオセアニア地区で繰り広げられたオンライン大会では、数々の強豪選手を破り見事優勝。
そんな彼、現在、齢13歳。
そう、まだ中学生であるにも関わらずプロのゲーマーとして豪州で活躍しているのである。
これまでの人生で僕は数多くの才能溢れる人に出会ってきたが、その中でも「天才」という言葉が最も似合う人物と言ってよいだろう。
このきなじ君は大きな大会が開かれた際に数回ブリスベンまで訪れてくれたこともあり、毎回スマブラのご指導も含め仲良くさせていただいていた。そこで、「機会があれば今度はこっちがキャンベラに行ってみるかぁ」と長い間考えてはいたのだが、色々忙しい日々が続いたりCOVIDの影響もあったりでなかなかタイミングが掴めず。5月に入り情勢も落ち着いてきたのに加え、時間にも余裕が生まれたためようやっと赴くことができたというわけだ。
朝早くに起きて、8時の飛行機でシドニーまで向かう。直通便もあるにはあるのだが、一度シドニーに降りてからバスで行く方が遥かに安上がりのためそのルートを活用した。シドニーキャンベラ間の道中はひたすらに何もない。大陸が広い、そして歴史がそれほど長くない国であるが故に未開拓な部分はいくらでもあるわけである。道路の脇に見えるのはひたすらに広大な草原と飼育されているであろう牛や羊といった動物たちだけだった。
3時間半ほどして到着したのがこちらのバス亭。
適当にポンと建てられた首都ではあるものの、さすがは「首都」といったところか、中心部はそれなりに都会らしさというか活気があった。
僕の場合軽い旅行の際にはバックパッカーなどを予約するのが常だが、キャンベラには旅人専用の安宿がほとんどないため今回はきなじ君宅へ2泊3日させていただいた。本来泊まろうと思えばなかなかの負担になるところだから大変に感謝である。バス停近くに車でやってきたきなじ君のお母様に迎えられて、家まで向かう。
やってきたのは、閑静な住宅街だ。
アパートの扉を開けると大型テレビ、最新型浄水器、ピアノと明らかに品の良い家族が暮らす環境が揃っていた。12月の大会で会って以来、おおよそ4ヵ月ぶりのきなじ君との再会である。今回で会うのが確か3回目なのだが、SNSでも頻繁にやり取りをしたりしているので感覚的には10回以上は会ってるような気がする。
お母様によるおいしいご飯を食べさせていただいた後は、早速対戦である。
スマブラはオンラインモードで離れた人とも対戦が可能だが、どうあがいてもラグが発生するため快適とはいえない。そこできなじ君は頻繁に人を呼んで対戦をしているそうだ。今回もオーストラリアの二人のプレイヤーに来てもらった。それなりに真剣ではあるものの、ワチャワチャ感もあるフリー対戦のこの温度は個人的にもとても好きである。対戦の様子はよくストリーム配信も行っており、今回も言わずもがな。1on1だけでなく、翌日行われるダブルスの練習もさせてもらった。
日付をまたいで土曜日。毎月第二土曜日にはマンスリーの大会が開かれているため、その日はそれに参加。
きなじ君と組んで出場したダブルスは、見事優勝。足を引っ張って多少危ない部分はあったものの、終盤では我ながら上手く連携を取ることができていたように思える。4人対戦のためごちゃついてはいるものの、久々のダブルスは非常に楽しかった。また機会があればどこかでやりたいものである。
一方シングルスはというものの、2勝2敗での3回戦負け・・・
結果にあまり満足できなかったというのも勿論だが、それ以上に絶対にやってはいけない負け方をしてしまった。
キャラ変更をしてしまったのである。
敗者側トーナメント3回戦。1セット目は先取することができたものの、2セット目で相手がキャラクターを変更し、そのセットは取られてしまった。セットカウント1対1の5分のシチュエーション。2セット目の内容はそこまで悪くなかったにも関わらず、僕は相性を意識してキャラクターをスネークからウルフへ変更、したのだが、最近そこまで練習をしていないキャラクターだったため上手く扱うことができず、惨敗してしまった。
この間違ったキャラ変更も、結局は自信のなさから生まれる選択だ。相性が良かろうと練度が低ければ機能しない。ひたすらスネークを練習しているのなら、全てスネークで捌くという覚悟が大切なのだろう。多少不利と言われるキャラはあれど、こいつにはどんな相性でもいけるポテンシャルがある。もう二度とこういった選択ミスはしない。いい教訓にはなったと思う。
ちなみにその日の大会のリザルトはこちらから。オーストラリアの大会関連の結果や勝率などの情報は全てこのサイトに掲載されている。非常に便利だ。
そして、最終日。せっかくキャンベラに来たので少し観光しようと思いやってきたのは、戦争記念館である。
過去には歴史にはそれほど興味はなかったのだが、2年以上海外で過ごしてきて、歴史を知ることは国際理解をするためにとても大切なことの一つだと最近になってしみじみ感じるようになった。特に戦争は痛ましい事件ではあるものの、現在の世界情勢を構成する基盤といえるもののように思える。そこで国会議事堂、美術館といったメジャースポットをすっとばしてこちらを訪れることにしたのだ。
資料を見ていく中で、多くの考えが頭をよぎった。それは「こんな惨劇を起こしてはいけない」という綺麗事だけでは到底片付けることはできない。どうして同じ種族にいかにして致命傷を与えるか、というコンセプトを基に科学技術を駆使するのか。ガスマスクはどうしてこんなにおぞましい形をしているのか・・・深堀りすればキリがないが、しすぎない方がいい部分ももしかしたらあるのかもしれない。
戦争に敗れた日本側の立場だけでなく、連合国側という別のベクトルから戦争を見ることができたのは本当に良かったと思っている。神風特攻隊の話や原爆については痛ましいことだったといった記述がされていたが、日本も加害者だったことを忘れてはいけないと感じた。特に日本が連合国側に対抗するために、オーストラリアにも攻撃を行っていたということは恥ずかしながら知らなかった。自分にはもっともっと知るべき史実があるのだろう。
家に戻り、お昼からはキャンベラのランカー、及びきなじ君とプレイをして終了。
ん???
俺、スマブラ上手くなってね??
何時間にもわたる鍛錬、そして自分よりレベルの高いプレイヤーと対戦しているからか、動画を見返すと普段の自分ではできないような動きをしていたのである。これまでにも多くのスマブラにおけるブレイクスルーがあったが、ここまで顕著に感じたのはこれが初めてだった。俺は、強くなった。そしてもっと強くなる。
シドニー行き最終のバスの時間が迫ったところで解散。3日間、非常に有意義な時間を過ごすことができた。
とまあまとめるとほとんどスマブラの話になってしまったのだが、スマブラがなければこの地に訪れることもなかったと考えると、このゲームは僕にとって本当にかけがえのないものとなっている。「たかがゲーム」なんて言えない次元に来ている。
またきなじ君宅では宿を提供していただいただけでなく、ご飯も三食食べさせていただくなど数多くのおもてなしを受けた。特にお母様の手料理は絶品であった。家庭でいただく飯を写真で撮るのは憚られたので収めてはいないが、タコライス、サンドイッチ、カレーなど普段冷凍食品や低クオリティの自炊飯に依存している僕にとっては、まさに天の恵み。「俺ももっと自炊頑張らんとな」というモチベーションにもなった。機会があれば何かしらの形でお礼がしたいものである。
おわりに
7月にはメルボルンでBAMと呼ばれるかなり大規模な大会が行われる予定で、次にスマブラ関係で遠出をするのはその時になるだろう。徐々に平日大会の結果も良くなってきており、周りからも「上達したね!」なんて言われることも多くなったが、大型大会で納得いく結果は今のところ出ていない。今回こそはせめて、予選突破。上の動画でできていたレベルのプレイが毎回安定してできるようになれば、いける。