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668/1096 神さまはセルフサービス

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で668日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

668日目、昨日は母を連れてヴェネツィアから車で1時間半ほどの湖まで行ってほとりを歩いてきたのだが、湖を見たことよりも車中が楽しかった。わたしは誰かの運転する車に乗って、外を見ているのが好きだ。

週末は家族間の問題が噴出して大変だった。母は外に出たがるが、もう老いた身体がついてこない。ちょっと歩くとすぐに疲れてしまうし、周囲に対して注意を向けることができず、会話も誤解やスルーや忘れが頻繁になりすぎて、まともに通じない。

そのため、まるで小さい子供といるときと同じように、こちらがずっと神経を張っていなくてはならない。スーパーに居ても、通路の真ん中に立ったままで考え事をしているため、端にどいてあげないと他の人が通れないよと伝えると、急に思いついたかのように疲れたから車に戻ると言っていなくなってしまった。夫が探してくれたけれども、買い物は満足にできなかった。そして娘は、家族といるより友達と居たくて、友達と会えない日は機嫌が悪い。

人生は思い通りにならない日がたくさんある。
だから、すでに今日までの667日間ブログを続けられたのは奇跡だと思う。わたしが怪我をしたかも知れない、わたしが事故に遭ったかも知れない、わたしが入院したかも知れない、空港のWi-Fiを拾えなかったかも知れないのに、まだ続いている。

当たり前なんてどこにもないのだと思う。今の日々を、あとになったら羨むときもあることだろう。娘が育ち、母が天に帰ればきっとそう思うだろう。
自分が天に帰れば、今のすべてを最高だと思うことだろう。だから、悪い日だって奇跡なのだとつくづく思う。不満さえも、懐かしい冥土の土産だ!!

今日書ける、それを噛み締めて書こうじゃないか!!
なんだか涙腺がゆるい今日このごろです。

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自分のやることを決めるとき、みなさんはどうやって決めますか。
わたしは秘行を伝え始めてから、秘行前と後、ビフォーアフターで大きく変わったところが、この「自分のやることを決める感覚」でした。

以前は決めるもなにも、自分に起こる反応によって自動で決まってしまっていた、という感じでした。つい感情で、つい習慣で、ついいつもの感じで。

ところが自分を傍目に見てみると、非常に素敵なアドバイスをもっている自分がいるのがわかるのです。自分の中に、

「いや、怖くてもやってみたらどう?」とか
「失敗していいんだよ」とか
「ここで騒がなければいいんだよ」とか
「ここで相手を大切にしな」とか
「ここで思い切り好きにしなよ」とか
「逃げてんじゃねえぞ」とか
「今は思い切って怒りな!!」とかいう、

神さまみたいなアドバイスを知っている自分がいるのです。
この自分の声を拾っていくようになってみると、ものごとが好転し出しました。それは収入だったり、夫婦関係だったり。

でも、その神さまみたいな自分のアドバイスの実践というのがこれまた、非常に大変なのです。ずっと心のどこかでは知っていたことだったり、ずっと無視していた感覚だったりで、いざそれを拾ってみるにも、諦めが必要だったり、ものすごく怖いことだったり、真逆に考えてみなくてはわからなかったり、ということばかり。

なので、その実践は、それまでとはかなり違った行動に結びつきました。行動が変わると、目の前のこともどんどんと変わっていきました。

わたしはそれを通して、「自分に気がついていること」の大切さをしみじみと思い知りました。自分の中に神さまがいるということに気がついているのは本当に心強いことだと思うんです。

そして、神さまが誰の中にも居てくれるのが嬉しいことですね!!!だから人は、大丈夫なんです。その人の正解は、その人の中にあるのだし!!

みなさんの、ほんとうに拾ってほしい思いはなんですか。
それを拾うの、とても怖くありませんか。人によって千差万別、いろいろな葛藤がありますよね。

その声を拾うもなにも、その声自体がわからない!!という人もいると思いますが、自分を外側から我が子のように見てみると、なんと声をかけてあげたいですか。

今日まで生きてくるの大変だったね。
いつもダメだダメだって言ってごめんね。
思い切って好きにしていいよ!!
楽してもいいんじゃない?
そんなダメ出し、しなくてもいいんじゃない?

・・というような思いが湧いてくるかも知れません。そうしたらしめたものです。そこから、自分に伝えたいアドバイスを感じてみればいいのです。
出てきただけで、怖かったり嫌だったりするものもありますが・・・(笑)それから、その実践自体が面白いプロセスそのものでした。スッと進むと、また、新たな自分が出てくるのです。

自分を探求する面白さは、「自分に出会っていく」ことができるということ。わたしたちには、意外な自分がたくさんいますよね。

それから、その観点に立つと、他の人もまた、旅の途中にあるとわかること。それぞれに旅がある、それぞれの冒険がある。そう思えるとなんだか、他人を変えたい感覚から、ふっと軽くなることができます。

ああ、互いに旅の途中だね、それぞれけっこう大変だったりするよね、ってな感じがしてきます。

わたしは、自分をわかってあげられてやっとやっと、他者の苦にも心が開きました。すると、また自然とそこにも慈しみが出てきたのでした。恥ずかしながらそれまでは、他の人のことは自分より優れていて幸せそうだと思うことがほとんどだったのです。

自分をどう観るのかということが、他者をどう観るのかということにそのまま現れるんですね。

わたしは自分が女性であることを無意識にずっと認めていないところがあったのですが、自分が女性であることをまるまる認める、というショッキングな変化があったとき、ものすごく嬉しかったのです。嬉しくてしばらくは空中に浮かぶことができたほどでした(嘘)。その、自分が女性であることを「素晴らしいことだった!!」と思えた直後に、世の女性たちへの見方がぐるりと変化してしまって、なんて素晴らしい生命体だったのだろう!!と思い、「今まで自分はなにを見て生きていたんだーーーーー!!!」と驚愕したという経験もあります。

自分が女性であることを喜んだら、他の女性の幸せが見えたのですね。
自分をどう観るかということが、世界をどう観るかということ。
ならば同時に、世界をどう観るのかが、自分をどう観るのかということ。
外の世界は自分そのもの・・・!

自分を観察対象とするということは、世界を観察対象とすること。
それでやっと、自分やこの世界と出会えたと言えるのかも知れません。

ちょっと話はずれてしまいましたが、というわけで今日は、ものごとを決めるときの「傍から見たときに思うこと」を利用した『セルフゴッドの開運法』についてでした。自分で自分の神さまになると、外の世界に神さまを連れてきます。今や神さまも、セルフサービスの時代なのです。(笑)

みなさんもよければ自分で物を決めるときに、自分が普段無視しているほうの声を聴いてみてください・・・!
意外な展開や想定外のこと、幸運や奇跡に出会うことでしょう!

それではまた、明日ね!

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