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977/1096【不定期往復書簡】外していいハメ、ダメなハメ

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で977日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

977日目。わたしがメタクソに貧乏で、銀行にはお金が100円くらいしか入っていなくて、仕事もなくて、車の免許を含むいかなる資格も有しておらず、離婚したばかりで、親は離婚してバラバラに一人暮らしをしていて頼るものもなく、資格もなくて、抱えていたのは授乳を終えたばかりの4歳の子どもだけだったという、あの2010年当時の気分を覚えている。

その気分が、今と変わらなかった。
いつも音楽を聴いていい気分だった。
みんなすげえなと思っていた。
生きるのは大変だと思っていた。
大変じゃないとつまらないのを知っていた。
わたしはいつもわたしに気がつき続けていた。

わたしを支えたのは、ど真ん中にバカみたいだけれど、ずっと知っていたのに忘れていて、あるとき落雷にあったように目が覚めてアッホみたいに思い出した、自分は全体で全体は自分だという体感だった。(すべての地球人に、本人が認識していようといまいと備わっている感覚ですね)

わたしはいるようでどこにもいなくてなんでもひとつだし、自分はここに独りだし、やることなんかないから、人生は”好きに歩むということを諦めたっていい”ってくらい好きに歩んでいい。気楽なものだ。「わたし」というのはどこまでも主観だと思えてしまうと、このどこまでも地獄の世の中はいくらでも極楽だと思えて、どんなシリアスなこともが気楽だ。

だから今も秘行を伝えるのが楽しい。いよいよ来週末に、ワンネスワークが目白押しの、秘行の上級を開催することになった。

あの、なにも持っていなかった11年前の自分に伝えたい。
自分を完全に諦めようとしてくれてありがとう。そこからたくさんの気づきを得てくれてありがとう。上級を伝える日が来るよ。自分よありがとう。

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先日、以前公開の往復書簡を連載させていただいていた坂爪圭吾さんに、「今後はまた互いに突然不定期の書簡をしたためて近況&心境報告をしませんか」とお誘いしたところ、二つ返事でノッてくださったので、早速お送りすることにしました。

われらの破廉恥で不謹慎でロックな『男と女の往復書簡』マガジンはこちらから読むことができます。

圭吾さん、おはこんばんちは!先日は突然のお申し出を快くお受けくださり、誠にありがとうございます。

あれからいかがお過ごしでしたか。わたしは万事を切なく仕方なく思いながら、そこそこ良い気分で過ごしておりました。つまり、羽目を外すことなくとてもフツーに過ごしておりました。なんか「あれからずっとぶっ飛んで過ごしておりました!!」みたいなご報告でなはないので、面白みがなくてすみません。最近の自分は、もうもはや「自分は壇珠さんです」と名乗ってはならないと思えるほど落ち着いた人となっております。

しかしこのところちょっと悪ガキをしてないなあという気分になりました。悪ガキになって遊びたいときに、独りでやるもよし、誰かとやるもよしだと思うのですが、わたしにとって一緒に公開で悪ガキになってくれる友達というのは圭吾さんしかいないため、ときどき書簡でお付き合いいただけたらという思いでお誘いいたしました。お受けくださり感謝です!!

わたしは不定期でときどき、自分のしょうもない部分を確認して遊びたくなることがありますが、圭吾さんはいかがですか。

ここのところ、何年かかけて下地を作っていたものを仕事にして、それはそれは真面目に取り組んでおります。が、上記の悪ガキっぷりを発揮したくなって、朝からビールを飲んでおります。朝食がビールです。Facebookを開ければ多くの人が健康を気遣って朝はフルーツのなんやらかんやらとか酵素の有機の野菜の天然の発酵の自然のなんやらかんやらでデトックスをしているというのに、自分は朝食がビールです。

とくに仕事にストレスを感じてはいないので、一日頑張ったご褒美に晩酌をしようという気分にはならないので夜は飲んでいません。が、朝にビールをかっくらってみたら自分の節操の無さに笑いがこみ上げてきました。なんだろう、なにか踏み込んではならない神聖な領域に土足で踏み込んだような気がいたしますが、言い換えれば朝から発酵食品を摂っていて健康的な気がします。むしろ寿命が伸びる気すらします。世界最高齢のギネス記録保持者の女性は毎日チョコレートを食べていたそうですが、なにが健康につながるかわからないものですね。きっと誰が「砂糖がうんぬん」「消化がうんぬん」などと言おうとも「美味ぇから食ってんだよ関係ねえだろ」と思って食べていたのだと思います。

そんなわけで、自分は相変わらずつまらない不良として生きております。勝手に圭吾さんを同カテゴリに入れてしまって恐縮なのですが、われらはこうして生涯にわたって反抗期なのでしょうか。こんな具合なので自分は一生立派な人になることはできませんが、自分の至らなさで遊んでいられるあいだは、いつまでも青春でいることだけはできる気がします。

こうした「ハメ外し」を、人は人生の間にどれくらいやるものなのでしょうね。これは完全に独断でしかないのですが、自分は思いついちゃった「ハメ外し」のアイデアを実行に移してしまうときの実行力だけは、高いほうだと思うのです。圭吾さんも、思い切ったときのハメ外し力が非常に高いようにお見受けいたしますが、いかがでしょうか。

自分は高校生のころから、いとも簡単にハメを外せてしまう「ハメ外師」となる片鱗を見せていました。「うわッッッ…今日学校行くって言って家を出たが、このまま旅に出てしまえばいいのでは…?」と思いついてしまうと実行に移してしまう。
「は。。。学校にメイクをして行って先生に怒られたら、紫外線アレルギーだから塗って防いでいると言えばいいのではないか…?!」と思いついてしまうと実行に移してしまう。

こんな些細なハメ外しから始まって、気がつけば自分はむしろハメをハメたことがないようなハメ脱臼人生を歩んできてしまいました。

これでお金を頂いているわけではないので「プロ」とはいい難いのですが、そんなハメ外師、あるいはマスターオブハメ外サーの自分が、外していいハメと踏みとどまったほうがいいハメとがあるように思うのです。

外していいハメとは、そのあとに「やってよかった」と思えるもの、楽しい気分や喜びが持続するもの、自分の世界が広がるように感じるもの、権威や圧力に対抗するもののように思います。

外さないほうがいいハメというのは、後悔したり、違法だったり、そのあとに罪悪感や恐怖の続くもの、自分の世界が狭まるもの、ではないかと思います。圭吾さんはどう思いますか。

人と人との関係には、夫婦だとか親子だとか友達だとかいう名称がついていますが、わたしは魂には性別もないし年齢もないと思うので、どれも単に純粋に人と人との付き合いだと思います。

その人と人との付き合いにおいて、もしもいい関係と悪い関係があるのだとしたら、いい関係というのは外したほうがいいハメを外したいときに互いに力になれ、外しちゃダメなハメを外さないように互いに力になれる関係で、悪い関係というのはその逆をしてしまう関係なのだろうと思うようになりました。

一緒にダメになるのではなくて、良くなる機会を無視するのでもなくて、お互いに互いがいるからこそ、いいハメなら外そう、ダメなハメは踏みとどまろうと思える関係なのだろうと思います。

わたしにとって圭吾さんは、いいハメを外したら誰がなんと言おうとも堂々と喜んでくれ、外してはいけないハメを外さずに踏みとどまったときにも誰がなんと言おうともやっぱり堂々と喜んでくれるだろうと勝手に100%信じている人です。わたしたちは一緒にウンチングスタイルでヤニを吸って反社会的な話をする的なデートしかしたことのない間柄ですが、なぜかそう信じるに至っております。そこが、心理的マグニチュード10を超えるなにかがあってもゆるぎません。これを真の信頼と呼ぶのだろうと思っております!!って、やばい、のんびりと書いていたら毎日投稿の時間のリミットが迫ってまいりました。

わたしも圭吾さんにとってのそんな人間になれたらと思っております!!なので、勝手にやっぱり圭吾さんの無事息災を祈っております!!いつも元気でいてね、いつか朝ビール一緒にやろうね、今日も生きていてくれてありがとう、ずっと友達略してずっ友でいてくれてありがとう、お返事楽しみにしております!!かしこ

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)