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1020/1096【地球人】あなたは個人型のスーパーヒーロー

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1020日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

1020日目。1020だとぅ…??秘行のコース開催に没頭している間に何日かワープしたような気分だ。毎日自分で書いているというのに、それでも驚いてしまう。もう、毎日投稿の日数の93%が終わってしまっている…

このところ夜の執筆が続いていたのだが、書き上げても夜のうちに投稿しないようにしていた。なぜなら、以前は夜のうちに書いたものは感傷的で、それを朝読むと後悔するからである。しかし昨夜、そういえば夜に書いたものを朝読み直してもその違和感がなくなっていた事に気がついた。いつからこうなっていたのだろう…!!

きっと、なにかをコツコツと継続していると、朝夜の気分の差が小さくなるのだ。なにかが安定するのだと思う。情緒が安定するというよりも、情緒の処理が安定するような気がする。

わたしはこのことから、生活の乱れは気分の乱れを招くというのは本当なのだろうと思う。規則正しい生活は、わたしたちの神経を鎮め、安心させてくれる。あまりにいつなにが起こるのかわからない暮らしは不安定で、それはわたしたちを駆り立ててはくれるが、安定はさせないものなのだと思う。

以前の自分は本当にめちゃくちゃに暮らしていた。午前1時に突然左官の塗材の配合を思いついてしまうと、せっせと練って左官を始めてしまったりした。他にも、突如レイアウトが思いついてしまったら最後、真夜中からでも家中の模様替えをしたりしてしまっていた。嫌なことはただ馬鹿のひとつ覚えのようにサボって、やりたいことにだけ身勝手に飛びつく。こうして、日がな動物のように思いつくままに暮らしていた。気ままで、明日の見えない、崖のそばの暮らし。

日々の暮らしの不安定さは、気分の不安定さそのものである。服装も乱れ、真心の使いどころがわからなくなり、泥棒になる。気分の不安定は、世界への不信感とつながり得る。平衡感覚を乱す。暮らしの乱れは、心の三半規管を狂わせるのだ。

つまり逆に、暮らしのテンポを整えると、気分が安定する。世界を水平に見られるようになってくる。わたしはこの毎日投稿から、こんなことも学ぶことができた。人は、ただ気分屋でいることだけで幸せを達成しようとしても、うまくはいかないものだと思う。

継続よ。毎日の心強き忍耐よ、意思とともに歩む努力よ。

この最もつまらなく、最も辛く、最も避けたいように見えるものの底力をナメてはならない。それは、「努力が必要だと思っているから努力が必要になってしまう」とかいう類の話ではない。継続や努力は、人生に不要なものとして、幸福を邪魔するものとして、悪者扱いをしてしまうような対象ではないのだ。意外と面白くて、達成感のある、健康的で健全な嗜好物なのだ。

長期に渡るコツコツとした継続や努力のみによって身につくものや判ることというのは確実にあって、それは面白いことだ。人の幸せというのは、努力をするかしないかによって決まるものではない。確実にない。「努力しない人生イコール幸せな人生」だなんて、見当違いも甚だしいのだ。

やりたいことがあるのなら、それが大変だとしても、途中かなり嫌になりそうで不安でも、ぐっと堪えることが必要でも、継続が必要で心配でも、今やりたいのならやったほうがいい。そこから逃げたからといって、大した良い気分は待っていないものと思う。

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わたしは実は、”サラリーマン”をめちゃくちゃカッコいいと思っている。サラリーマンというのは一般人に溶け込んでいて特殊な存在には見えないが、彼らのことをスーパーヒーローなのだと思っている。

たとえば代表的な架空のスーパーヒーローである「スーパーマン」は、その名の通り人外なパワーで人類を助けるスーパーヒーロー。「スパイダーマン」は蜘蛛のような特殊能力を利用して人類を助けるスーパーヒーローだし、「バットマン」はコウモリのように夜な夜な街に現れ、ずば抜けた運動神経と経済力を利用して悪と戦い人を助けるスーパーヒーローである。

そして「サラリーマン」というのは、組織に所属しその運営の一部を担うことで社会へ貢献し、利益を生み出すことのできるスーパーヒーローなのである。

組織の運営というのは、さまざまなタイプの能力を持った能力者を必要としている。そこに仕事人であるサラリーマンたちが現れて、全員で仕事を斬ってくれるのである。そしてそれらの働きは確実に社会に通用していて、この世界を循環させ、その組織に利益を生み出しているのだ。しびれる。なんて素敵なのだろう。

それからわたしは、スーパーのレジ係を担当している人を、聖者だと思っている。もちろんまったく違う価値観を持った人もいるのだろうけれども、わたしにとってはそう感じられる。

おなじ場所で、単純な作業をする人は基本的にある種の修行をしていると言える。たとえばただひたすらに砂絵を描く仏僧のように。わたし自身にも、黙々と何日にもわたって何時間もレンガを積んだり、レンガの目地に目地材を詰める仕事をしていた時期があるが、そうした作業はわたしたちの意識を一種の瞑想状態にする。単純な作業というのは、ひたすらにわれわれを「早く終わらないかな・面倒だな・身体がきついな・今のはうまくできたな・退屈だな・いつ終わるのだろう・もっと上手になってやる・なかなか上達などしない…」と自分の思考を己の脳内に垂れ流しにして、心がそれだけを見つめている状態にしてくれるからだ。

レジ打ちとなると、そうした単調さに加えて、目の前にやってくるさまざまなタイプの人間を相手に、ただおなじように丁寧に接するという行が加わる。ぶっきらぼうな人にも、無理を言う人にも、面倒なやつにも、臭い人にも、優しい人にも、見下す人にも、誰が来てもおなじようににこやかに接しながら、大きな対価を求めずに、ただひたすらに黙々とおなじ対応を返し続ける。己を見つめながらどんな人にも淡々と変わらぬ応対をし続けるという、まさに仏行を修めるその姿は、聖なる光を放っている。頭の下がる思いがする。

われわれ地球人はなぜヒーローものが好きなのかと言うと、自分たちが各々にヒーローだからなのではないだろうか。わたしは「サラリーマン」もヒーローだと思うし、他にもいろんなヒーローを知っている。それぞれの人が、それぞれの持ち場を担当しており、それがそのままわれらの活躍なのだ。

そう考えると、ある意味でヒーローでない人はどこにもいない。わたしは「壇珠マン」であり、みなさんも「〇〇(お名前)マン」なのである。

壇珠マンは、壇珠さんであるという特殊能力をもって地球人の一員を担っている人型スーパーヒーローである。サラリーマンの階級を得ようとして失敗した過去があるが、気を取り直し、現在は持ち場の職務を遂行しているようだ。

基本的にわれらはひとりひとりが個人型のスーパーヒーローであり、その持ち場をこなすことのできる者は他にいない。換えがきかないのである。鬼滅の刃風に言えば、みなさんは「〇〇(お名前)柱」。

わたしを例にとってみると、わたし以上に「壇珠の呼吸」が身についている人物は他にいないため、「壇珠柱」を担えるのはわたしだけなのである。みなさんもそうだ。みなさんの呼吸を極めているのはみなさんだけであり、その呼吸の柱はあなたなのである。柱たちが「鬼殺隊」に所属しているのとおなじように、われらもそれぞれがなにかに所属している。わたしは元「ニート隊」であったが、現在は「秘行者隊」「毎日執筆隊」でもある。みなさんは、どこに所属しているだろうか。それがどんな隊だろうとも、そこに所属していながらみなさんは、あくまで個人柱なのだ。

わたしたちはみな、個々人であるという特殊能力を持っている。そしてそれを得たがために、持っていない能力というのものもまた必ずあるのだ。あくまでそれぞれの能力が特殊で唯一であるため、他のヒーローたちとは違っている必要があるのである。そんなわれらは、自分であるというだけですでに特殊能力を発揮中なのだ。他の人のようになるために、変わろうとなどしなくていいのだ。むしろちょっと迷惑ですらある。

スパイダーマンはバットマンのマネをしなくていい。もうぜんぜんしなくていい。水柱・冨岡義勇は、炎柱・煉獄杏寿郎のマネをしなくていい。そう、そのままで”俺は嫌われていない”から大丈夫である…!(鬼滅の刃参照)

こう考えて世の中の人を見てみると、もうこれが、なんっとも愛しい。

ああ、この人の呼吸はこの人にしか使えないのだな。
この人であるということは、誰にも真似できない特殊能力なのだな。
この世界で、唯一無二のスーパーヒーローなのだな。

という思いが湧いて、たっ、たまらねえ!!たまらねえぜ!!
勝手に愛が湧いて切ないぜ!!すげえ、すげえぜ!!泣

この勝手な地球人萌えを伝えたくて、ここまで長々と書いてしまったぜ!!

誰がスーパーヒーロー「サラリーマン」を、”しがない”などと表現したのだろう。けしからんことだ。むしろ、この世の経済を回しているのは庶民に扮するヒーロー「サラリーマン」たちであり、その力は巨大なものである。

他者を愛しく感じたり、リスペクトを持ったり、世界をいいところだと思うのにも、他者のアイデアに頼るだけでなく、たまには自らいろんな概念を使って考えてみると良いと思う。目の前にある事象を、既成概念に囚われずにまっすぐに使ったり、別の捉え方をしたり、自分で工夫して発想の転換を起こしてみると面白い。それをクリエイトすること自体も楽しく、古い概念がポロッと落ちて視界の曇りが取れて、蓋をされていた愛があふれてくることがある。

ここをヒーローだらけの世界だと解釈してみるのも、なかなか胸熱ですね。
みんなすげえぜ、涙

というわけで今日は、わたしたち地球人の存在についての、わたしの好きな観点のシェアでございました。この愛しさ面白さを、あわよくば誰かと共有できますように。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)