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702/1096【逆転発想】執着は愛するもの

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で702日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

702日目。書いていた記事がパソコンが固まったことで失われてしまった。こんなことは久しぶりだ!それで、例のごとくショックを受けると自分でも思ったのに、意外にも0.1秒で忘れた。うわははは。

なぜかというと、まず不要だったから消えたのだし、あとはもうどうにもならないから。あ、そうなんだ、わたしあれ要らなかったのか、そかそかと思った。

さて、改めてなにを書こうかな。
書いていて自分の気分が豊かになるものがいいね。

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わたしはご相談をいただくことがよくあります。
そこでわたしもたくさん学ばせていただいていて、面白くてとても嬉しゅうございます。

わたしがそれを通して気がついたことのうちのひとつが、すべてのご相談に「執着がある」という共通点があるということ。それを執着だと認識していて「手放したい」というお方も、執着だとは認識していないお方もいます。どちらも、よくわかる。我ら人類、そのあたりが大変でございますね。

今日は執着をたくさん持っているお方に朗報をお届けしたくて書いております。

みなさんは、執着を「手放す」ということをどんな風に解釈していますか。
きっと、そのことを忘れる、記憶から消す、一切の情動の湧かないようにする、諦める、どうでもよいと感じるようにする、と考える人が多いのだと思います。

もしかしたら、それを意図してできる人もいるのかも知れません。が、わたしにはやろうと思ってうまくできた試しがありません。いや~無理無理。精神が軟弱なもので、とてもできやしません。

でも、結果的にそうなった、という経験ならばたくさんあるのです。

わたしがどうやっているのかというと、「忘れたり消したり感情を閉じたり」することで手放そうとするのではなくて、そこにあるパラドックスをそのまま許し(ちゃい)ます。つまり「手放せなくていいや」と思うということ。

手放せませんが、なにか?
は?むしろ手放しませんが?
できれば楽しみますが?
なんか文句あっか?っつってね。

これはつまり、”手放すことで手に入れようと企んでいたもの”を諦めるということでもあります。自分の中の悪い越後屋の計画を、丸つぶれにするのです。越後屋の計画に乗る、悪いお代官になっちゃいけないのです。

手放せない自分、反応する自分。
それを消そう消そうとして、そちらばかり向いていると、それはどんどん大きくなります。なぜかというと、そちらを向いてそれに構ってエネルギーを注いだものは、なんでも大きくなるからです。

わたしたちの向ける注意は思考の”餌”です。越後屋にとっての小判です。与えればどんどん強固になり、力を持ちます。やがて現実のほうがそれに対応し、「ほらやっぱり」というような出来事が起こります。

手放せない自分は、もう居るのですよね。
その「手放せない自分」はちょうど、”こちらは嫌っているのに、こちらにつきまとってくる人”のようなものです。逃げると追ってくるのです。構えば構うほど、ますますつきまとってくるのです。

そのつきまとってくる相手に、「ちょ…こっち見んなよ」「あっち行けよ」「お前がいると気が散ってなにも手につかないだろ」「お前のことが頭から離れないんだよ」と言っている人を思い浮かべてみてください。
いやむしろ好きすぎかよと思いますよね。中学生の恋かと。手放したいものについて四六時中考えているのは、これと同じことをしているのですよ。

いっぽう、「え?あの人?あ~居てもいいけど?」「居ても気にならないかな~」「あ、まだいたんだ~」という人とを比べてみるとわかりますよね。居ても特に気にもかけていない人って、その相手のこと、どうでもいいんです。言わばこれが、”手放した”状態です。

執着する自分、なんか問題あるっけ?いやいや居ていいよ~っつってね。あたし忙しいから好きにしてて~っつって。これは、恋のしがみつきではなくて、反対に無償の愛みたいなものです。

そしてそんな自分で生きていく。そんな自分であることにいちいちグチグチ言ってないで、その自分のままでいいから、好きにするのです。
執着したまま、それに負けずに好きに生きればいいんですよ。

「手放せない自分」はもう居るのです。生まれ(ちまっ)たんですよね。で、それは自分の一部なので殺すわけにもいきません。その自分は寂しくて辛いんです。冷たくしたって、「消えろ」と言ったって、癒やしてあげられませんよね。

それならば、居場所を与えて、好きにさせてあげてみて。消そうともせず怒りもせず。え?あなたおかしくないよ?なにも変えなくていいよ?そのままでいいんだよ??執着?しちゃうよねえ~ウンウン、大変だよね。と思ってしまうんです。越後屋には小判をやらないのです。

生きていると、さまざまな執着との出会いと別れがあります。いろんな執着がやってきては、わたしの中を通り過ぎていきます。まるで、恋のように…(キマった

わたくしめの勝手な持論ですが、執着とは、消すものでも否定するものでもなく、愛するものなのです。苦しい執着ほど、無償の愛を捧げる相手。
そこにいていい、わたしの中にあっていい、なにも変わらなくていい。ただそのままでいい。それがあるままで、構っていないで好きな方を見て生きるんです。

執着する自分が「なあ~お前のこと好きなんだよぅ~寂しいんだよぅ~離れないで一緒にいようよぅ~」と言ってきたときに、「うるさいわね消えなさいよ!!」「こいつがいるから好きなことできない!」などと言っていつまでも相手にしないこと。

「あ、いいよ~居ていいよ~はいはい~」と言って、それに付きまとわれたまま、好きなことをするのです。いいから、楽しいことをして幸せを感じる。するとね、執着する自分もやっぱり自分だから、その幸せを味わえる。すると、その”執着する自分”は、自分につきまとわなくなってきます。

居場所を与えて自由を与えて認めて承認して自分の一部として迎え入れて、執着がなかったら手に入りそうだと思えていたなにかすら諦めて無償に愛すると、執着だったものは、もう自分を邪魔しなくなります。

できることならば、その執着があるからこそ味わえること、見える景色を、今のうちに味わっておこう!としてみたりすると、更に強力です。

単純な例にしてみると、顔のブツブツ吹き出物が嫌だ!!と思っていて、それに執着しているからいつまでも治らないのかしら、だから堂々とできないのよ、だからおしゃれできないのよ、だから自撮りも苦手だし恋もできないのよ、ああ執着を消したいわ~と思っているとします。

そのときは、「うんうん吹き出物って嫌だね、嫌だと思っていたままでいいよ~」と思うということ。嫌なのだもの。嫌ですよね。そんな自分もまた、いるもんじゃあないですか。ねえ。それが人情ってものですよね。越後屋の一人や二人くらい。いるものですよね、うんうん。

で、そのせいで治らなかったらどうするのかって?諦めるんですよ。治らなくても、執着する自分が居るのだもの、どうにもならん。だから、置いといて好きにするんです。

吹き出物があっても、憧れるのなら堂々としてください。やってみたいなら自撮り楽しんでください。おしゃれしたければしてください。恋したければ恋してください。なぬ?そのあいだ、アー吹き出物恥ずかしいって思っちゃうって?思え。思うがいい。そのまんまそう思わせておいてください。思うんだもの、放っとけばいいんです。

構うと越後屋に小判ですからね。

だから、「ああ、恥ずかしいとか思うんだね、うんうん。でもその弱気がむちゃくそ可愛いよ。よしよし」と認めればいいのです。好きなメンズにそう言われたらどうですかい?あ、吹き出物あってもいいんだ…それでも好きでいてくれてるんだ…って思えてきちゃいませんか。だんだん吹き出物執着への恐怖が薄れてきちゃいませんか。それはだんだん、あなたを邪魔しないものになっちゃいませんか。

それを、セルフでやるってことですね。

さらにはね、辛い執着を愛したりしちゃうと、神さまが「お前やるやん」と思い、『執着を愛したで賞』『越後屋を改心させたで賞』の豪華賞品を送ってくださるんですから。

なんだなんだ、疑いの目で見ておるでしょう!わたしの場合は必ず送られてきますので、おなじ法則のもとにいる皆さんにも送られてきます。
それより豪華な商品は、それをやってみてうまくいったら誰かに伝えてあげること。『執着の愛し方を人に伝えたで賞』の賞品がすさまじいのです。

そう、おわかりになっただろうか…(怪談風
執着って『宝箱』でしかないのです。
いっぱいある人、よかったでしょう?!?!
なんかもう、執着すら宝箱って、ここって愛に満ちた場所みたいなね。神さまが賞品用意して待ってるみたいなね。そんなイメージを持ってみて。
ほらほらほらほら、世界の見方がひっくり返ってきたでしょう?!
よっしゃああーその意気だ!♥

執着は愛するもの。なんかこれもパワーワード的な感じですが、ええねん。
立派な自分より、ずっと愛すべきめんこい自分です。
執着いっぱいのままで、身軽に生きましょう!
宝箱は、開けてナンボですぞ!

というわけで今日は、執着はギフトよ。愛して賞品をもらっちゃおう!というお誘いのシェアでございました。

それではまた、明日ね!!

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