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【質問回答】仕事にやる気が湧かない。情熱も楽しみもない。一体どうすればいいの?

こんにちは!9月に入って、もうだいぶ日が短くなってきましたね。夏を愛する私は、毎年のように夏の終わりに薄寂しさを感じます。

でも、この薄寂しい感じというのは私に勝手に湧いてくるものですので、それを感じる自分のことは、もう放し飼いにしているのです。それをどうこうしようとは思わず、寂しいままにさせておくのです。

すると、8時過ぎには暗くなる夜の窓の外の景色や、葉が勢いを失い、茎が少し茶色くなってきた家庭菜園のトマトを見るのと同じように、壇珠さんが夏が去るのを寂しがっているなぁ…と思うだけになります。

自分のことは、外の自然界の景色と同じように見えて、そのためこれは自分ではないのだと感じられます。だから言葉にすると変なのですが、そうして自分を眺めている私自身は、夏の終わりを寂しいとは思わないのです。

だからなに?という話なのですが、そんな私は安穏で、楽であります。
そんな呑気な気分で、今日はこちらのご質問にお答えしますよ。

ご質問をいただいてからしばし時間が経ってしまっているので、もうその半年間のうち数ヶ月が過ぎてしまっているかもしれませんが、それでも回答の内容は変わりませんので、全力でお答えしたいと思います。

この文面から読み取る限りでは、質問者さまに他にやりたい仕事があって、そちらにワクワクとしているがために今の仕事にやる気がない、というわけではないのだと思います。単に、今の仕事へのやる気が湧いてこないだけなのだということを前提に、回答してみますね。

まず、仕事でもどんなことでもそうですが、最初の強い刺激がなくなってくると、いわゆるところのマンネリが始まります。私は、この「マンネリ」が始まったときこそが、その物事の本当のスタート地点なのだと思います。

たとえば私も、毎日のように掃除や料理や皿洗いをします。そしてそれに毎度のように情熱が湧くとかエキサイティングな感覚になるということはなく、淡々と取り組んでいます。

もちろん、若かりし頃にはじめて彼氏と同棲をしたばかりのときには、これらの作業がとても楽しかったのです。とくに料理は、これを作ったら喜んで食べてくれるかな!と思うと、それはそれはやる気、情熱、楽しみに溢れた作業でした。掃除や皿洗いだって、最初のうちは奥さん気分が楽しくて、ルンルンでやっていたものです。

でも、どんなことだって慣れてくればやはり新鮮さは失われて、当初のようなワクつきがなくなってくるものです。すると私たちはついついそれを、面倒に思えてしまうんですね。男女の関係だって、仕事だって、家事だってそう。人は、同じ作業や人などに対して自分が向けている視点に、どうしたって慣れてしまうものなのです。

私は、そうなってからが、本格的にその対象と向き合うときなのだと思っています。

新鮮で慣れがないものに対しては、興奮が伴います。私たちはその自分の視点に慣れてしまうため、この世のどんな事象も、刺激の薄れないものはないし、マンネリ化しないものはありません。

逆に言えば、このワクワクした刺激の強い状態が終わった時が、標準の状態なのです。つまり、こうした興奮を抜ければ、どんなものも波風のない凪の状態で見ることができる。つまらないのは異常な事態ではなく、この刺激がない状態がニュートラルだということです。

ここで、あなたにこんな質問をしてみたいと思います。たとえば、なにかのスポーツを始めたばかりの人が、それをするのがものすごく楽しいと言ったとします。あなたはそれを聞いて、この人はこれを死ぬまで楽しく続けるだろうと思いますか。あるいは、間違いなくこの人に向いているのだとか、これがこの人の天命なのだとか使命なのだとか、この人はこのために生まれてきたのだと思いますか。

他にも、たとえば好みの男性に出会った女性が、その人と付き合いはじめたばかりの頃に、彼のことしか考えられないほど大好きだと言ったとします。あなたはそれを聞いて、この人はその彼と一生添い遂げる覚悟が決まったのだとか、この恋の情熱は生涯にわたって燃え続けるだろうとか、彼女は彼に出会うためにこの世に生まれてきたのだと確信を持って考えるでしょうか。

答えは明らかですね。誰もそんなふうには思いません。今はまだ、刺激的な時。その刺激の夢の中にいる人の言葉は、鵜呑みにはできないのです。

その時その人は、新しいものとの出会いの刺激によって、高揚しているんですね。この高揚というのは、一種の幻想です。麻薬です。お酒を飲んで酔っ払っているのと同じです。刺激という魔法がかかっているのです。
ですから、その人がそこから覚めて、改めてそのスポーツや恋人を落ち着いて見ることができるようになった時こそが、スタートラインだということです。酔いが覚めてからが本番というわけです。幻想を追い払ったときに、やっと素のままの対象に出会う、と言うべきなのかもしれません。

あれっ?彼はあんなに素敵な人だと思ったのに、意外とだらしないところもあるし、ムカつくところもあるし、よく見てみればイケメンでもないし、なんで私この人にあんなに夢中だったのかしら?と思ってからが、その男性との本当の付き合いが始まる。ドキドキしなくなってからじゃないと、対象をよく見ることもできないのです。だから、ドキドキが去ってから、それでも愛していけるかどうか、それでもウキウキしていけるかどうかというのは、最初のうちの刺激よりも深いところにかかっています。

現代社会では、ずっとワクワクしている、ずっと高いモチベーションを保っている、ずっとやる気に溢れている、ずっと楽しい、ということをなにか良いこととして見るのが当たり前のように浸透していて、ひとつの文化となっているように見受けられます。

ずっと高い波。ずっと強い風。そうした目標や逆境に対峙すると、私たちにはやる気と情熱が噴出します。現代社会には、これを良いこととしている風潮があります。

砂漠にいて、日照りと水不足で死にそうになったときに、オアシスを見つける。そのとき私たちは、サバイバルの勝利による快感を味わいます。しかし、同じオアシスにいるといずれ勝利の喜びは薄れ、その環境に飽きてくる。ダレる、ゆるむ。すると私たちは、その情熱のない日々を嘆きます。

そしてまた日照りの日々がやって来てそのオアシスが枯れると、私たちは次のもっと大きなオアシスを目指す旅に出ることを決起し、その困難の刺激に高揚します。アドレナリンが出て、やる気がブチ上がります。そしてその旅で相応の苦しみを味わい、犠牲を払って泣き、そしてそれを成し遂げて、またも強烈な喜びを味わう。

これが続けば、人は飽きることがありません。目標を立て、そこに向かってがむしゃらに頑張って、達成感を味わう。それは楽しい感覚です。しかしそれが続けば飽きてしまうので、もっと高い目標を立て、今度はそれを達成する。これを続けることができれば、いつまでも刺激的で情熱が掻き立てられ続けるんですね。非常に強い麻薬のようなものです。

しかしこれは、言ってみれば”幸せの自転車操業”です。目標と、苦しみと、達成感のループ。それをどんどん強めて、高めて、広げていかなくてはならない。これがなくては、幸せを感じることができなくなってしまうのです。

私たちがなにかに取り組むときに、こうした”外側の環境から得られるやる気や情熱”だけに注目すると、この『幸せの自転車操業の罠』にハマってしまいます。これは一種の、そして非常に強い「苦」にほかなりません。

私は毎日自分の仕事にいつもワクワクしているの!毎日がマンモスハッピー(死語)!退屈もないし、疲れないし、嫌なことなんてなにもない。自分のワクワクを追っていけば、毎日がずっと幸せ!

こういう他人の言葉を文字通りに真に受けてしまうと、そうでない自分が、なにかとても良くない状態なのではないかと思えてしまいますよね。しかしこれは一種の社会的洗脳です。現代では、常にやる気が湧き続ける生活を送ることがまるで人生の正解のように扱われるようになりましたが、それは幻想です。やる気などというものに振り回されずに賢く生きている人も、世の中にはたくさんいます。

だから、まず自分の日常生活の取り組みのすべてに、強いやる気や情熱が湧いてこないことを、異常な事態だと思わないことです。仕事でも、家事でも、歯磨きでもメイクでも、それらがそんなにエキサイティングなものであるべきだと考えるのをやめて、その洗脳から一抜けた!しちゃうことです。そうした麻薬への執着を、捨ててしまうということです。

やる気ばかりに頼って仕事をしていると、やる気のないことがなにかものすごく良くない状態で、自分が間違ったことをしているような気がしてしまうものです。そして、自らがその信念によってダメージを受けてしまいます。

しかしそこで、「やる気があるだとかないだとか、それがどうした。そんなものに振り回されてたまるもんか」と思えると、それだけであなたの世界は変わります。そう思えてからが、その対象との本当の付き合いです。

私たちは簡単に自分の気分の奴隷になってしまいがちですが、自分にとっての王は自分です。あなたがあなたの王になれるかどうかが、ここにかかっているのです。

一度そうしてニュートラルになってみて、それからあなたがその組織で担っている仕事の意味や重要性を見直してみてください。ひとつひとつの作業の進む喜びや、あなたが片付けた仕事によって組織やあなた自身にもたらされるものに、もう一度目を向けてみてください。その組織が提供するものを利用する人のことや、自分がその仕事を通じて世界に与える影響についても、どこまでも追って考えてみてください。それを丁寧に見直してみることで、あと半年の仕事を有意義なものにすることができるはずです。

もうひとつ、マンネリというのは自分の視点に慣れてしまうことが原因です。「仕事がつまらない」と考えるというのは、「外側の環境のせいにしている」ということです。これを言い換えてみると。仕事に飽きているのではなくて、「自分に飽きている」ということなのです。

これは朗報です。なぜなら、「視点さえ切り替えられれば、マンネリを防ぐことができる」ということだからです。

あなたがあなたの王になっていれば、やる気というのは湧いてくるのを待っているものなのではなく、自分から湧くように仕向けることができます。
やる気がなくて面倒だと思うときだって、その気分の奴隷にならずに、自分で自分の気分を握ってしまうのです。

皿洗いを例に取ってみると、めんどくさーいという気分に引っ張られずに、一枚一枚の皿を自分の手できれいにすることや、台所を磨いてビシッとパキッと片付けきって小さな達成感を味わうことに自ら目を向けて、その観点に自ら集中する。そうした小さなゴールを得ることに向かって、突き進むのです。まるで、砂遊びをする子どものように。

このような視点の切り替えを自在に行えるようになると、「やる気が湧いてきてくれないかなー」と待っている『気分奴隷』ではなく、自分の気分を我自ら操る『我王』になることができます。

これができない限りは、新たな仕事に就いても、最初の新鮮さが失われてその仕事の内容と本当に付き合っていかなくてはならなくなったときに、今と同じようにやる気の問題に必ず突き当たることになります。

ですから、残りの半年間は、そのときのためにも自分の気分を握って、自分の観点を自ら指し示し、自ら自分を律し喜ばすことのできる我王となれるようにお仕事をしてみてください。今はまさに、そのための絶好のチャンスですね。

ぜひにも、楽しいチャレンジの時間にできますように。応援しています!

それでは、またね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)