見出し画像

828/1096 2020年最後の浄化をあなたに

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で828日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

828日目。今日は大晦日。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。わたしは今年を淡々と終えて満たされた気分でいます。今年はコロナによる世界規模の変化が起こり、大変な年でした。イタリアから一歩も出ることができず、ロックダウン下でほとんどの日を家に缶詰になって暮らしました。けれども、その制限の中でやれることをやりきったという気持ちでいます。

今年を乗り切ったみなさま、本当にお疲れさまでした。そしてコロナ渦でお亡くなりになった多くの方のご冥福を、改めてお祈りいたします。それから彼らのご家族の方たちの痛みが癒やされることを、心から願っています。

毎日投稿は2年と3ヶ月を過ぎて、残り9ヶ月を切りました。今年も無事に最後まで書くことができたのは、読んでくださり、メッセージやコメントを下さるみなさんのおかげでした。本当に助けられ、もはや自分で書いたというよりは助けてもらって書いていた、という感じばかりが残っています。

そして同時に何事も、他者と自分自身を含む宇宙のすべてのおかげであることに改めて思いを馳せています。生きているということは、それだけで宇宙全体とのコラボレーションです。このことを誇らしく嬉しく思いながら、感慨深い気持ちでいます。年末にこうして、改めてその年のドラマに出会い直すことができますね。

今年サポートを送ってくださった方々に、改めて心から御礼申し上げます。おかげさまで、感激しっぱなしの一年間でした。お知らせをいただくと嬉しくて、毎度のように驚いて飛び上がってしまい、手を合わせて感謝しました。本当にありがとうございます、涙

今年最後の投稿に、今年の感謝を全部こめて。お世話になりました。ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします!!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もしも運命がもう決まっているのだとしたら、と考えてみるとみなさんはどんな感じがしますか。なんだか寂しい感じがする人もいれば、どこかに安心を覚える人も、それから非常にむなしくなる人もいるのかも知れません。

今日は読むことで心がその議題に触れることのできるようなものを書いてみようと思います。

もしあなたがあるとき、神さまに出会ったとします。
神さまがこう言いました。

「お前を使って実験をしたいことがあるんじゃが、手伝ってくれんかの」

神さまの説明によると、手伝いの内容とはこういうことでした。

まず、身体をひとつ用意するので、そこに移ってみてほしい。その身体は勝手に動くようになっていて、動きも全て決められている。だから、単にそれを経験するだけでいい。味わうだけなので、なにをするのもただ安心して眺めていればいい。

あなたはそこに同意して、そのお手伝いを体験してみることにしました。

その身体に移ってみると、自分の意志とは関係なく朝起きて、伸びをします。もう少し布団にいたい気がするのに、起きて歯を磨きに行きます。もううがいは十分なんじゃないかと思うのに、ひどくしつこくうがいをしています。一日中、ひたすらそうして勝手に動いているのです。

あなたはなす術がないので、ただその身体の起こす選択による行動を体験しています。自分の意志で選んでいるわけではないので、どうなろうと知ったことではありません。ただ、その人物が転んだりすると痛いし、その人物が好きなものを食べると美味しいし、その人物がゆっくり休むと癒やされます。だから自然と、その人物が、自分ーつまりその人物ーにとって良いことを選び、行うことを望むようになりました。

そこでもう一度神さまが現れ、一旦元の身体に戻してくれました。神さまはこう言いました。

「元の身体に戻したのは、あちらに移ったままではお前の思うように話ができないからじゃ。どうじゃ、調子は」

あなたは、あちらの身体にいるときは、あの身体の選ぶことをそのまま味わっているだけなのでとても楽だということ、けれども自分は感覚を感じるので、痛い感覚や辛い感覚が嫌で、美味しい感覚や癒やされる感覚は好きだということを伝えました。

すると神さまはこう言いました。

「ならば、限りなくお前の思った通りに動いているような感覚にさせてみるのはどうじゃ。もちろんこれまでと同じく、すでに決まったとおりに動くのを味わうだけなのは変わらない。けれども、その動きが発生する直前に、お主が決めて動いたように感じられるというのはどうだろう。急にではびっくりしてしまうから、徐々にそうなるように調整してみよう」

あなたは試してみると答えました。一体どんな感じなのだろう。

もう一度あの身体に移ってみると、やはり身体は勝手に動いてジョギングをしたり、服を畳んだりします。あなたはただただそれを、体験しています。
けれどもどこかなんとなくふと、このあとジョギングをするかな、このあと服を畳むかな、といううっすらとしたイメージが湧くようになっていることに気が付きました。

そのイメージは、時間が経つにつれ強くなってきました。これからお皿を洗うと感じると、その人物ははっきりとそのとおりにお皿を洗うのです。

その感覚はどんどんとあなたのイメージと同じ動きをするようになり、さて立とうと思うと立ち上がり、さて座ろうと思うと座り、ああ可笑しいと思うと笑うようになりました。そしてあっという間に、あなたはその身体とまさに一心同体だと感じるようにまでなりました。自分で決めて、自分で動いているとしか思えないのです。

あるときあなたは神さまにこう言いました。

「神さま、見てください。わたしは今、自分の意志でこれを話、この話をあなたに報告しているのです。これを見ても分かる通り、このわたしの話はわたしの決めて話していることです。もうこの肉体は、最初から決められた通りに動いているのではありません。わたしのものとなり、わたしの意思でわたしの決定に従って動いていますよ!」

すると神さまはこう言いました。

「そうではない。あくまでもはじめから決められた通りに動いているのじゃ。お主が決めて動いているように感じられているだけなんじゃよ」

けれどもあなたは納得がいきません。

「そんなことはありません!ほら、この反論も決められていたとは言えないでしょう。わたしが今自分で反論しているのですから」

すると神さまは説明してくれました。

「人よ。わたしがお主を選んでこの体験をさせたのは、このためなんじゃよ。人々は、自分のことを自分のものだと思っておるのじゃ。自分の思い通りに動くから、自分に従っているもの、自分のもの、自分の奴隷だと思ってしまっているのじゃ。けれどもあくまでお主は、この宇宙のプログラムなんじゃよ。その通りに動いている。自分で決めたという実感すらも、その反論すらも、なにもかもがプログラムのとおりなのじゃ」

「そんな!ではこのショックすらも、決められていたというのですか。それではわたしとは一体なんなのですか。わたしは存在するのですか。わたしはただこうして味わっていればよいだけの存在なのですか。
……神よ、わたしの意思などないのであれば、わたしは一体、何者なのですか。とてつもなく虚しく思います。もしもわたしが決めているのでないとすれば、わたしの決定も選択も、なにもかもが宇宙の、神の意志だというのですか。ああそれならば、なにがどうでも良いではないですか。投げやりにも安心にもなるというものです。しかしそうして生かされているのを体験しているだけなのであれば、あとはいっそのこと、安心して任せきって生きてしまおうかしら」

すると神さまは笑顔になってこう言いました。ああ、お主に手伝いを頼んで本当によかったのう。見込んだ通りではないか。お主よ、もう手伝いはこれで十分じゃよ。元の身体に戻って、そんな気持ちで生きておくれ。

そしてあなたは元の身体に戻ってきました。

あなたは朝起きて動きます。自分の意志で決めて動いています。そんな風に感じられます。けれどももしそのすべてが、あなたの人生のすべてが、はじめから終わりまで今もずっと、神によって創られているのだとしたら。決まったとおりになるのだとしたら。だから、気張って決めなくてもよいのだとしたら。成るようにしか成らず、これまでのことがすべて正解で、今後にも正解しかないのだとしたら。あなたは生きるということを、どんな風に感じますか。

そんな感覚で動いてみると、あなたは自分の現実がどんな風に見えてきますか。これまでのことが、どんな風に見えますか。これからのことが、どんな風に思えてきますか。

『宇宙に委ねて生きる』という感覚は、こんな前提を想像してみるところから触れることのできるものです。そのイマジネーションによって意識の使い方に変容が起こってくるのですね。その反復に神経が慣れてくることで、あるとき突然自転車に乗ることができるようになるのと同じように、突然気づきとしてそこへの理解が訪れるのです。

もしそれが前提なのだとしたら、あなたはあなた自身を、他の誰かを、責める必要があるでしょうか。なにかを後悔する必要があるでしょうか。なにかを恐れる必要があるでしょうか。なんだかどこか、ゆったりと緩めてもいいところがあるような気が、してきませんか。

年の終わりに今日までの一年間のことを後悔するのではなく、それで良かったのだとサッパリと見直して、そこから心地よく去ることができると気持ちよく年明けを迎えることができます。そのための助けとなる、ちょっと壮大な心の浄化の観点をお届けしてみました。読んだだけでも、良き影響がありますよ。最後までお付き合いくださってありがとう。響き合って、互いに浄化の心地よさとともに2020年を終えられますように。

それではまた、明日の元旦に!
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を!!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)