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913/1096【質問回答】他人に興味がない/他者の反応に一喜一憂してしまう、他

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で913日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

913日目。え。。すんごい今更過ぎて頭大丈夫?って感じなのだけれど、あと87日で1000日て!1000記事って何。え、ほんとに??なぜこの実感が今日急に高まる?!

自分の記事が1000もあるだなんて!というのでなくて、1000って思っていたよりも小さな数字なのだなと改めて思った。「1000記事以上も書くだなんて、大変だぞ…!!」と面食らっていたのが懐かしい。大したことなどないのに、すごい数だと思っていたのだった。

崖だと思っているものって、大半は落ちてみないと崖などではなかったのだとはわからない。思い込みは解けない。わたしは三年の毎日投稿に挑戦してみなかったら、未だに毎日連続で1000以上もの記事を書く人を、超人だと信じたまま、そこにばかりリアリティを感じていたことだろう。

わたしたちの生々しいリアリティですら、思い込みから創り出される幻想であるのが面白い。意識のことを学ぶなら、実際に現実世界でその自分の幻想を蹴破る面白さを楽しんでこそだよな!と心から思う。

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ご質問をまとめると、『悪いことを言ってしまったと感じる相手と、それ意向どんな心持ちで関わっていけばいいのか』ということですが、質問者さまは、一体なぜに、そこに悩むのでしょうか。誠心誠意、良心に従って接すればよいだけなのではないでしょうか。

自分の言ってしまったことに罪悪感があるのであれば、先日あんなことを言ってしまって、嫌な気持ちにさせてしまったのではないかと心配している。悪気はなかったのだけれども、配慮が足りなかったとあとになって気がついた。悪かったと思っている。ごめんなさい。と伝えればよいのではないでしょうか。

人だもの、人付き合いにおいても、何かしら失敗はあるものですよ。そんなもんそんなもん!その度に、その時に自分が思いつくいちばん誠実な方法を取ることしかできません。そしてそれがベストですよね。それさえしていれば罪悪感に苛まれ続けることはないはずですよ。

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周囲の人への関心って、強いほうが愛情深くて、薄いと冷たいと思われがちですが、そんなことはありませぬ。

自分というものを大切にして生活している人、いわゆる精神的に自立している人というのは、他者からの承認を必要としていません。当然、嫉妬や依存、束縛などの支配的な関わりや、過干渉なども不要です。

その上で、互いに心地よい距離感を保てる人がいれば自然とお付き合いが生まれるでしょうし、いなければしなければいいだけのことです。もっと干渉したり気にかけたりしたほうがいいとか、友達がいたほうがいいとかいう価値観に合わせて自分を変えなくていいのですよ。

自分の”快”=心地よさ、これを深く探って、それを大切に優先してください。

もし今のままでいることにどこかもやもやしたり、なんとなく寂しいと感じるのであれば、それは”不快”ですから、人との関わり方を実験的に変えてみるのも良いと思います。が、あなたは自己中なのではないと思いますよ。

わたしもあまり他者に興味がありません。適度な距離がある方が快適です。
元気でいてほしいし、好きだし愛を感じるけれども、そんなに構わなくてはならないとか、連絡をしなくてはならないと感じません。だからあまりたくさん友だちもいませんが(笑)、それを心地よく感じています。

あなたが快適ならば良いのです。あなたのかけがえのない時間、あなたの人生だもの。心地よいようにしていて、大丈夫。あなたが冷たいわけではないのですよ♡

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わたし自身は、いいねやコメントをいただくと嬉しいです。が、反応がなくても沈みません。あまりそこに浮き沈みはありません。

イライラするということはありませんでしたが、以前はわたしも今よりずっと豆腐メンタルで、他者の反応に一喜一憂していました。秘行でそんな自分のことを無償の感覚で観られるようになったことも影響していますが、なによりも発信を続けるうちに、反応が薄くなったのです。

究極を言ってしまうと、『反応があれば嬉しくて、なければ落ち込む』こと自体を、楽しんで眺めているようになってから変わりました。あとは、慣れる。慣れる慣れる慣れる慣れる。慣れると、いつしか反応が薄れてくるのですよ。手っ取り早いのは慣れることです。

一喜一憂の浮き沈みをなくそうと思う暇があったら絵を描いて、どんどんアップすればいいのです。承認欲求に負けて、薄い反応が見たくないからと言って描かなくなってしまうのなら、それまでだとも言えるのです。

わたしは、はじめから自分のことは大したことがないと思っています。今も、今日までの記事で散々書いてきたように、自分のことは結構な出来損ないのクズだと思っています。もうほんとね、ろくでなしBLUES(昭和ごめん)。だから、反応がなくても自分が否定されたとは感じません。わたしはそもそもが大したことがないので、反応がなければプラスマイナスゼロ、反応があったらラッキーなだけです。

自分で自分の発信するものを気に入っていれば、自分にはいいと思えるのだから他者がどう思おうと凹む必要はなく、気に入っていなければ「そりゃ反応がなくて当然だわw」と思えるから、凹む必要はありませんよね。

わたしはメンタルは強くはないのですが、反応がないことでそこまで凹むとほど、自分のことを高評価してほしいとは望んでいません。逆に言えば、自分で良ければ他者から褒められなくても気にならずです。つまり、あなたがあなた自身を否定しているのだと思いますよ。だから、他者から褒められなければ、その否定が図星なのでイライラソワソワするのです。

自分を否定していない人は「たとえ他者から否定されても、俺は俺を愛してるから問題ねぇ」という感覚です。あなたの好きな食べ物はなんですか。その食べ物を嫌いだという人がいると、あなたもその食べ物を嫌いになりますか?なりませんよね。相変わらず美味しいですよね。それと同じです。

自分で最高にお気に入りのものをどんどん描いてアップして、反応が少なかったら「フッ…皆にはこの良さがわからないらしい…」「ま、簡単にわかるとも思えないがな」と思ってみるのも手です。わたしは「おや?この記事はまだあまり多くの地球人に響かないようだなァ」などと思っていますよ(コソッ笑)

豆腐メンタルであることを、恥じなくていいのです。そのスリルも悪くないですよね。それもまた、世界に自分の創作を発信する者の味わえる醍醐味のうちのひとつですよ。誰しも、慣れて慣れて慣れたらいつかはその強い反応も薄くなってきてしまうから、今はそれを思う存分楽しんでみて!

どんな自分も、その自分を「楽しもう」と思えると、クルッとひっくり返るものがありますよ。

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最も印象的だった体験は、わたしが自分で自分を否定していた頃に夫からも否定され拒絶されていたのが、自分で自分を大切にするようになったら、夫からも大切にされるようになったことです。

自分を無性に愛していたのだという気付きは、わたしにとってあまりにも意外で、生きる感覚を土台から覆すほどのショックでした。それから、自分で自分を大切に尊重するようになったらば、夫がものすごい速さで別人のようにこちらを尊重してくれるようになったのです。

この、まさに世界が反転したと思えるほどのできごとを通して、自分の放つものが自分にそのまま帰ってきていることをリアルに実感しました。正直、「うっわ!よくスピリチュアルな人達の言うような、宇宙の法則そのまんまじゃないか!!」と思いました。こんなにシンプル単純なのかーい!!と泣き笑いしながら心の中でツッコミましたよ。笑

放ったものが、返ってくる。
上のお金の話も、自分が放ったものが返ってきただけなのです。わたしたちは自分が信じているものを現実世界で体験するのです。なんとなんとなんと、興味深くてエキサイティングなことでしょうね。はぁもう、まいっちんぐ!(昭和ごめん)

というわけで今日はここまで。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)