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942/1096【質問回答】怖がりはどうすればいい?/妬み暴言がやめられない/親切を要求される

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で942日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

942日目。ホルモンの変化で身体の様子が違う。楽しく人生を歩んでいると、本当にあっという間だな。心はドラクエ大好きゴム飛び大好きな小学生の頃と変わらないのに、もう自分は40代だ。

この3年の誓いで始めた毎日投稿も、明日で満2年と7ヶ月。3年間というのは中学校や高校と同じだけの期間だ。たとえ自分が80年生きるとしても、そのうちの3年というのは結構な長さである。

時はどんどん過ぎて、このマガジンの毎日連載も終わりが近づき、人生も終わりが近づき、それはまったく止まることなく人生の滑り台をなめらかに滑走していく。わたしは今日もその滑り台をヒュルルと下降しながら今日の分の24時間を滑った。その時間をつかって、生きた、書いた…!

そして、いつかこの滑走よりも着地に興味が湧いたとき、滑り台のスリルを終えるのだ。あっ着地した!と思ったとき、ハッ…!と目が覚めるのだ。そして思い出す。ああ、とてもリアルな夢を見ていたんだ!と。

今はせっせと毎日ブログを書くという夢を見ている。自分で決めて、自分で観たくて観ている夢。

3年書こうと決めたのは、それがいい夢だと思ったからだ。そう考えると、プロセスと結果との間にある決定的な違いが溶けて、どちらが大事だとかどちらが良ければいいとかいう概念が落ちる。プロセスも結果も、ただ楽しみたいという目的のもとでは、その重要度は同じだ。

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さて、今日もご質問への解答です。

死を恐れずに生きられるようになるというのは、もう解脱の境地と言いますか、相当にハードルが高いことですよね。これは目指さなくてもいいのですよ。というか、死が怖いのは普通です。

死を恐れてしまうことはデフォルトなので放っておけばいいんです。そういうことに構わなくていいのですよ。

それで、なぜ恐れのほうに集中してしまうのかと言うと、ひとつはけっこう暇だから。もうひとつは、嬉しい・楽しい・幸せ・幸運、に十分に目を向けていないからです。そちらに意識を向けていない人は、もれなく不安や恐れの方を見ます。

なぜなら、この世の事象は、意味を見出そうとする以上はポジティブかネガティブのどちらかに分かれるからです。ポジティブでもネガティブでもどちらでもない、と完全にそう見るには、この世の事象には一切の意味がないというところに達観している必要があります。お釈迦様のレベルですよね。

それよりも、恐れをもっていることなど放っておいて「恐れを持ったままでいいから、嬉しい方やありがたい方を見よう」とするだけでいいんですね。怖くていいんですよ。程度の差こそあれ、死が怖いのはみんな同じ。生命体なので、身体は生きたいのです。だからそこを気に病まないことです。

怖いのが嫌ならば、怖がる自分が出てきてもあまり構わないのが一番ですよ。自分で「これも怖い!あんなことも怖がってる?!どうすればいい?」と、怖がる自分を構えば構うほど、恐ればかりを味わって経験します。

なので、怖い自分が出てきたら「うんうん怖いのはおかしくないよ」と言って放任主義にしてください。あなたはちゃんと怖がることができているので、そこはそれで十分なので(なにも怖がらない人は逆にダメですよ)、そこは合格なのです。

恐れをなくそうと思ってあれこれ試してみればわかりますが、もうなにをしても、恐れってなくなりはしません。なのでそこは安心して、こんなに危ない世の中なのに、また今日も死ななかったのすごい!と思うのです。

この世のことは危ないところだと思ってしまう。そこは同じでいいので、それに対する反応を変えてください。

この世は危ない→だから死ぬかも→怖い
この世は危ない→なのに生きている→嬉しい

コップは上から見ると丸いですが、横から見たら四角だったりしますよね。
同じものを違うところから見れば感覚は変わります。別のところから見て、違ったジャッジの回路ができてしまえば、恐れからヒュルっと抜けられるのです。

要は癖の問題です。人はひとつのゲシュタルトしか保てないので、なにかについて良いと思いながら同時にそれを悪いはと思えないのです。
なにかを食べて美味しいと感じている時って、同時にそれを不味いとは感じられないですよね。逆もしかりです。なので、悪いように見ないためには良いように見る癖をつければいいだけなのですよ。

ほら、今日もめっっっっちゃ危ない世界で生き延びられたのですよね?それはそれは、よかったじゃないですか!!はい。これを繰り返してみて。

ちょっと、なんとなく、バカみたいに思えてきたらひっくり返る兆しです。この変換自体がとても面白くて良い経験となるので、日々の個人的で密かなチャレンジとして楽しんでみてね。

それだけで十分ですよ。こんなふうに自分のことを、客観視できているのって素晴らしいです。

あなたは『人と自分を比べて妬んだり、悪口や暴言を吐いたり、言わなくて良いことをいってしまったり、ひどい態度をとって、そのことを良くないと考えて落ち込んでいて、毎日繰り返しているということを書いて、そんな自分はどうすればいいのかと、救いを求めて質問をした人』をどう思いますか。

あなたはその人を見てなんと思いますか。
その人になんと声をかけてあげたいですか。

めちゃくちゃ大切にしようと試みるのも良いのですが、できないと落ち込んでしまいます。そうではなくて、上のように自分を客観視したときに、そこで素直に感じることをそのまま大切にしてください。

ただそれを淡々とやってみるとわかってくることがありますよ。あなたがどんなに健気に生きる生命体なのかということに、自ら気がつく時が来ます。

するともう、自分を大切にすることは努力ではなくなるのです。しようと試みるのではなくて、そうせずにいたことはなかったのだとに気がつき、もちろん自分も自然とそうしたくなるのです。良いほうに進んでいますから、気張らずに、自分自身を朝顔の観察をするように観てみてくださいね。

質問者さまは、お母さんのことも労ってあげているのでしょうか。お祖母さんやお父さんにだけ親切にしているのだとすると、お母さんの言い分も一理ありますが、ここはそうではないとしてお答えしてみますね。

お母さんはしたくもない我慢をして頑張っているから、自分だけが労われるべきだと思っているのですよね。本当はお母さんがその我慢をやめれば良いのです。嫌々やっているから、自分の方を大事にしろと言いたくなってしまうのでしょうけれども、だからといってあなたがお祖母さんやお父さんに親切にする機会を奪うというのはおかしな話です。

「お母さんも家族のために頑張っているから、わたしも同じように家族に親切にしているんだよ」と言えば良いのですよ。(ちょっと嫌味

他の人とあなたとの関係は、お母さんの頑張りとは関係がないですよね。それなのに、あなたがそれに負けてしまっているのです。

お母さんが、自分のご機嫌は自分で取れなくてはならないのですよね。あなたにやってもらうことではないのです。そのことをきっぱり伝えるべきときなのだと思います。

親離れ、子離れしましょうという神さまからのお誘いなのだと思いますよ。

さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)