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765/1096 死んで読む手紙

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で765日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

765日目、もし毎日書く作業がなくなったら、自分はなにをするのだろう。その心にぽっかり開いた穴になにが入ってくるのか楽しみだ。おヨヨヨ、さみしいヅラ…と動揺したりするのかもしれないし、平気な気がしていたのに夕陽を見ていたら無言のうちに涙が流れてきたりするのかもしれないし、いきなり他にやりたいことが見つかってそちらに走ったりするのかもしれない。もうどうなっちゃうやら、わからなくて楽しみだ!!

こうして心の穴を楽しみにするためには、当然ながらまず心にぽっかりと穴を開けなくてはならない。穴を開けるには、心にある程度なにかを詰めて、それがどんどん膨らんで強固になって大きなスペースを消費するようになってその状態に慣れ親しんでから、いきなり失えばいい。

これを逆から言うと、新しい自分になるのってとてもシンプルなことで、慣れ親しんだなにかをやめればいいのだ。さらに言い換えてみるとなると、慣れ親しんだことばかりをし続けていると、大した変化は望めないということになる。

なにかを継続するということは、単にまずその積み重ねや反復により強化されるものがあるだけでなく、パッと失くすことによって自分に穴を開けて未知の風を吹き込ませることもできる。そんな使い方もあるのだなあ!

環境を思い切り変える勇気のある人ってそうたくさんはいないから、始めから期間限定にしておいて、さよならの覚悟のもと、あえて一旦何かに慣れ親しんで失ってみるのも手かもしれない。

毎日書いていると、それだけでいろいろな発見がある。

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終わること失うことについて思いを馳せたから、ふと思いついた。今日は死んだあとの自分へ、手紙を書いてみよう。

『死んだあとの自分へ』

死んだあとの自分よ、これを読んでくれるといいのだけれど。

もしかしたらもう自分は、自分を自分とも思わず、今の一個人の一人格をもった存在でもなくて、霧のように拡散していて、文字や言葉を見てくれないのかもしれないけれど、気にせず書こう。

今これを書いている自分は45歳だよ。何歳でそちらに行ったのかわからないけど、長い間、お疲れさまでした。人生は今のところ、大変で嬉しくて辛くて苦しくて面白いなと思うけど、ぜんぶぜんぶ、お疲れさま!!!生きて、すごいね。自分で自分に言うのもなんだけど、すごいなと思います。

こちらは、これを書いているから、今目の前にパソコンがあるよ!超リアルに目の前に。イタリアにいてさ、ロジテックのクラフトっていうキーボードを使ってるよ。覚えてるかな?うっすらと覚えてるよね??それに今マジでリアルに触ってるけど、いい感触だったね。軽くて浅くて押しやすくてさ、買ってよかったな。もう、どうでもいいだろうけれど、こちらは今生きている状態だから、こういうことがすごくすごくリアルだよ。

今はまだ、おっ母もここに住んでいるよ。生きて一緒にいるよ!すごい場面にいるよね、懐かしいだろうね!そうだね、後悔の無いようにするよ。死んだ自分が哀しいのは嫌だから、今できるかぎり善いことをするよ。生きているおっ母に会いたいんだ?明日言っておくよ!伝えておく!時空を超えて一緒になにかをできるなんて面白いな。

死んだあと、どんな感じがしてるかな。こっちは今まだ地球上にいて物質いっぱいだから、そこにすぐに囚われてしまうけど、本当に生きている間だけのことだね。好きなだけ囚われといたほうがいいね、本当だなあ!ぬいぐるみとか猫とか布団の感触、懐かしいよね??今のうちに、できるだけ触っておくよ!

今はまだ、川にも海にも行けて、木にも触れられて、なんでもできるよ。ああ、地球上のどこか、どこでも、いこうと思えば行けるから、死んだあとに行けばよかったと思うようなところはぜんぶぜんぶ、今のうちに教えて!!行っておくよ!死んだあとの自分への、生きている自分からのプレゼントだよ。プレゼントができるなんて面白いね。

俺生まれてよかったなと思うんだ。あれこれ大変で苦しくても、人間になってみてよかったよ。今思うと、面白かったよね。

生まれたばかりのころさ、おんぶされるのを待っていて、陽の光が当たって暑くてさ、暑いなあと思ったの、覚えてるかな。あの頃、俺たち赤ちゃんだったね。いい思い出だね。

死んでしまうと、この世が急に嘘みたいに思えるね。こちらはまだその嘘の中にいるけれど、その物理世界がこんなにもこんなにもリアルだから、生きているって不思議だなと思うよ。不思議の中にいるよね。この喉の渇いた感じとか、星空を見た感じとか、生きているならではの感じだね。ああ、こちらは今その真っ最中だよ。

ダビデ(夫)もここにいるよ。もちろんだけど、ここで目の前で生きていて、リアルに眠ってるよ。そちらではもう会えないのかな。懐かしいね。ひろゆき(前夫)も生きてるしさ、今のこちらの状況はいいとき真っ盛りだね。

覚えているかな、小学生の時に、子ども会で公民館に集まって、お正月のしめ縄を作ったよね。あの日熱があったのに、まだ微熱だったからあまり周りに信じてもらえなくてさ。でもその感じをまだ覚えているんだ。ああいう自分にしかわからない感覚がいっぱいあるよね。

死んだあとには、そういうことのなにもかもが、本当に地球に生きたナマの体験だったと思うだろうね。今の自分は、それがまだ重ねられるときにいるけれど、きっといい思いをするよ。いい人生だね。こんなふうに、ぬいぐるみやペンに触れられてさ!今のうち思う存分あれこれするよ。

死んだ自分よ、嬉しい気持ちでいてくれ。
「五感があって、面白かった!」って、思っていてくれ。
人生を体験して、エキサイティングだったって自慢していてくれ。

死者同士で集まったりしてさ。

いやいやいや終えて帰ってきたわ、どうだったどうだった?地球すごかったよね、人間界も面白かった!今思えば本当に夢の世界で遊んでいたんだね。リアル過ぎてついつい過剰に真剣になったよね!面白かったなあー!!

って座談していれくれ。人生を愛でていてくれ。この夢の思い出を笑っていてくれ。だから今のうち、好きなだけこの『地上で生きるという遊び』に、真剣になっておくよ。あとで笑おう!!
 
次はどんな人になるの?わたしはまだ壇珠さんだよ。
バイバイ、自分さん。さようなら。。。
わたしたちにだけわかる思い出、いいものだね。
 
まだ生きている自分より

自分は今、死んだあとの自分にとって、とても儚い思い出の中の人。一生懸命に生きた、あの人生の最大の登場人物、”自分自身”だ。懐かしい思い出の中の、楽しかった場面を紡いでいる最中の人。

今、まさに今このとき、自分はその思い出の中に実際に存在して居る。
ああ、その事実よ!!

このことに、自由に飛ぶように思いを馳せるだけで、生きている今の体験が生き生きとしてくる。外が夜だ。猫の鳴き声がする。ヒーターが暖かい。今の、まさに今のこの感覚よ!人生はリアルさに満ちている。

今あなたの目に見えるものを、触ることのできるものを、心まっさらに、”いつかほんとうに別れるもの”として見てみてね。死を心に迎え入れるのは、「今」をリフレッシュする最も良い方法のひとつなのです。

というわけで今日は、自分の死について膨らませた想像のシェアでございました。どなたかの、心のストレッチになりますように。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)