見出し画像

545/1096【往復書簡】歪んでる?可愛いだけだろ。

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で545日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

545日目、発狂しそうなほど時間がない。どうしたものか!!誰か助けてください。ああ、もう、神頼みも通用しない!!こうなったら自分の中の冷や汗を出す機能を全開にし、さらにはアドレナリンで乗り切るしかない!!

行け!行けと書くとアンパンマンを思い出す。愛も勇気も友だちという気がしないから、この場はもうバイキンマンとして書こうと思う!なぜ時間がないとバイキンマンになればいいと思うのかわからないが、とにかく時間がないってこういうことだ!!いけーーーーー!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の圭吾さんの記事へのお返事です。

おはようございます!!たとえ夜でも!!細胞はこの瞬間も生まれ変わっているならば、どれかひとつの細胞にとっては「おはようございます」が正解であることを信じて・・・おはようございます!!私も毎日絶好調です!!普段人間が使っている能力って、たかだか全体の10〜20%って言われますよね。ならばこそ、眠っている80%の潜在能力に向かって本日も「おはようございます!!」と言える自分でありたい。

おはようございます!!もちろんおはようございます!!おっしゃるとおりおはようでございます!!挨拶さえ自由にできるっていいですね!時差を逆手に取って、むしろそこから好きな理屈で勝手度を増す。圭吾さんは、こういう発想の転換がいつもポンポン湧いてきますよね。頭が軽くて、わたしの突拍子のない提案にいつもトンチを用いて対応してくださるところが大好きです。頭も軽く、腰も軽く!軽い男子は素敵なのだと思います。羽のように軽い、羽男子!逆に、頑固頭で腰を上げるのも重い石男子は個人的に嫌いです。言葉の通じない外国人でも、羽男子なら何らかの方法でやりとりできます。しかし石男子は日本語が通じてもコミュニケーション断絶を感じます。

男性の面白いところは、「お前が石男子なせいで頼れねえぞ!」と言うと、魔法でもかかったかのように脱石してすごい頼りがいを見せてくださるところです。石の中に、女が蹴飛ばすと「お呼びですかなお嬢さま」と言って出てくるヒーローを隠しもっているところです。だから、いい女とは石男子を蹴りとばしたい衝動を持っている暴君女なのだと思います。女の恋心には、「お前の石をかち割りたい」という暴威が内包されているのだと思います。それは言い換えれば「あんたが隠し持っているそのヒーローが見たいんだよ!!」ということなのだと思います。だから割るしかない。そこは蹴っぱくってかち割っていくしかないのだと思います。外側の石に致命傷を与えないと、ヒーローなんか出てこないからです。蹴ったりしたら嫌われちゃうだとか、品がないと思われちゃうとか、ワガママだと思われちゃうだとか、ましてや蹴り上げたらスカートの中が見えちゃうだとか、んなこと言ってっからあんたの男はいつまで経っても石男子なんだぜ、女で生まれたってことはあんたも致命傷を与えんの大好きなんだろ?!と思っています!(嗚呼!!

眠っている80%の潜在能力に向かって本日も「おはようございます!!」と言える自分でありたい。自分の全部を使い果たして死にたい。メシ、風呂、寝ると同じレベルで「死ぬ」が常用語になっている我々ですが、好きです。俺、この人生が好きっす。毎日死んで、毎日生まれ変わりたい。昨日までの自分は全部嘘です。あんなもの、ゴミ箱にポア!!です。

昨日までの自分は全部嘘、あんなもの、ゴミ箱にポア!!こう言えるって最強の羽男子だと思います。うなりました。これまでの自分を正当化しようとする心って、自分を停滞させますよね。わたしは自分が停滞したときに自分自身にイラつきます。そんなときは、それまでしてきたことを正当化しようとすることをやめて、あんなものは過去だ、あっさり捨てればいいと思うと身軽になります。わたしがイタリアに来て嬉しく驚いたことのひとつが、イタリア人たちに感じられたその身軽さでした。彼らが少し前までなにかを力説していたのに、ちょっと経ってからあっさりとそして堂々と意見を変えることに驚いてそこを突っ込むと「さっきは本気でそう思っていたんだ、でも変わったんだよ。だから伝えているんだろう?」と、むしろこちらの石頭をあしらわれるということを何度も経験しました。そのたびに、日本ではこの「コロッと意見を変える」ということを蔑視する空気があって、自分がそれに染まっていたのだと痛感しました。「考えが変わりました!」と堂々と説明できる人でありたいです。圭吾さんにはいつもこれを感じます。考えてみればわたしも、石頭よりも変幻自在であることに憧れます。

僕をスミスと呼んでください(ドラクエ5参照)。腐った死体ってすごくて、ザキ【死の呪文】やメダパニ【混乱させる呪文】がまったく効かないのです。なぜならば、とっくの昔に死んでいるし、とっくの昔に狂っているから!!すごくないですか、これ!!無敵!!しかも、スミスの特技は「なめまわし」とか「どくこうげき」とか「どくのいき」とか、基本的にキモいです。生々しさが凄い。今日から俺はスミスだと思えば、無敵です。僕をパーティーに加えてください!

ここが、何度読んでも笑いが抑えられません。パーティーを組みましょう!
腐った者の、なめまわしの攻撃を主体とするパーティーです。舐め回す行為はときにキモく、ときに愛撫になります。猫も牛も、他の動物は自分や子どもや他の動物を舐め回しますよね。撫でる効果を持ちながらの「お前の表面にあるものを俺の体内に取り込む。そして俺の体内にあったものをお前の表面に塗る!」という一方的で献身的な交換の行為です。免疫力の押しつけ。これは攻撃なのか愛なのか。もはやその境界が崩壊しています。

わたしたちは、生きていて完全に清く、完全に今ここにいて、完全な愛にはなれないのだと思います。いつもどこかスミスです。少しでもスミスなら、それはもうスミスなのだと思います。ごまかしてもスミス。いかんせんスミス。「わたしは腐ったところがあり、狂っています。すぐに舐め回します。したがってスミスです。え?スミスってなにかって?腐った死体ですよ」と言えたら、人生なんと気楽なものでしょう。わたしもこの往復書簡で、わたしはすぐに滞って腐りますので臭いですと書いて、さらに寝付きが良くなりました。常に汚物を排出し、体内ではたくさんの無垢な菌類を殺し、生きるために食べて、身勝手できないと苦しみ、すぐに悩んだり自分を正当化しようとする軟弱で腐った自分は、スミスと名乗ると心から爽やかです。

なめると言えば、壇珠さん、聞いてください。私は完全素人の状態で一年前に音楽をはじめたのですが、開始当初は音楽関係者から「お前は音楽をなめているのか」と言われました。へたくそなお前に音楽をやる資格はねえと言われたのです。私は、これを戦いのゴングだと解釈し「これはもう、令和おしゃぶり合戦ペロペロである(平成狸合戦ぽんぽこ参照)。どちらが最後までなめ抜けるかの勝負だ。」と思いました。お前は音楽をなめていると言われたとき、私は、そう言ってくる相手に「お前は俺をなめている」と思いました。俺をなめるな。人間をなめるな。お前が俺をなめるなら、俺は音楽をなめてやる。どちらが最後までなめ抜けるかの勝負、やったろうじゃねえかと思いました。他にも、別の人からは「お前は世の中をなめている」と言われました。スミスの得意技は「なめまわし」なので、そうだ、その通りだ、俺は世の中をなめまわしたい、俺はそれがやりたかったのだと思いました。

なんか攻撃的に見えてしまうと思うのですが一切気にせずに書いてみますと、「音楽をナメるな」と言う人は、音楽のほうから「あんたあたしの何なのさ」「頼んでねーし」と思われていると思います。「音楽に対して真剣になれ」と言い換えたとしてもやはり音楽のほうから「は??こちとらあくまでも人類が楽しむためのものなんですが」と思われていると思います。世界も人生もそうで、「世界をなめるな」「人生をなめるな」と言う人は、世界や人生から「え、いや、楽しんでもらっちゃうほうが嬉しいんですけど」と言われていると思います。それに対してなんと答えるのだろうと思います。

圭吾さんが以前から「お前は世の中をなめている」という趣旨の攻撃を全身に受け続けていることは存じておりました。だから、往復書簡を始めるときに、わたしもその一味だと思われるんだなと思いました。そこでここに明記しようと思うのですが、一味です。わたしは別に世の中をなめているわけじゃないんだけど仲がいいですという立場ではなく、一味です。わたしも生きることはゲームだと言ったときに「あんたはなにもわかっていない。ゲームなんかじゃない。みんな真剣に生きているんだ。わたしだってそうだ。ゲームなどと言われると不快だ」と言われたことがありますが、「ゲームじゃないんだと思いながら生きるゲーム」をしているのだと思いました。

我ら、叶姉妹ならぬ「化膿姉妹」ですね!!うわー!!楽しい!!僕が美香さんをやります!!生態系に一役買ってやりましょう!!自ら率先して汚れ役を買って出る人間には、永遠に汚れることのない「美しさ」があると思います。

ぶばああああああ!!叶姉妹ならぬ「化膿姉妹」!!わたしは叶姉妹が大好きなので、楽しすぎます!!ではわたしは化膿恭子をやります。生態系に身を投じましょう!できないことなどありません。そのときは化膿姉妹は可能姉妹と書くこともできるのだと思い出しましょう!わたしは、たくさん語弊のある表現ですが、貧困や病気や不遇を不正解だとは思いません。豊かさや健康や幸運だけを正解だとは思いません。大変な境遇にある人を、それをこなせるだけの強い魂だと思います。そのおかげで、その逆もあるのだと。反対も然りで、豊かな人がいてこそ貧困を経験できる人がいる。もうそう考えると正解も不正解もどっちが上も下もありませんよね。汚れ役を演る人は、誰かが清いことを支える一要素だと思います。孤立したものなどどこにもないのだと思います。これは自分にも言えることで、自分に汚れることを許すと、自分に汚れることのないところがあるのを発見するのだと思います。

結婚も「なかなかしたいとは思えない」と感じることが多かったです。理由は「なんだか苦しそうだから」というものが多かったのですが、壇珠さんの経験談は、なにかこう「あれ、そっちの道も案外楽しそうだ!」という気持ちに僕たちをさせてくれます。こうあるべきの呪縛から解き放ち、こういうやり方もありだよ、自分はこんな感じでみんなとは真逆だったよ、と、新しい価値観(?)に触れさせてくれます。本当、もう、生まれてきてくれてありがとうございます!!!

こちらこそ、あああありがとうございます!!汚物のおぶっちゃんをもちあげていただき、つまりおぶっていただいて、嬉しすぎてアラレちゃんみたいに走りたくなります!こんなふうに書いたらどこかからこっぴどく怒られてしまいそうですが、結婚はわたしにとってはブログを書くよりもずっと簡単なことだったのですが、簡単すぎて逆に難しいことなのかもしれませんね。どんなパスタよりも、最もシンプルなアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ(にんにくと唐辛子とオイルだけのパスタ)を上手に作るのが難しいように!結婚自体は紙を書いて提出するとできますし、解消はやはり紙を書いて提出するだけなので、そこに重さをもたらすものはすべて我々の頭の中にあるんですよね。わたしは、結婚しないのもまたほんとうに素晴らしいことだと思います。

結婚といえば、結婚に運命の人との出会いだとかいうロマンチックな意味をくっつけたがる人が多いですが、わたしは結婚した相手と、映画館でたまたま隣り合わせになった人や電車でたまたま目の前に立った人との運命的な差がわかりません。「世界中で何億人も異性がいる中でその人と結婚したのだから、やっぱり運命の相手なのよね」とかいうふうに言われると、そう考えるのは素敵だし言いたいことはわかるのだけれど、その思想を持っていると重くて大変そうだと思ってしまいます。世界中で何十億人もいる中でたまたま隣りに座った人もすごい確率だと思ってしまい、そう思うとすべての事象が運命的、すべてが奇跡的になっちゃうのでそれとの差が見いだせなくて「たまたまだよ」と言ってしまいます。わたしにとっては、たまたま自分にとっていい匂いの男性と仲良くなったり頭にきたりして住まいなどなどを同じにしてまで関わってみたいと思ったというだけでした。それで紙にサインしてゴーです。家名を背負うだとか、幸福になるだとか、前世からのなにかとか、天国で決めてきたことがどうだとか、運命がどうだとかいうことを考えて結婚したことがありませんでした。こんなことを書いて、大丈夫なのでしょうか。神聖な結婚をなめるなと言われるのでしょうか。結婚が神聖なのではなくて、すべてがたまたまで、そのたまたまでできているこの世界がそもそも神聖だと思います。だから、結婚しない人も神聖だと思います。

時折「坂爪さんのように、自分ももっとわがままになりたい」というお声をいただくことがあるのですが、正直、あなたはすでにわがままなのだと思います。わがままになりたいと願うことは勘違いで、あなたはとっくの昔から「わがままで強欲な人間」なのだから、そこを認めて、ただ、そこを解放するだけでいい。真面目で謙虚でいい人を演じたがる自分をぶちのめして、自分の『その部分』を認めやがれ、と。本当は色々思っているのだろう、と。本当は自分はもっとできるってことを知っているのだろう、と。見せてみろよ、お前を。遠慮はいらねぇ、出してみろよ、もっと生きてみろよ、と・・・!!!

はい!!もう、狂おしく、はい・・!!どうすればいいのでしょうか、はい×億千万です!!これはつまり、「お前はすでにスミスだ」ということですよね!もっとわがままになりたい、と言う人には、ではあなたは今なんなのですかと問いたい!「わたしはわがままではないのです」と言うのでしょうか。嘘をつきやがれ!(興奮すみません)ではなぜ坂爪さんのようになりたいと思うのでしょうか。そこがすでにわがままなのですから、もう合格なのです。静かに『スミス』という名札を作って自分につければいいんです。自分の中でただ、発想を逆転してしまえばいいのですよね。きっとわがままになることを望みながらわがままを出せずにいる人は、ほんとうは「わがままになって、なにかを手に入れたい」と思っているのだと思うんです。だから踏ん切りがつかない。「なんの得があってわがままになどならなきゃいけないんだバカバカしい」と思うから、外から得が入ってくることを狙っているから、閉じ込めちゃうのだと思うんです。でも、スミスになって感じられるのは、自分にあったんだ、入ってくるのを望んでいたけど、出してみたらわかった!自分にすでにあったんだ!という発見だと思います。

自分がバカ殿になると、誰かがバカ殿になることを許せます。あるよね、と。人間ってバカ殿になりたくなることがあるよね、と。とりわけ、世の女性陣(とりわけお母様方!!)にそれを言いたいと思います。こどもたちから「お母さんがおかしくなっちゃった!」って、心配されちゃうくらいのことをやったときに、案外すべてはスムーズに流れ出す気がしています。

わたしも、親のバカ殿ご乱心は嬉しいです。わたしは小学生のころに、父のせいで人生が辛いと嘆く母親に「離婚して家を出て、好きな人を見つけて一緒にいればいいんじゃないかな!!」と提案したら、何言ってんだ、子どもがいるからできやしないと言われて、とても悲しかったのを覚えています。わたしは「嘘だ、自分ができないだけのくせに」と思いました。楽しく生きてほしいと心底思って言ったのに、それが自分のせいでできないと言われてどうにもならないジレンマと無力感を感じました。子どもって、そういう母親の我慢を読み取っているし、それがなにより辛いことだと思います。あのときただ胸いっぱいに「俺の愛疑いやがって」という思いがあふれました。

「俺は不幸でいいんだ、子供のためなら構わない。だからお前は幸せになってくれ」と母はよく言っていましたが、ただ無力感に襲われるばかりでした。もしお母さんが楽しいのなら、子供はそれだけでハッピーだと思います。不幸でいられてもなにひとつ嬉しくなどなくて、そんな犠牲者の母よりも「あの意地悪ババアめぶっ殺してやる」などと言い、怒りすぎて拳を握ってその拳に噛み付いているときの乱心した母を見るほうが嬉しかったです。

具体的に言えば、私は永遠に公園で遊べる女性が好きです。なんでもない道の「面白いポイント」を探しながら永遠に散歩をできる女性や、大型ショッピングモールで悪態をつきながら各店舗を回るという『遊び』を楽しめる女性が好きです。おしゃれカフェもいいですが「うまいものを食べるより、いかにうまく食べるかだろ」を重要視したいので、高級ホテルのラウンジで一杯1500円のコーヒーを飲むだけではなく、誰もいない新潟の海にシートを広げてコーヒー豆を手動ミルで挽きながら「風が気持ちいいね」とか言いつつその辺の水道水をキャンプ用バーナーで沸かして淹れたコーヒーを味わいながら楽器を弾いたりお昼寝をする、それが可能な女性が好きです。

わたくし化膿スミス、これのぜんぶをやってみたいと思いました!奇天烈なデートを決行し、YouTubeの化膿姉妹チャンネルで配信したいと思いました。ぜんぶ面白そうですが、悪態をつきながら各店舗を回る、これは一緒にやったら腹筋が崩壊すると思いました。移動は道の面白ポイントや目に入るものすべてに皮肉ポイントを見つけて突きながら歩き、締めが水道水ミルコーヒーで勝手に作曲、そして演奏、だと最高ですね!いつか連れて行ってください。それから、毒出しデートなるものをご提案させてください。ただいっぽうがいきなり指定したものについて、もういっぽうがなにかおかしな点や気に入らない点を無理やりみつけて、それに対するアドバイスを即答するというものなのですが、これはきっと圭吾さんとやったら爆笑の連続だと思いました。なにが嫌なのか、なにをどうジャッジしているのかをさらす力というのは、互いの腐敗力、スミスレベルを試されるものであります!

男は女をけしかけて、女は男をけしかける。一緒にバカ殿になりながら、自分の理想を、そして『自分たちの理想』を実現させていく。小生、そんな関係性が大好きです!!!

この、けしかけるというのがポイントですよね!強気にそそのかして、エイエイ!YOUもっとバカ殿になれんじゃないの?!もっと破廉恥に、もっと横暴になってみなよ!と言い合えるって、最高の間柄だと思います。それってつまりは、コアの部分は穢れなき魂なんだから、表面がどうだろうと笑い話だろう?!ということを誘い合っているのだと思います。みんなどうせ穢れてなどいないのだから、どうせ単体で存在などしていないのだから、自分の食らった歪みを明かしても大丈夫。ただ可愛いだけだと思います。天体がそれぞれあの位置にあり、地球には重力があって、海があって陽が挿して、それぞれの国があって、それぞれの人が生まれた落ちた環境があって、その人はそのすべてに適応していて、今という一瞬に、自然の要素としてそこに存在していることを忘れないでいればいいだけだと思います。それをひっくり返したら、あなたがいるから、あなたの世界にあの月がある。一体この世界のどこに、切り取って離すことのできる罪や恥があるのでしょうか。ああ、世界に一日でも、歪み解放デーがあったらなと思います。自分はめちゃくちゃ歪んでいます!なぜなら、こういうことを思ってしまうからです!腐っています!とみんなで打ち明けあって、「わかるよー!」「笑った!」「よく言った!」「無垢に生まれた俺たちに、そういう歪みが起こる世界だよねー!」「ありがとう!」と笑い会える日。いつか未来にはそんな日が来るといいなと思います。さすらば2020年現在、いいねもつけがたいほどの狂人書簡によって自ら腐ったスミスを名乗り、誰かを鼓舞したいと願っていた死後の我々に、静かに無名の勇者の名が与えられるのかもしれません。

【Twitterもよろしくね】

【オフィシャルサイトが新しくなりました!】


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)