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744/1096 望みが執着になってしまったときの必殺技

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で744日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

744日目。好きでやっている戦争ゲームが世界中のプレイヤーとつながることのできるもので、そこでのやりとりにはあらゆる言語が飛び交っている。頼りない翻訳機能もついているものの、しっかり把握するには自力での翻訳が不可欠だ。わたしは、同盟国の人々との協力をはかりたいし、自国の発展のためにも情報が欲しく、そのために知らない単語や言い回しを理解しようとして言語の勉強をしてしまう。なんと良いことだろう。

協定を結んでいる国々との争いを避けるためにも言語は学ばねばならないし、簡略化された環境とは言えひとつの国を回していかなくてはならず、資材生産や人材確保や教育のためにゲーム内での経済をやりくりする必要があり、投げ出さずにじっくりと取り組む根気もいる。それをするうちに、自然と実際の世界の政治や経済に、以前よりもずっと興味を持つようになってしまった。わたしは以前からいくつかの国際ニュースを扱う英語のメディアにササーッと目を通すようにしていた(ボキャブラリーの低さとの戦いですがw)のだけれど、政治や経済系のニュースへの興味はササーッとしすぎて見ていないに等しい日があった。でも最近は、ゲームの世界と同じ感覚で、他国の状況を知ることに俄然興味が出て、単語を調べるのが面白くなってしまったのだ!

ゲームと聞くと無条件に、ただの無駄、どちらかと言えば良くないもの、という反応を見せる人が多い。実際にわたしがフェイスブックで「わたしはゲームが好きで、ゲームに時間をあてている」と書いたときには、当然のごとく「なんてもったいないことを…」と、時間の無駄を指摘する意図でコメントをしてきた人もいた。でも見方を変えるとそんなこともないのだ。

たとえばわたしにとってみれば、英・伊単語を覚えたり、推理力・理解力を上げるゲームをすることだけでなく、そのために最新のデバイスやアプリに触れている必要性があることで、そこから触れる情報による恩恵も大きい。そのためにキープされているものがある。たとえば、そこからニュースサイトの信憑性を検討する情報を得たり、翻訳をサポートするアプリを乗り換えたり切り替えたりもする。それはもちろん楽しくのもあるけれど、わたしはこうしていることで、情報弱者にならずにいられる。情報から遠ざかっていてももちろんのことそれ単体が問題なのではないけれど、わたしは個人的には世界の情報を知っていたい。海外に住んでいることもあり、いざというときの対処力や機動力にプラスになるのも嬉しい。

この毎日投稿も、スキやコメントなどの反応によって、自分の発するもののうち、どんな情報が好まれるのかということがわかってくるという面白みもある。たとえば料理が好きな人は、そのために頻繁に自分の足で食材を買いに行くとすると、食材店に行くことで適度な運動をしていたり、そこで常に他の人々の様子を知っていられるなどのメリットを生み出していたりする。

好きでやっていることが、意外なことで自分の実になっていることに目を向けると、モノの見方を変えることに役立ちますね!

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みなさんは、望み通りの人生を歩みたいと思いますか。わたしは個人的にはそうは思いません。なぜかルパン三世の声で「そ~~れじゃあつまんねえよなあ銭形のとっつぁん」と脳内再生してしまいます。なぜだ!!

自分の頭で考えた望みの通りの人生ってつまらない気がしてしまいます。あっと驚くことがあったり、想定外だったりするのがいちばん好きです。人生について「一寸先は闇」と考えて、それをひげダンスをしながら面白がれる感じのほうが好きです。自分自身が、自分を振り回す不二子ちゃんであってくれればいいと思います。同時に、惚れた弱みでそんな自分を愛していられるルパンでいられたらいいなあと思います。不二子ちゃんみたいにワガママに身勝手に。そしてルパンのように心広くおおらかに…!!

それから、自分と自分が、銭形とルパンのように、正義よりも遊び心が勝つ間柄だといいなあと思います。他にも、自分が自分に無条件に生命を賭して協力する、五右衛門や次元でもありたい。ひとりルパン三世ごっこができたら、楽しいだろうなと思います。

でも、現実の人生を歩むうえで、ある程度はやりたいようにできたり、ある程度は欲しい経験ができるのが良いと思うのです。なんでも程度問題ですよね。

ところで、わたしたちがなにかを望んでいるとき、単に望んでいるだけではなくて、「そうならなきゃ嫌だ」と考えてしまうことがあります。

どちらも同じことでは?と思うかも知れませんが、それらは正反対と言えるほどに大きく違うのです。

わたしたちがなにかを純粋に望んでいるときは、それが叶った感じを思っては喜びを感じているのですが「そうならなきゃ嫌だ」と思っているときには、叶わなかったことを案じて苦しんでいます。同じことのように見えても、感じていることが反対なのですね。

言わずもがな、叶わなかったことを案じて苦しんでいるよりも、叶ったらいいな!と喜んでいるほうが良いのですね。では、この叶わなかったことを案じる苦しみにハマってしまったときは、どうすると良いのでしょう。

それは、「そうならなくてもいい」と思うこと、なのです。
もっと強力なのは「今それが叶っていないからこそ受けられている恩恵に気づく」ことです。心情的には難しいかも知れませんが、そこに覚悟を持った人はそこから抜け出します。これが、その苦悩を超えるための『鍵』だと言えます。これって、言い換えると”執着を捨てる”ということですね。

望みを持ったとき、その望みをダイヤモンドだとします。
ダイヤモンドを見て、「うわあー綺麗!!」「素敵だな~あったら嬉しいな~」と思う。それがその望みを通して純粋に喜びを感じている状態です。

でも、そのダイヤモンドを見るうち、「手に入れられなかったらわたしは不幸だ」「誰にも渡したくない」「手に入れてから盗まれたらどうしよう」「持っている者が憎たらしい」などという考えが湧いてきたとき、それを執着と言います。

この執着って簡単に湧いてきてしまうんですよね。なので、それを中和するにはやっぱりちょっと、意志の力が必要です。まずもって、放っておいてもなくなってくれないので、そこは自分で中和しちゃうのです。

そのために良いのが、純粋な望みの方の喜びに何度も意識を向けることを反復して、しつこさで勝つ!!か、「そうならなくてもいい」と覚悟することを反復して、しつこさで勝つ!!か、もしくは「逆に得ている恩恵にまで目を向ける」ことです。粘着質にいきましょう。こういうときにこそ、ネチネチとしつこく、陰湿に!笑

執着…があっても放っておいて嬉しいことを考える。執着…があったら「そうなったっていいわい!」と覚悟する。これらのボディーブローで打ち勝つ。これですよ奥さん!!一回一回の威力が弱くても、反復がなによりも強力です。

そうしていると、気づけばもともとの執着から抜け出しています。
すると問題だったことが分解されていたり、望みが叶ったり、別の望みが出てきたり、状況が変化するということが起こります。すごいコツですよね。無料記事にしちゃいけないやつです!

というわけで、今日は望みが執着になってしまったときに取りかかれる必殺技についてのシェアでございました。ピンときた人はどうぞ役立ててくだされ!

それではまた、明日ね。

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