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947/1096【質問回答】完璧主義で生きづらい

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で947日。
※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

947日目。いきなり変なことを言いますがね、自分には「理論的に頭を使うと、色事について考えたくなる」という法則が働いているように思う。左脳を使うと右脳を使いたくなる。人の身体は、常にバランスを取ろうとするようだ。

男性は戦争をすると女性が欲しくなるのではないだろうか。つまり、左脳で戦略を練ると、右脳で本能に従ったことをしたくなる。『英雄色を好む』のはこのためではないのだろうか?!

これを逆に考えてみると、世の中を常にエロスの世界として見ているような人は、いつだって好きなだけ理論的なことに取り組めるということになる。

つまり、色を好む人ほど逆に、いつも戦略的・理論的でいられるのかもしれない。色っぽい女性ほど、テキパキと並行して家事を進めたりできる。

とまあこのように、仮説が浮かんでくることってよくある。そうするとわたしは、裏付けられるデータがないのかをものすごくしつこく探そうとするのだけれど、そういうときに大事なのが、セルフでディベートをする力だ。自分の仮説に対する反論について、裏付けるデータを探すこと。反論が勝つことも多いが、残念ではなく、むしろ主観を捨ててよかったとホッとする。

こうして、自分の考えに対して自らがフェアな審判でいられると、人は気分が良くなる。逆に、自分の感情に味方をして、そちらだけを見て「絶対そうだもん!」とやっている時などは、そんな幼稚な自分に非常に情けな~い気分にならないだろうか。

その嫌な気分は、積もってくるとセルフイメージを落とすので、できるだけ自分の説を反証できるくらい冷静でいたいと思う。この冷静さを持つためのケアをしていると、ものを観る目をクリーニングできますね。

この毎日投稿についても、「三日坊主を直すぞ」という意気込みで始めて今日でもう947日目にもなるけれど、「三日坊主を直せると考えること自体がそもそもおかしい」という可能性について、いつも検討している。今のところ、反論側が正しい様子だ。動機としてはある意味で間違っていたということ。(もちろん、たとえ間違った動機だったとしても、勢いで始めたおかげで数々のメリットもありました)

三日坊主というのは歪みのように直せるものというよりは、一度踏み入れて広げてしまった領域だ。自分は、三日坊主に堕ちることを自分に許してしまったことのある人。三日坊主について、バージンではないということ。そこは今後もいつだって、歩いて行ける地続きの場所。これは元には戻らない。

なので、一度でも三日坊主になった人は、その味をしめてしまった人間だ。一度でも人間を襲ったことのある熊のように、もう一度それを犯すのはいつだってできる容易いこと。覚えちまった味なのさ。

毎日書いているということは、三日坊主に戻らないという証明にはならない。三日坊主に堕ちた人間が勤勉にしている間というのは、その熊が人間を襲うのを控えて、おとなしく森の中で暮らしているのと変わりがないのだ。それを身をもって実感する。

なのでわたしは相変わらず、三日坊主の怠惰の味を知っていながらにして、理性を保って毎日書いているだけ。禁煙中でタバコを吸っていないスモーカーみたいなもの。わたしはもう三日坊主ではなくなりました。勤勉な人間になったのです、と言ったら嘘。「わたしは毎日なにかを継続することができる三日坊主です」が正確なところなのだ。

「わたしは女好きですが浮気をしない男です」
「わたしは甘いものが好きですがダイエットのために食べない女です」

みたいなね。でももう、堕ちずにいるほうが気分が良くなってしまったよ。
妻だけを愛しているのが、スリムでいるのが、短絡的な関係に溺れたり太った後悔をするよりも気分がいい、という感覚と同じなのだと思う。

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潔い一行。そして、質問箱なのに質問ではない…!笑

ということは置いておいて、質問ではないのでなにも訊かれてはいないのですが、『完璧主義』について勝手な持論を展開したいと思います。

わたしも以前、自分のことを『完璧主義』だと思っていました。そして、あるときそれを止めました。やめるときに気がついたことから、わたしは完璧主義という表現には語弊があるものと思っています。

なにかをやめるときって往々にして、やめようと思っていた対象がそもそもやめられるものではなかったり、その対象の捉え方がそもそも間違っていたりするものですが、『完璧主義』についてもそうでした。わたしは、自分が完璧主義などではなかったのだと気がついたのです。ではなんだったのか。

『完璧主義』ではなくて、『ダメ出し中毒』です。

完璧主義というと、完璧だと思えるまでOKを出せない人、ということになります。しかしこれは言い換えてみれば、完璧だと思えればOKを出せる人、という事になります。これは悩みになりません。完璧だと思うときに認める。ということに苦しんでいる人はいません。

完璧主義に悩む人って、完璧だと思うときに認めるのではなくて、その反対で完璧だと思えるときが来ない人。つまり、ダメ出しをやめられない人。”いつまで経っても完璧と認めることができない人”なのです。

自分のやることなすことに、どこまでもダメ出しをしてしまう。
本当に完璧主義な人が、どこかで「これで完璧と言っていい」という決断ができるのに比べ、どこまで行ってもその決断を下せない人なのです。
完璧を決めることから、逃げている。

なぜその決断を下せないのかと言うと、自分で決める力が育っていないからです。見切りをつける力、踏ん切りをつける力がない。これは、失敗への恐れからくるものです。自分の言動に、自分で責任を取りたくないのです。

こういう人は、完璧主義と言いながら、実は完璧へのこだわりは少しもありません。自分で決められないだけで、他者が「これで大丈夫だよ」と言ってくれると、簡単にそれに乗っかってしまいます。なぜなら、責任を取るのはその人だから。自分で決めたわけではないので、その後その決断による影響のゆくえを見守る必要もなく、それがうまくいかなかったときにだけ人のせいにすればいいので非常に楽なのです。

つまりこういう人は、ひと言で言うとまだ心がひ弱なのです。

完璧主義で困っていると言う人は、高確率で優柔不断です。完璧かどうかではなくて、自分の気持ちが納得しているかどうかしか気にかけられません。逆に言うと、自分さえ納得していればいいので、なにかを決断するときにはものすごく身勝手なことになってしまうのです。完璧を意識して、状況を公平に見て、感情に囚われすぎずに選択するということが苦手です。完璧主義というのは勘違いで、一番ダメな選択をしてしまうことが多々あります。

完璧主義だと思って悩んでいる人って実は少しも完璧主義なのではなくて、むしろその真逆で、「完璧をどこにも見いだせない人」だと思ってみると、自分のことを正しく認識できます。

なので、完璧主義に悩んでいる人は、本物の完璧主義を目指したほうがいいです。

どこで、なにをもってして完璧と言うのか。それを自分でちゃんと決めてください。そして、そのルールに自分で従って、逃げずにどこかで自分なりに「これで完璧ということにしよう」と決断してみてください。それを、小さなところからやっていくのです。

するとわかってきます。この世には、完璧なものってどこにもないのだと。
完璧なんてどこにもないので、本物の完璧主義たちがやっているのは、どこかで「これは完璧だ」と決めるているということにすぎない。完璧といっても、それはどこまでも主観的なことなのだとわかります。ただの決断だということ。ダメ出しをやめられない人は、自分の主観的な考えに、いつまでもOKを出せずにいるということです。

物事が決められるようになってはじめて、自分の世界が自分のものになるんです。その決断力を育てるプロセスって、ものすごく楽しいですよ。自分の決めたことで、自分の人生を創っていく喜びがあります。成長の喜びが大きいので、これから是非にもそれを楽しんでください。

「ま、ここでいいとしよう」「今のところはこれで完璧だ」「もしもこれでダメだったら、そのときはなんとかしよう」「この範囲のことなら大丈夫」

自分で決めて生きるとなると、自分で責任の取れる範囲のことに取り組んで生きていく必要があると本当にわかります。等身大の自分が取れる責任の範囲を認める必要がある。そこで等身大になった人は、自分で自分のことが信頼できます。気持ちよく生きられます。自分で自分を育てる術を得ます。

するとね、未来が楽しみになってくるんです。自分の行動に責任が取れると、リアルな希望が湧いてくる。自尊心が高められ、下手に引き寄せの法則のマネごとをするよりもずっと着実に、未来を楽しみにできるようになりますよ。誰が決断してくれずとも、誰が責任をとってくれる態度を示してくれずとも、自分で未来を創って良いということがやっとつかめるんです。

自分で完璧を決めるということは、自分を認め、諦め、許すこと。自分で自分の決断に責任を持つということです。

自分に対して「好きに決めなさい」「いざとなったらアタシがなんとかしてあげるから大丈夫よ」と言ってあげるということ。
自分なりに楽しんで、本物の完璧主義になろうとしてみて。

さて、長くなったので今日はここまで。

それではまた、明日ね!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)