『本屋の新井』
息子が1歳になるかならないかの頃、近所の地区センターにある小さな図書室で、本を予約したことがある。
好きな作家の新刊小説だった。本が届いたと連絡を受けたので、息子を抱っこホルダーに入れて取りに行ったら、受付の女性にこう言われた。
「赤ちゃんがいるのに、予約してまで本を読んでいるの? あなた、エライわねぇ!」
妙な気持ちになった。
もちろん、その受付の女性にはなんの非もない。孤独な密室育児の最中、優しい声をかけてくれたのはとてもありがかった。
でも、褒めてもらっていることがなんだかきまりわるいような思いがしたのも本当で、この落ち着かない気分はなんだろうと思いつつ、私はそのことをそれきり忘れていた。
三省堂書店の新井見枝香さんの2作目エッセイ、『本屋の新井』を読んだ。
帯に「本は日用品です。だから毎日売ってます。わさわさっと選んでレジにどん。それでいい」とある。
それを見て久しぶりにあの図書室での出来事を思い出し、「エライわねぇ」にもぞもぞした謎が解けた気がした。
そうだ、そうだよ、そうなんだよー!
私にとって本を読むことは……正確に言えば「本を読みたいと思うこと」は、エラくもなんともないのだ。読書は勉学ではなく娯楽寄りで、本はマグカップと同じぐらいごくごく身近な存在なのだ。
「日用品」。まさにそう。書店員さんがきっぱりと明言してくれたことで、すっきりした気分になった。
そしてそれは新井さんが、気軽に手にできていつもそばにある日用品の偉大さ、愛おしさを常に感じているからこその言葉だと思う。
『本屋の新井』に話を戻そう。
前作『探してるものはそう遠くはないかもしれない』も、とても面白かった。
なので2作目が出ると知ったときには、嬉しくてうずうずと待っていた。
そして発売日。まず本を目にした瞬間、「お?」と思った。
何が「お?」なのか。本書は左開きなのだった。
手にとってページをめくり、「横書きなのね」とテンションが上がった。
新井さんの書くWEBの文章に慣れているせいか、本書は横書きレイアウトがすごくしっくりくる。
鉛筆描きの章タイトル、それに合わせたような少しグレーがかった活字。
カジュアルな親しみやすさを持ちながらキリッと筋の通った文体にあまりにも似合っていて、読めば読むほど、読んでしまう。
少しずつゆっくり楽しもうと思っていたのに、我慢できず一気に読み終えてしまった。
出版業界誌「新文化」の連載エッセイやnoteの記事に書きおろしを加えたもので、テーマのメインは「本」あるいは「本屋」の話である。
一冊を通して、「本屋の新井さんの本や本屋の話」を読んだはずなのだ、私は。
なのに、読み終えて本と目を閉じたあと、まぶたの裏に浮かんでくるのは人の姿ばかりだった。
お客さん、同僚、作家……。それぞれの立ち位置から見ている景色が、新井さんを通して映し出される。もちろん新井さん自身から見えるビジュアルもだ。
考えたら当然のことかもしれない。本を書くのも作るのも読むのも、そして手渡すのも、みんな「人」なのだから。
新井さんは本が日常に作用するとてつもない力を知っている。
すべての本は「それを読んだあなたのために」書かれていることも知っている。
だから願うのだ。
「あなた」に届けたいと。
さらに特筆したいのが、寄藤文平さんのイラスト。
装画のみならず、ところどころに挟み込まれた挿絵もすてきで、ほんとうになんて贅沢な本なんだろうと唸ってしまった。
私が一番すきなのは、149ページのこれ。
そうそう、新井さんって、こんな感じ。寄藤さんは新井さんがバックシャンだということを熟知していると思う。
そして、大きな本を開くと本棚になっている表紙の絵は、くいしんぼうでお料理上手な新井さんが冷蔵庫を開けているところにも見える。
きっと新井さんはこんなふうに、今日はどれにしようかと本を取り出し、むしゃむしゃと美味しそうに本を読んでいるのだろう。そしてそれはなんら特別なことでもエライことでもなく、たんたんと流れる日々に組み込まれたデイリーユースなお楽しみに違いない。