【ショートショート】隣人のサラダ

出勤前の時間、多くの社会人で賑わう駅前のカフェ。寝ぼけながらモーニングセットのサラダを食べている時、『あ、これ隣の人のサラダだった』と気付いた。

しまった、と気まずい気持ちでをゆっくりと横を向くと、案の定、隣の女性も自分のサラダが無くなったことに気付いており、遠慮がちにこっちを見ていた。
気まずかったのか、それとも事を大袈裟したくなかったのか、その女性はぼくと目が合うと、『あ……。いいんですよ!』と言うように『差し上げます』のジェスチャーをして、食事に戻った。
いやいや、それならぼくの分のサラダを、と思ったが、自分のサラダがあったはずの場所にはペロリと食べ切った小皿があった。
なんと、ぼくは寝ぼけながら無意識にサラダを既に一つ平らげていたのだ。その上隣の女性のサラダまで奪ってしまうなんて、何と言う失態だ。
このままでは何だか申し分ないので、彼女にそれ相応の代金だけは払っておこう。
そう思って僕は財布からいくつか小銭を探したが、丁度100円玉を切らしていた。
まあ細々したのも恥ずかしいし、お詫びを兼ねて……と、ぼくは隣を向き、『ごめんなさい』のジェスチャーをしながら、500円玉を彼女の方へとスススッとすべらせ、差し出した。
彼女は驚き、『いやいや』と恐縮を表すようなジェスチャーをしたが、ぼくは『いいんですいいんです』と振り切るように会釈して、ささっと前を向き直した。
よし、こんなボケてちゃダメだ。しゃきっとせねば。と思い、ノートパソコンを開いてメールチェックをしていたところ、ススス……と隣から320円が差し出された。
320円。これは、もしかしてさっきのお釣りだろうか。
そんな律儀なことしなくても良いのに。というか、セットのサラダって180円なのかな。
僕は女性の方を向き、『いやいや』と差し出された320円を差し戻そうとしたが、女性は『ダメです』とノーセンキューのジェスチャーをして、微笑んだ。
そうして彼女は席を立ってしまった。
その日からぼくは、朝はしゃきっと起き、出勤前にモーニングセットを頼んで、彼女にサラダを返せる時を待っている。

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