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社会党を潰す一念で… 国民の足を奪った中曽根康弘 国鉄分割民営化は、国労を潰せば総評が潰れる 政府が今になって認めた旧国鉄「分割・民営化」の失敗

#国鉄民営化 #新自由主義


衆議院選挙が近いと言われる今、これ以上新自由主義を推進する政党の議席を増やしてはいけない。そして、その政策に追従する新興勢力もだ。


『#政府が今になって認めた旧国鉄「分割・民営化」の失敗』


【国鉄分割民営化は、国労を潰せば総評が潰れる。】

【総評が潰れれば社会党潰れる…今のような社会党になった。】

【私は、その一心で国鉄分割民営化を進めた。】

ー中曽根康弘ー


【注:中曽根康弘がNHKTVで公言したこの発言が国家的不当労働行為の証拠となった。】

「貨物も入れて7分割して、これが黒字になるか。なるのは三つで、他のところはならないと当時からみんな言っていたんです。鉄道関係者なら例外なく思っていましたよ。分割も反対、みんな突っ込みでやるべきと」——。

 これは2月8日、衆議院予算委員会での麻生太郎・副総理兼財務相の答弁だ。国鉄が解体され、「分割・民営化」でJR7社が発足してか↘ら4月で30年を迎える前に、財務大臣からこのような認識が示されたことは驚くべきであろう。政府が自ら今になって、「分割・民営化」は事実上失敗であったと認めたのだから。
「分割・民営化」が起因して約200人の国鉄職員が自殺し、国鉄からJRに雇用されず事実上の解雇処分を受けて「国鉄清算事業団」に送られた数が7628人。さらに、3年後の同「事業団」解散後もJR採用を求めて拒否された職員が1047人にも上った凄惨な状況だった。


社会党を潰す、その一念で国民の足を奪った中曽根康弘


「国家的不当労働行為」といわれた分割・民営化で1047人の国鉄労働者が解雇された。それから23年のたたかいを経て争議は「和解」に終わったが、その人たちの中曽根に対する怒りは沈殿している。分割・民営化は労働者だけでなく、同時に地方を切り捨てるものだった。ローカル線がずたずたにされた北海道ではとくにその被害は大きい。「戦後政治の総決算」を掲げ「新しい憲法を安置する」と語った中曽根元首相。


元国労稚内闘争団・田中博さん(北見市)のコメント>

 その場限りのウソ、言い訳、ごまかしの「小粒政治家」ばかりになる中で、中曽根は、本気の信念をもって日本に初めて新自由主義を導入した。それに対して、私たちは政治的なことは何も考えず、日々を淡々と生きることに費やしていた部分もある。もっと政治について考えて日々を生きなければならないということを反面教師的に教えてくれた。その意味では敵方だった自分から見ても「大した奴」だ、と思っている。だが、国鉄分割民営化で北海道のローカル線はずたずたになった。中曽根元首相の功績と思っている人たちは、北海道のこの現実を見てほしい。


自民党の嘘は今に始まったことではない

国鉄分割民営化・総評解散・日本社会党分裂に関して、レイバーネット日本は

―中曽根元首相が「国労つぶし」発言 レイバーネット日本


松原です。


11月20日のNHK総合テレビ、午前9時の番組で中曽根元首相が登場し、いろいろ発言 しました。そのなかで、国鉄分割・民営化に関して、意識的に国労つぶしを狙った ことを明らかにしました。以前にも中曽根はこうした発言を繰り返していますが、 今回は、よりいっそう露骨でした。


中曽根の発言は「55年体制(自社体制)崩壊は意識的にやったのか?」のNHKの質問 に「意識的にやった」と答え、続けてこう述べています。


「国労が総評の中心だった。いずれこれを(国労を)崩壊させなきゃいけない。民 営化で、国労が崩壊し、総評が崩壊し、そして社会党が崩壊した。一連でやったこ とで、意識的にやった」


国の最高責任者が、公共の電波であけすけに「不当労働行為」(労働組合法で禁じ られている組合つぶし)を意識的にやりました、野党をつぶしました、と言ってい るのだから、あきれてしまう。


私は、不法行為発言を垂れ流しチェックをしないNHKに対して抗議の電話をしまし た。担当者は「もしそういう発言だとしたら、ちょっとまずい」と答えていました。


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中曽根康弘元総理大臣の国鉄労働組合についての発言に関する質問主意書 2006年6月6日 辻元清美提出  質問第三〇六号

※総評とは………

日本労働組合総評議会とは、かつて存在した日本における労働組合のナショナルセンター。略称は総評(そうひょう)。1950年に設立され、日本社会党を支持・議員を多数輩出し、戦後日本における最大の全国的労働組合の中央組織・圧力団体であった。1980年代後半以降の労働戦線統一の流れにより、日本労働組合総連合会(連合)に発展的解消を遂げる形で1989年に解散した。←ウィキペディアより

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