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番外編:想定外はいつも隣にある…②

思ってもみなかった脳梗塞…。
母のは、アテローム血栓性脳梗塞という種類で
高血圧、糖尿病の人に多いのだとか…まさに…。

長い1日が終わり、家に戻るとぐったり疲れていました。
ひとり夕食を食べなたら、
「お腹が空いた」と言っていた母は、今、どうしているだろうと
可哀そうになりました。
私は、こうして家に戻れば、何もかもがいつも通りにあるけど、
突然、殺風景な病院のベッドで寂しい思いをしているのではないか?
またまた自分だけの世界に入り込んでしまうのではないか?
可哀そうに思うと同時に不安がよぎりました。

ワクチン接種済みであれば、1日15分のみ面会が許される個室。
もちろん、個室は自費なので、入院日数が長くなれば、負担も大きい…。
どうしよう?
母が加入している保険は、凄く古いもので、
入院5日目から1日につき3000円。
どうして、もっと入っておかなかったのかと思うが、
もともとが丈夫な人だったので、
ついついそのままにしてしまっていたのでしょう。

1日3000円では、とても差額ベッド代をカバーすることは出来ないけれど、
前回のことがあり、それを少しでも防ぐことが出来るなら、
差額ベッド代を出しても惜しくないと思いました。
1日15分だけでも、実際に顔を見て、その手に触れ、
目を見て話すことが出来るのです。
母にとって、それはきっとすごく大きなことだと思ったし、
その後の生活のことを考えれば、大した金額ではないと考えました。

そんなことを考えている間に、2日が過ぎ、入院3日目に、
病院から電話がありました。
「今日から一般病棟へ移られました」と…。
おまけに、個室は数に限りがあり、その時点で空きがなく、
4人部屋に入ったため、面会が出来ない状態となりました。

救急治療センターにいる2日間は、個室だったので、面会できたのに、
移動したために、突然、面会禁止となり、母は戸惑っていたと思います。
私は、まず、母に手紙を書きました。
面会出来なくなった理由、個室に「空き」がないことなど。
ノートも作りました。
表紙には、「毎日見るノート」と大きくマジックで書きました。
内容はというと…
・毎朝、今日が何年何月何日何曜日を確認すること。
・自分の名前、生年月日を確認すること。
・自分の住所、電話番号を確認すること。
・夕食が済んだら、私に電話をかけること。
その4項目の続きには、電話(らくらくスマホ)の掛け方を、
図入りで書き込んでおきました。

手紙とノートと、母の好きなお茶をポットに入れて、
一般病棟のナースセンターまで届けました。
そして、看護師さんに補聴器の付け外しや、電池の交換について
お願いしておきました。
補聴器は、付けているかいないかで、反応がまったく違うので、
そのことを本当に気持ちを込めて、看護師さんに伝えたつもりです。

当初、1週間から10日ぐらいと言われていた入院期間でしたが、
少し長引いていました。
その間、私は毎日手紙を書き、お茶を持ってナースセンターを訪れ、
母の様子を聞いていました。
大部屋に入って1週間ほどが経とうとしていた頃、
その日も病院を訪れ、帰宅すると、電話がありました。
「個室が空きましたので、今、移動しました」。
えっ?今、いったばっかりだけどと思いつつも、再び、病院へ行きました。

1週間ぶりに会う母は、やはり少し、ボーっとしているようでした。
私の顔を見ると「あぁ良かった。心配してたのよ」と言う母。
それは、こっちの台詞だよ!と思いながら、
「私は大丈夫だよ、お母さんは?ちゃんとご飯食べてる?」
「お母さんは大丈夫よ。ご飯が不味い、味はしないし、ドロドロしてて」
と、さっそく文句が始まりました。
脳梗塞で嚥下障害が出ているため、何もかもトロミをつけた食事になっていて、それが気に入らないようでした。

結局、個室での入院は、17日間続きました。
お財布事情を考えると、大出費ではありますが、
1日15分の面会は、とても大事な時間でした。
個室なので、わりに自由が認められ、
母の好きな香りのアロマでハンドマッサージをするのが日課でした。
マッサージ後、香りが残っている両掌で顔を覆い、深呼吸をして、
気持ちよさそうにしていました。

15分という短い時間のなかで、ハンドマッサージを行い、
補聴器のチェックをして、スマホを使う練習を行い、
その充電をチェックして…。
帰り際には、必ず握手をして「また明日ね!」と声を掛けていました。

看護師さん曰く、
「やはり、娘さんがみえると反応が全然違いますね」と…。
そうだよね…やっぱり、そうだよね…。
もう、ずっとこのまま個室でいい!
ここでリハビリもして欲しい!
そう思いました。

しかし、実際には、そんなわけにはいかず…。
リハビリ病院へ転院する日が決まりました。
12月19日。
その日を境に、もう面会することは出来なくなります。
転院先を探すにあたって、「面会」を重視したのですが、
現在のところ、面会が許されている病院はありませんでした。

ここで、小さな事件が発生しました。
3日後に転院を控えた16日、いつものように面会へ行くと、
ナースステーションで告げられました。
「実は、コロナが増えてきて、今日から個室も面会禁止になってしまいました」と…。
えーーーっ!嘘っ!
「でも、急に決まったことで、お知らせ出来なかったので今日はいいです。明日からは禁止と言うことで」と優しいような、優しくないようなことを告げられ、病室へ急ぎました。
まだ、3日あると思っていたのに、もう、今日の15分しかありません!
スマホの練習も完璧ではないし、あれもこれも…。
いつも以上にあっという間の15分が過ぎ、
明日も明後日も手紙書くからねと告げ、病室を後にしました。

転院前日の18日も手紙を届け、
そのなかに電話を掛けてくれるようにと書きました。
夕食後、電話が掛かってきました。
スマホの操作をしてくれたのは、看護師さんでした。
「明日、転院するからね!」と告げると
「あんたはどうするの?」とたずねてくるので、
「朝、迎えに行くよ。向こうまで一緒に行くから」と話すと
「良かった。待ってる」と言いました。

転院先の病院は、日赤とは違い、パジャマもタオルも自前。
持ち物には全て名前を付けて下さいとのことで、
100均で買ってきた名前シールを全ての持ち物に貼り準備しました。

当日、大きな荷物を抱えて母とともに介護タクシーで転院先の病院へ向かいました。
時間にして20分ぐらいの道中です。
実は、昨夜のうちに卵焼きを作り持っていきました。
道中、こっそり食べさせようと…。
卵焼きなら、手で食べれるし、柔らかいし、
何より母の大好物なので。
母は、嬉しそうに食べていました。
が、入院している間に食が細くなったのでしょうか、
一切れで「もうお腹いっぱい」と言っていました。

病院へ付き、手続きを済ませ、その場で母とはお別れです。
母に、「手紙持ってくるからね!」「頑張ってね!」
「早く帰ろうね!」「電話してね!」
思いつく限り、ありとあらゆる言葉をかけました。
車椅子の母は、そのまま病室へと向かっていきました。

実は、この病院は、以前、骨折の際にお世話になった病院で、
母が、その時、どうな状況だったのか、わかっていたことでしょう。
担当の看護師さんに、またまたお世話になること、重ねてここでも、
補聴器のこと、電話のこと、しっかりお願いしてから帰宅しました。

その日から、片道20分、手紙とお茶を届けるためだけに
病院通いをしました。
ほぼ毎日…。
電話は週に2回。
看護師さんが母のスマホを操作して掛けてくれました。
その他にリモートでの面会が週に1度可能と言うことで、
金曜日を予約しました。

木曜日が電話で、「明日はテレビ電話(母には「リモート」では通じません)で、顔を見ながら話ができるよ」と伝えると、
「ああ、楽しみ」と言っていました。
「今日は何をしていたの」と聞いた時には、
「塗り絵をしていたよ」と話してくれ、
意外にしっかりしていたので安心しました。

翌日、リモートの時間が来たので、繋いでもらうと、
なんだか眠たそうな母がいました。
大きな声で呼びかけても、ボンヤリとしていて、
話しかけても、あまり反応がなく、なんとか答えてくれる程度でした。
昨夜、あんなに楽しみにしてくれていたのに…。
モヤモヤとしたものが残った時間でした。

翌日の土曜日はまた、いつものように手紙とお茶をもっていきました。
その日の手紙には、「あること」を伝えておかなくてはなりませんでした。
「あること」とは…
翌日曜日には、手紙を届けることが出来ないということでした。
これは以前から決まっていたことで、本来なら母は、この日、
ショートステイに行くことになっていたのです。
私は、その日、「推し」のライブへ行くことになっていました。

この秋、ライブ参加申し込みがあり、母に相談しました。
「いいじゃない、いってらっしゃいよ」と母はすんなりOKしてくれました。
「たまには楽しまないとね!」とも…。
人気のライブなので、当選するかどうかわからないながらも、
夜間、母を置いていくのは、あまりにも心配なので、
ショートステイの話をもちかけると、
「たまには、気分が変わっていいかも。病院じゃないし…」
と、言ってくれていました。

母が脳梗塞で入院することになったとき、
ライブは諦めるべきか?とも思ったのですが、
リハビリ病院にいるのであれば、「それはそれで安心して行ける」
と、考え直しました。
実際、面会が許されていた時期に、母にも相談しましたが、
「行かばいいじゃない」と言ってくれました。

が、前日のリモートでは、なんだかボンヤリとした状況だったので、
忘れているかもしれないと思い、
改めて、そのことを手紙に書いておきました。

ライブ当日は、無事に過ぎ、
快く、参加を認めてくれた母に感謝をしました。

翌朝、26日朝、事態が一変しました。
午前10時頃、電話がなり、画面を見ると病院からでした。

「今朝から美惠子さんの意識レベルが低下しており、呼びかけにも反応しないので、今から日赤へ救急搬送します。」

えっ⁉
何?
どういうこと?
意識レベル低下?
えっ⁉
えっ⁉
えっ⁉

心臓が、バクバク言っているのが聞こえてきました…。
口の中が、カラカラに乾いているのを感じました…。


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