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包丁の思い出

前に住んでいたアパートには家具だけではなく台所用品もそろっていたのですが、その中にイケアの包丁がありました。なかなかインパクトがある包丁で、プラスチックの柄がべろべろにはがれてべたべたでした。もはや資源の再利用くらいにしか使い道がないのではと思いましたが、私のものではないのでそのままにしておきました。

文章だと伝わりにくい部分をスケッチしてみましたが、べたべた具合が表現しきれません

私のメイン包丁は30年前に浅草の合羽橋で1万円くらいで買ったもので、ずっと使い続けて今も現役です。確か買う時に店の人に少々高くてもずっと使える包丁がほしいみたいなことを言った覚えがありますが、まさかこんなに丈夫で長持ちするとは思いませんでした。

なお、外国暮らしをして、ある程度の頻度で自炊をするなら日本の包丁を持って行ったほうがよいと思います。理由は、包丁に角がしっかりついていて、じゃがいもの芽その他をほじくるのに便利だからです。

サブはWMFの細身の小型包丁です。合羽橋出身の三徳包丁が大関だとしたら、WMFは平幕筆頭くらいの位置づけで、こちらもよい包丁です。かれこれ15年か20年前くらいに買いました。そう言えばその時に同じ包丁を買って、友達のしんさんにもプレゼントしたのでした。

しんさんはその当時、私と一緒に和食レストランでバイトをしていた男性で、私より5歳か10歳くらい年上でした。とても優しく気が付く人で、接客もトラブル対応も上手で、しんさんとペアで働く時は安心できた覚えがあります。

今だから書いちゃうと、その和食レストランでは、オーナーが従業員を搾取しすぎたせいで、皿洗いのパキスタン人がキレて厨房で包丁を振り回すというインシデントがありました。客が満席のランチタイムのことでした。その時もしんさんは躊躇わずに現場に飛び込んで行って、まーまーとパキスタン人をなだめていました。(しんさんを派遣した私は、腰を抜かして後ろから現場をこっそり眺めているだけでした。)あとで知ったことですが、彼の給料は手渡しで1,250ユーロくらい。週休1日で毎日10から12時間くらい働いていました。包丁を振り回したい気分になるのもわかります。

パキスタン人の乱は流血沙汰にもならずすぐに鎮圧され、発狂して包丁を振り回した彼はその後も普通に働き続けていました。オーナーも彼を不法に雇っていたので、警察沙汰にできなかったんでしょうね。こういう形の持ちつ持たれつもあるのかと思った記憶があります。

そのしんさんが日本に帰国することになり、お別れのタイミングで私はWMFの包丁をプレゼントしました。なぜ包丁にしたのか覚えていませんが、しんさんが料理好きだったんでしょうね、きっと。とても喜んでくれたのですが、その時に刃物をもらうと縁が切れてしまってよくないから買い取らせてくれと言って、私に1セントをくれたのでした。

その後も私たちの間ではメールのやりとりが細々と続いていたのですが、しばらく途切れた期間があり、ふと思い出してメールをしたら、もうしんさんのメールアカウントはなくなっていました。それっきりです。私のメールアドレスは変わっていないので、いつか連絡が来るんじゃないかとずっと待っていますが、何も来ません。しんさんが元気で、まだあの包丁を使ってくれているといいなと今でも時々思います。

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