結婚は自分の価値観をどう変えたのか
自分が勝てば良い、いままではそんな世界で生きていたわけで。
パートナーとゲームするときも自分が勝つことが最優先だった。あまりにも相手が落ちこむので、初めて勝たないようにコントロールした。相手を勝たせること、自分が負けることはなかなかに難しいことだった。
謝ることが苦手なのもきっと共通している。自分の非(負け)を認めることになるから。助けを求める、相談することが苦手なのもそう。
つまり、自分は優れていないといけないという価値観が強かった。もちろん、優れているのに越したことはない。だけど、人よりも優れているからといって、人を支援したり、優しくできるかというと、そういうわけではない。
むしろ、自分の方が優れていると思いこんでいる方が、良くない結果になることが多かった。無意識の内に相手を見下したり、上からの発言が多くなってしまうから。
他者の助けになるためには、自分は優れていないといけないと思っていた。が、実はそうではなかった。本当の意味で人を支援するということは、自分が優れていることよりも、相手を受容して、深く理解することの方がよっぽど重要だった。
パートナーと出会って、他者を受け入れる経験が増えた。
その変化にとまどいがあった。たまにこれでいいのかと思うこともある。
もしかしたら、自分を受け入れることにつながっていくのかもしれない、なんてことをようやく考えられるようになってきた。
これまでのアイデンティティでもあった自己表現は、自分という存在の受け入れられなさが動機になっていた可能性がある。
そして、他者に受け入れてもらうことを望んでいたのかもしれない。
自分が他者を受け入れる経験を通して、自分を受け入れるステージにたどり着いたとするならば、そこから生まれる表現は、これまでのものとは違ってくる。
自分で完結させずに表現していくこと、発信していくことは、あまりしてこなかった。他者の受け入れなさが、そこに現れているような気がする。
未完成なものは、余白がある。
自分以外の人が入ってこれるスペース。
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