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【シリーズストーリー】小説家マドカさん 五たび登場

 「それで、颯太いくら貸したのさー?」
 「20万」
 「えーっ、苗字も知らないような相手にそんな大金貸さないしょ、普通?」
 「それ、アパートの大家にも言われたけど、そこはあんまり問題じゃないんだ」
 「いやいや、問題だよ。名前もろくに知らなくてどうやって探すのさー」
 「だから、ノボルだって」

 これが私と颯太の最近の会話だ。私はすっかり呆れてしまった。

 私は野崎かのん。荻野颯太とは同じ北海道旭川の高校の出身で、この春、上京してたまたま颯太と同じ大学に通っている。大学近くのマンションに会社員の姉と一緒に住んでいる。颯太は姉の夕飯目当てで時々うちに遊びに来るが、私は颯太のアパート、円ハイツへはまだ行ったことがない。「ボロいし、化け猫が3匹も住み着いてるんだ。だからやめとけ。それに近々引っ越すから、そしたら呼ぶ」と言っている。

 その引越しが、お金を貸した友人の失踪で延期になっているという。大家さんには、退去日を1か月延ばしたいと伝えたらしいけど、実際のところお金が戻ってこなきゃ、当分その「化け猫付きおんぼろアパート」にいるしかないんじゃないかな。

 だいたい颯太は昔からお人好し過ぎるとこがある。高校2年の時、クラスで財布盗難事件があった時もそうだ。担任が盗んだ者が名乗り出るまで、全員居残りを命じた。いつまで経っても誰も名乗り出ないので、颯太はやってもいないのに「僕がやりました」と嘘の供述をした。何であんなこと言ったのかと後で聞いたら、その日、親友が他校の女子と初デートの予定があったからだと言う。「だってあいつ、そのデートのために、昼飯抜いて金貯めてたんだぜ。くだらないことで行けなくなったらかわいそうでしょ」
 それはかわいそうかもしれないけど、あんたがそこまでしなくてもいいでしょって話。

 

 今日の夕方、颯太から電話があった。お金を貸した友人がようやく連絡してきたらしい。
 「でさー、これからノボルに金返してもらいに行くんだけど、おまえも来る?」
 『来る?』じゃなくて『来てください』でしょうが。私はカチンときたが、颯太の言葉遣いがズレてるのはいつものことなんで、目をつぶった。お人好しの颯太がまた何かトラブったりしないか心配だったから、行くことにした。

 待ち合わせ場所のファミレスに5分遅れで着いた時、まだ颯太の姿は見えなかった。そのノボルっていう人がひょっとしてもう来てるんじゃないかと思って、店内を見回した。大学生男子、大学生男子… あっ一人いた。店員が私を案内しに来る前に、私はその人の方に向かって歩き出した。お金借りて姿をくらますようなワルには見えなかった。どっちかというと、颯太の方が、借金踏み倒して逃げた方に見えそうだ。
 「あのう、ひょっとして… ええっと、ノ、ボルさん?」
 ぎこちなく名前を言ってみた。苗字知らないんだから仕方ない。
 「あ、はい、ノボルです。北島昇」

 そこへ颯太が息を切らしてやって来た。やや遅れてひょろひょろっとした50がらみのおじさんが、やっぱり肩で息をしながら苦しそうについて来た。
 「待ってよ荻野君。ずっと走りっぱなしで私は、私は、もう…」とおじさんが胸を押さえて言う。颯太を荻野君って呼ぶのって、誰?と思ってたら、颯太がようやくノボルを見つけて言った。
 「よっノボル、元気かよー。あれっ、かのん、来てたの?」
 『来てたの?』じゃない!人を呼びつけておいて、まったく。それから颯太がノボル君に私を紹介し、ノボル君と私におじさんを紹介した。おじさんは颯太のアパートの大家さんで、マドカさんといった。小説家らしい。私は小説家に会うのは初めてだ。

 さっそくノボル君が颯太にきっちり20万円入った封筒を渡した。
 「悪かった。遅くなって」
 「いいって。返してくれればそれで」と颯太が言うと、ようやく息切れのおさまったマドカさんが、
 「いや、ノボル君、ちゃんとお金の用途と行方をくらましていた理由を言うべきだと思うよ」と口をはさんだ。「私は今日は荻野君の親代わりで来たんだ。荻野君には来るなと言われたんだがね。お金の貸し借りはきっちりしておかないといけないよ」マドカさんは自分で自分の言葉に感心したように何度も小さくうなずいた。
 ノボルが言った。
 「すみません。母さんが怪我して手術代やら入院費が必要になったんです。母さん、勤め先の工場で機械に手を挟んで怪我したんです。労災がおりることになったんですが、先に支払いが必要で。うち母子家庭で弟や妹もいて、やり繰り大変なもんですから…。連絡したかったんですが、慌てて家を出て、それから携帯をどこかでなくしてしまったようで」
 「で、お母さんは?」と残りの3人が一斉に尋ねた。
 「はい。おかげさまで、もう退院できました。それにお金はおばあちゃんが立て替えてくれて」
 「それはよかった」とマドカさんは、うっすら涙目になっていた。颯太の親代わり、というこのおじさんは人情派なのだ。
 
 話がひと段落した時、
「それはそうと、ノボル、おまえの苗字なんだっけ?」と颯太が聞いた。
 さっきまで、下町ドラマの人情派おじさんだったマドカさんの目が、刑事ものの刑事みたいに鋭く光り、ノボル君を見つめた。
 「北島」とノボル君と私が同時に答えた。

 颯太は何でおまえが知ってんだよ、という目で私を見た。その傍らでマドカさんは、ほっとした顔で「ああ、ワタナベじゃなくてよかったあ」と安堵のため息をついた。ワタナベがどうかしたのか?

 「えっ?叔父が渡辺昇っていうんですが、なにか?僕が生まれる前に失踪して、いまだに行方不明の叔父がいるんです。それで生まれた僕におばあちゃんが「ノボル」と名づけたんだそうです。叔父さんの分までしっかり生きるようにって」

 マドカさんは、ムンクの『叫び』の人が、さらにお尻を犬に噛まれたみたいな形相になっていた。ワタナベノボル??……確か村上春樹の小説によく出てくる名前だ。やっぱり失踪してしまう人だ。

(第6話へつづく)
 
 
 

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