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【ショートショート】夢へ急ぐひと

 ここは病院。患者は夢を見ることを禁じられている。寝ている間にもし夢を見たら、恐ろしい〈治療〉が加えられる。

 私はlucid dreamerだ。夢をみながらそれが夢だと分かる。夢をコントロールすることさえできる。
 
 消灯時刻、看護師たちが患者にワイヤーを巻きつけにやって来る。患者が夢を見ていないかセンサーで監視するためだ。

 「Fさん、暴れないで下さい」
 「Gさん、外そうとしても無駄ですよ」

 私の番だ。大人しくワイヤーが巻き付けられるのを待つ。従順な患者を演じる。

 明かりが消えた。患者たちの中には夢をみることを恐怖し、絶対に眠るまいとする者もいる。苦悶と焦燥の溜め息が暗がりへと滲み出てくる。

 まもなく眠気がやってきた。眠りに落ちようかという瞬間、頭の中でカチッという音が聞こえた。サインだ。私は安眠することができる。センサーなど怖くない。

 1時間半くらい経っただろうか。もう一度カチッと鳴る。ここから私はレム睡眠へと移行する。さあ、夢よ来るなら来い。私は夢をコントロールできるのだ。最初の夢が始まったら、〈夢を見ている夢〉へと移動すれば、センサーを掻い潜ることができるはずだ。夢をみている自分を夢にみるーーつまり、入れ子状態、最初の夢を俯瞰する状態になればいい。そこに一晩中居続ければ安全だ。

 
 夜の底のように静かな場所で、私は叫んでいた。身体中の皮膚が剥がれてしまったかのようにヒリヒリする。熱いのか冷たいのか、もはやどちらともわからない。見えるものはただ何千、何万羽もの、サナギからかえったばかりの蝶だ。どこからともなく湧いてきて私の身体を覆う。1羽がとまるたびに激痛が走る。私はやがて息ができないほど、蝶で覆い尽くされてしまった。

 

 ああ、いけない。これは夢だ!急がねば。気づくのに少々時間がかかってしまった。急げ、この夢を私が俯瞰する次の夢へ。急ぐんだ!

 

 ーーカチッーー

 

 私は、手術台の上にいた。「Hさん、〈治療〉が終わりました」と医師が言う。「病室へ戻りますよ」
 
 まずい、これは自分を俯瞰する夢ではない。私は別の新しい夢を見ている。はやく入れ子状態に入らねば。急げ!!


「Hさん、〈治療〉が終わりました。病室へ戻りますよ」
 


 どういうことだ。また同じ夢を見てるじゃないか。ああ制御不能だ!


「Hさん、〈治療〉が終わりました。病室へ戻りますよ」
 

「Hさん、〈治療〉が終わりました。病室へ戻りますよ」

 
「Hさん、〈治療〉が終わりました。病室へ戻りますよ」

 

「Hさん、〈治療〉が終わりました。病室へ戻りますよ」



  
 お願いだ、やめてくれーー!


〈 脳みそを吸い取られた〉みたいに、私はもう何も考えることができなかった。
 

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