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【ショートストーリー】小説家マドカさん 六たび登場

 ノボルが金を返してくれたおかげで、僕は来月、めでたく円ハイツから引っ越せることになった。今日、ノボルのお母さんが上京してきて、大学の授業の後で会った。ノボルが僕から金を借りて迷惑をかけたことを、会ってお詫びしたいということだった。お母さんは大学の近くの喫茶店で待っていた。お母さんは僕の想像していたのとはずいぶん違った。子ども3人のシングルマザーには見えないくらい、若く綺麗な人で、ノボルの「お姉さん」でも通用しそうだった。話がひと段落したところでお母さんが、「あのう、できたら荻野くんのアパートの大家さんにも、ご挨拶したいのだけど」と言うので、ノボルも一緒にアパートに向かった。

 下北沢の駅前の雑踏を抜け、住宅地を三人で歩いた。お母さんが、「この辺りに昔、兄が住んでいたはずなんですよ。もちろん私は初めて来ましたけど」と言った。ひょっとしてそれはこの前、ノボルが言っていた伯父さんのことかと思ったが、訊ねるのはやめた。なんか訳ありな伯父さんのようだったし。

 円ハイツの玄関をがらがらっと開けると、猫たちが3匹揃って土間に座っていた。ノボルとお母さんが一瞬「ぎゃっ」と小さな悲鳴をあげた。ノボルが「これが例の化け猫か?」と言ったので、お母さんは気味悪そうに一歩さがった。

 あらかじめ大家のマドカさんには電話をしておいた。玄関の開く音を聞いたのか、101号室からマドカさんが出てきた。「やあ、ノボルくん、どうも。あ、これはこれは、お母さんですね」マドカさんは美人のノボルの母さんを見て、一瞬、動きが止まった。漫画みたいに目がハートになっている。わかりやすい人だ。マドカさんは自分の部屋へ案内しようとしたが、ノボルの母さんはここで、と遠慮した。「このたびは息子がご迷惑をおかけいたしまして」と頭を下げるお母さんに、マドカさんは「いや、迷惑なんて、そんな。それよりお怪我の具合は?」と訊ねた。「はい、おかげさまで、もうすっかり良くなりまして。ノボルがすぐに駆けつけてくれたので、助かりました。本当に皆さまのおかげです」

 一連の儀礼的な挨拶が終わると、マドカさんが「やっぱり、ちょっと寄っていらっしゃいませんか?少しうかがいたいことがありまして」とノボルとお母さんに向かって言った。「荻野くんもどお?」どうせ、僕はついでだというのはわかっていたが、二人と一緒にマドカさんの部屋へ着いていった。部屋に入るのは春以来だ。

 マドカさんの部屋へ入ると縁側に猫たちが寝そべっていた。「あっ、さっきの」とお母さんが言うと、すかさずマドカさんが「うちのアパートに住み着くようになった猫たちなんです」と説明した。「猫ちゃんたち、名前は?」マドカさんは一瞬ためらいの表情を見せたが振り切るように言った。「はい、3匹ともワタナベノボルです。1号、2号、3号と区別をしていますが、実のところ私にも、区別がつきませんでして…」「ええっ、ワタナベノボル……?」「はい、そうなんです。人間みたいでしょ。実はそのことなんですが、先日おたくのノボル君から、伯父さんの名前が渡辺昇さんだとうかがいました。実はこのアパートに、と言っても、私の親父が大家をしていた頃ですが、同じ名前の方が住んでいらっしゃいました。何かの事件に巻き込まれ、突然、行方不明になりました」「そうですか。おそらく、それは兄だと思います。兄は20年前、失踪しました。当時この辺りに住んでいた、と聞いております。それにしても、こんなご縁でお目にかかるなんて!」ノボルと僕は黙って会話の行方を見守った。

 「やはり、そうでしたか。その後、何か分かりましたか?」「いいえ、何も」「それはお気の毒に…」ここで会話は途切れた。待っていたように、縁側にいた猫たちが起きて、のそのそと移動し始めた。どこへ行くかと思ったら、ノボルとお母さんのところにすり寄ってきた。マドカさんが思い出したように、「お兄さんが住んでいらしたお部屋を見ますか?」と訊いた。「はい、ぜひ」

 アパートの二階に上がる時も、猫たちがついてきたので、ノボルとお母さんは薄気味悪く思っているようだった。「ここです」とマドカさんは現在空き部屋の202号室を開けた。猫たちは、ノボルとお母さんのそばを離れ、部屋の中へ我先に入り、押入れを目指した。まるで最初からそこに押入れがあることを知っていたかのように。僕は猫の後を追って押入れの中をのぞいた。「あれ、猫が消えた!」さっきまでいたのに、一体どこに?しゃがんでよく見ると、押入れの下段の奥に穴が空いていて、201号室、つまり僕の部屋の押入れと繋がっているのがわかった。僕は自分の部屋に行き、確認した。猫3匹が僕の布団の上に座っていた。穴は下段の上の方なので、正面から見ると、真ん中の板の影になって見えづらいのだ。「そういうことか」猫達が突然、僕の部屋に現れる理由がようやくわかった。

 僕が202号室に戻った時、窓から外を見ていたノボルの母さんが「ああ」と声をあげた。「あの神社!」と声を震わせていた。僕たちはみなびっくりした。「兄が実家に送ってきた写真に、あの神社の屋根が写っていました。この辺の家並みはずいぶん変わったようですが、神社は写真のままです。この窓から写したものだったのですね」

 感慨深げに言うノボルの母さんに、マドカさんが言った。「ちょっと待ってて。納屋にお兄さんが残していった荷物がとってあるんだ」

(第7話へ続く)

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