【ショートショート】舞台恐怖症

 私は極度のあがり症だ。音楽の道を志そうと決めたとき、演奏家ではなく作曲家を選んだのもそのためだった。作曲家ならば、ステージに立つ必要がない。

 私は、自分の作曲した楽曲の初演コンサートに来ていた。客席に座り、指揮者が登場するのを拍手で迎えた。曲が始まると、目を閉じてオーケストラに聴き入る。まずはオーボエが主題を奏で、弦楽器が静かに主題を支える。オーボエに沿うようにファゴットがオブリガートで入り、クレッシェンドしていく。ヴァイオリンとビオラが主題を引き継ぎ、展開する。なかなかいい演奏じゃないか。さあ次は金管楽器が……

 と思った次の瞬間に、私は自分の身体がステージ上にあることに気づいた。本当ならばコンサートマスターの第一バイオリン奏者が座っている席に、私は手ぶらで座っているのだ。ライトが眩しい。なんということだ。観客がみな私を見ている。その間にも曲は進行していく。ステージの床をとおしてティンパニーの振動が伝わる。トランペットの ff (フォルテッシモ)が私の心臓の鼓動を速める。ドクン、ドクン。額にはじっとりと汗をかいている。ピッコロの高音が、頭上で私を嘲笑うように駆けまわっている。曲がいよいよクライマックスを迎えようかという時、指揮者が私に合図をした。一体何をしろというのか。私は作曲者だ。演奏者ではない。楽器もない。歌え、とでも言うのか。これは私の曲だが、こんな指示はしていないぞ……。ここに居て、笑い者になる以外、何をすることもできないのに、なぜ私は……。手足がガタガタ震えた。指揮者は合図を送り続ける。さあ、君のソロだよ!という合図。他の楽器はひとつ残らず休符に入った。みんなが今か今かと待っている。さあ、君のソロを!さあ早く、君の番だよ!私は極度の緊張から目の前の風景が歪んでいくのを感じ、その場に倒れてしまった。

 気がついた時には、私はもとの客席にいた。演奏は終盤を迎えていた。指揮者がタクトを降ろした。演奏が終わった。僅かの静寂の後、ホールに拍手が響き渡った。指揮者がステージから客席の私を観客に紹介する。私はその場に立ち、一礼する。いつもの手順だった。

 さっき私にステージで起きたことは、夢だったのだろうか。あるいは幻覚だったのだろうか。身体はまだ痺れを残している。霞がかかったようにぼうっとする頭で考えても、釈然としない。


 私はこの後も、自分の作品が演奏されるのを聴きに行くたびに、気がつくと自分がステージの上で晒し者になっているという、得体の知れない幻覚の発作に見舞われた。回を重ねる毎に、この〈幻覚ステージ〉での緊張は耐えがたいものとなり、またコンサートホールにいる時だけでなく、どこで何をしていても発作がやって来て、私の心身を蝕んだ。演奏家の道を選ばなかった私も、結局は舞台恐怖症を発症し、作曲家としての人生はおろか人生そのものまで捨てることとなった。

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