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【ショートストーリー】彼の耳は天使の耳

 美希や望美と話していると、彼女たちの愚痴に付き合えないのは、私が冷たいせいかと思ってしまう。でもやっぱり違うと思う。

 「他の人が同じことをやっても気にならないんだけど、夫がやるとやけにイライラするのよね」「わかる〜。なんでだろうね」
 こういう話題は相槌を打つにも困る。それって例えばどんなこと?と、とりあえず訊いておく。二人は、そうねえ、と事細かに語り出す。しまった、聞くんじゃなかったと後悔しても、もう遅い。やれ、カレーとご飯を最初に全部ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから食べるのが気持ち悪いとか、食器を洗ってくれるのはいいけど、シンクまわりや床が水でベチャベチャになってるとか、yesかnoだけ教えてくれればいいのにごちゃごちゃ書いて、結局質問に答えていないラインの返事が来るとか。 私は、へえー、ぐちゃぐちゃでベチャベチャでごちゃごちゃなのね?と茶化した。その程度に私にはどうでもいい。私の態度にカチンときたのか、美希が言う。
 「まあ上手く言えないけど、要するに理屈じゃなくて生理的にイヤってこと。結婚してない志乃にはわからないでしょうけど!」
 ほーら来た。そんなにイヤなら旦那に「こうして」って言えばいいのに。あー、もやもやする。これって夫婦だからじゃなくて、基本的な対人関係の話じゃない?でも彼女たちにそれは言わない。話が噛み合わないことは、今まで何度も経験済みだから。「そうね」でおしまいにする。

 

 私には友だちが少ない。性格がキツいからだと母に言われる。「あなたの言ってることは、そりゃ正論だけど、ただ話を聞いて欲しいだけっていうこともあるんじゃない?」
 そうなんだあ。そういう母も愚痴ばかりの人生だ。話半分で聞いてると怒る。かと言って助言でもしようものなら、「でも」「だって」と来る。悩むのが趣味なのかとさえ思える。挙げ句の果てには「お母さんはあなたみたいに強くないから」とお得意の皮肉。あー、もやもやする。私は人の愚痴を聞くのが苦手だ。その代わり自分も言わない。例えば、対人関係以外でも〈体力愚痴〉〈多忙愚痴〉〈寝不足愚痴〉〈能力愚痴〉〈年齢愚痴〉〈容姿愚痴〉など尽きないが、解決できることはすぐに動いて、できないことはさっさと諦める。私は解決や癒しを自分の外に求めるのは時間の無駄だし、虚しいと感じる。

 そう思ってきた。彼に会うまでは。

 剛は営業部に入ってきた新人だった。歳は私の5つ下。一番歳が近いということで私が日々のルーチン業務のあれこれを教え、面倒をみる役になった。「剛」という名前のイメージとは裏腹に、柔和な顔立ちと温厚な性格をしていた。私は弟に接するような感じで、指導にあたった。ある日、彼が、
 「池田さんはどうしてそんなにポジティブでいられるんですか」と聞いてきた。
 「えっ、なに急に」
 「僕、結構いろんなこと引きずるタイプなんですけど、池田さんは、なんていうか、切り替え速いですよね」
 「愚痴が嫌いなだけ。言うのも、聞くのもね」
 「カッコいいっすね。でも僕にはできないなあ。っていうか僕、人の愚痴聞いてあげるのが、唯一の特技なんですよ」
 「え、自分の悩みを引きずりながら人の愚痴まで聞いてたら辛くない?」
 「みんなが喜ぶ顔を見るのが嬉しくてやってます」
 「そう、じゃあ、今度私の愚痴聞いて」
 「え?イヤなんじゃないんですか?愚痴るの」
 「特技っていうくらいだから、試してみましょう」

 翌日、私たちは一緒にランチに出た。私は母や美希と望美のことについて剛に話した。話してる間、彼は私の目を見てただ頷くだけ。なんのアドバイスもなし。ただひとつ驚いたのは、私が話し終えると、彼は私の肩に手を当てて「話してくれてありがとうございます」と言ったことだった。

 私は不意打ちにあったように、身体の力がすーっと抜けた。なに、今の?自分でも気づいてなかった、胸の奥で絡まって膨れ上がっていた毛糸が、いっぺんにほどけたような感覚。私は思わず聞いていた。

 「カウンセラーみたい。どうして?」
 「僕、おばあちゃん子なんです。学校で嫌なことがあるたびに、おばあちゃんの部屋に行って話しをしてたんです。おばあちゃんは何も言わずにただ聞いて、最後に僕の頭をなでて『剛、話してくれてありがとうね』って。もう死んじゃいましたけどね。ちょっと真似してみてるだけです。あ、秘密ですよ。僕、結構モテるんです、これで」

 最後のは余計だったけど、私は感心した。剛の耳は天使の耳。また何か、もやもやする時にはお世話になりたいと思った。理屈で武装して、知らず知らずのうちに疲れていた私の心とからだ。天使の耳のおかげでほんわり緩んだ午後だった。

 

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