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ケーニヒスベルクの核、幽霊都市の誕生

 その日は突然やって来た。空から太陽が墜ちて来る。
 ケーニヒスベルクの核だ。核攻撃だ。核爆発だ。
 広島、長崎に続く人類による核の都市投下三発目だ。

 ジーナは11年生、17歳の女子生徒だ。ロシア語を母語とし、第一外国語にドイツ語を選択している。それはこの都市の歴史に興味があったからだ。そのため、今は一人もいなくなったドイツ系住人の言語を学ぶ事は欠かせない。プロイセン時代の遺跡はまだ残っている。
 ジーナは始発の市電に乗った。緑色の路面電車だ。ちょっとバスに似ている。毎朝この路面電車で、家から市の中心街にある学校に通う。車両は2022年に出た。71-921コルセアと言う。
 ジーナは、車両の窓から街並みを見ていた。いつもと変わらない日常だ。人々が通勤・通学している。スマホ片手に情報を取る姿も変わらない。少数だが新聞を読んでいる人もいる。
 ふと、何かが空を過り、人々の注意を惹いた。それは都市上空で眩い閃光を放った。
 降ってきたのはICBM Minuteman III。1970年代に設計された。核弾頭はW87。出力は300kt。都市の規模に合わせて、出力はかなり絞ってある。この都市はバルト海沿岸の飛び地のため、周辺国への配慮もある。それでもなお、広島16kt、長崎21ktを遥かに上回る核爆発だ。
 ジーナは路面電車ごと消滅した。一瞬、眩い光と熱を感じたかもしれない。
 爆心地に近かったため、直系2km以上の人工太陽の輝きは、表面温度20万度以上の熱線で爆心地を焼いた。ジーナは自分の死を全く意識しないで、即死した。だが彼女は自分が死んだと思っていない。普段通り、日常が続くと思っていた。彼女の死は、あまりに一瞬過ぎた。
 それは幸福な事ではなかった。ジーナの魂は存在する。核攻撃の後でさえも。死を意識しないで、一瞬で肉体を完全消滅した彼女は、思考の無限ループ状態に入ってしまった。
 それは天国でも地獄でもない、この世の影として、大量の不成仏霊と共に、生前の暮らしを映画のように上映する世界だ。現代でも時々、古戦場跡などで似た光景を見る事が出来る。
 都市一つ丸ごと、不成仏霊になる。幽霊都市の誕生。それが核攻撃の霊的真実だ。

 昔、とある8月6日の国営放送お昼のニュースで、テレビカメラが、破壊された広島の記念碑ドームを映した時、一瞬だけ、手足の皮膚が溶けて、ダランと下がったゾンビのような透明な人影が、這いずり回っている姿が見えて、お弁当を食べる手を、しばし止めた事がある。
 その時、すでに半世紀以上経過していたが、まだ不成仏霊がいたのかと驚いた。別に霊視した訳ではない。普通にテレビカメラに写っていた。一種の心霊放送だ。恐らく、誰でも見る事ができる。ただし気が付いた人は、殆どいなかったかもしれない。一瞬だったからだ。
 その国営放送も、放送事故があったと思っていない。全く気が付いていないのだ。だがあの透明な人影は、恐ろしい霊的真実を伝えていた。投下直後は、アレが沢山いた筈だ。
 核兵器の都市投下は最大級の悪行だ。絶対にやってはならない。取り返しがつかない。今の処、合衆国の黒人大統領が現地にやってきて、謝ったのか、謝らなかったのか、よく分からない比喩表現を捧げただけだ。因みに彼はよくAmerica is the exceptional countryと言っていた。
 広島・長崎は過去の話ではない。現代の話だ。そして核兵器を都市に落した国は謝罪しない。絶対に。自分たちが、the exceptional countryだと思っている限りは。これは悪行だ。

 話を戻そう。ケーニヒスベルク(Königsberg)は、1945年まで東プロイセンの故地で、哲学者イマヌエル・カント(注40)が住んでいた地方都市だ。ドイツ語で「王の山」という意味がある。13世紀に北方十字軍の一つであるドイツ騎士団によって、バルト海沿岸に建設された。
 現在は東側の飛び地で、都市の名を変えて、ロシア語を話す住民たちが住んでいる。
 旧ソ連時代、バルト海を睨むバルチック艦隊の艦隊司令部が置かれ、その重要性から西側を締め出し、封鎖都市として知られた。一種の要塞都市である。デタントの後、緩和されたが、戦略的重要性は低下していない。むしろ飛び地のため、地政学的に上がっていたかも知れない。
 核戦争が勃発した場合、西側が最初の一発目を落とす都市として、指名を受けている。本土から離れた飛び地だったからだ。この都市は、冷戦時代から死刑宣告を下され、広島・長崎に続く三発目の核による都市攻撃の標的として、半世紀以上に渡って、その恐怖に耐えてきた。
 21世紀に入って、人々はそんな事を忘れ始めていた。東西冷戦は過ぎ去り、西側の大半は、NATOに加盟している。緊張はない。そう信じてきた。だが東側はそう思っていなかった。
 だから冬のある日、これ以上NATOを広げる訳にはいかないと、東側の軍勢がドニエプル川を越えて、東西陣営緩衝地帯で戦争を始めた。西側は武器を送って代理戦争を展開し、戦線は膠着した。だが東側のお家芸である冬の大攻勢があり、西側の本格参戦も始まった。
 
 そんなある日、東側から西側に向かって三発のミサイルが飛んだ。報復として西側からも東側に一発のミサイルが飛んだ。それは冷戦期から決められていた手順で、マニュアルでさえある。西側からの最初の一撃だけは、ケーニヒスベルクと半世紀以上前から決まっていた。
 飛んでいる弾道ミサイルが、核ミサイルか、通常ミサイルか、見分ける手段はない。先制核攻撃の可能性があるならば、最初から西側も自動的に核で報復する。相互確証破壊だ。これも手順だ。人類は、自分たちの死すら、システム運用する。運用監視だ。手順書に従って実行する。結果は都市まるごと一つが、消えてなくなるだけではなく、住民たちの無限思考ループ状態が発生する。幽霊都市だ。凄まじい不調和。凄まじい呪いだ。一体誰が後始末を付けるのか?
 あの世があると思っている人は、どこかの時点で自分の死に気が付く。だがそもそもそんなものはないと思っている人は、気が付くまで、長く地上の影として彷徨い、呪いを巻き散らす。不浄だ。突然死は特にそうなる。そして生きている人たちは、殆どそれに気が付かない。
 21世紀において、霊は存在しない。あの世は存在しないと言うのは簡単である。だがもし死ねば何もかも終わりで、一瞬で消えるなら、核攻撃も悪くなかろうで、本当に核攻撃をやったら、もっと大きな反作用が在り得る。それはこの星が、この不浄をどう思うかという問題だ。
 この星を、一種の生命体と考えるなら、核攻撃を不快と感じて、そんな土地はなかった事にするかもしれない。人が一瞬で消えたのだから、土地も一瞬で消える。それだけの話だ。大きな寝返りを打って、星は悪夢を祓おうとするだろう。天変地異だ。もしくは星の無人化だ。

 気が付くと、ジーナは路面電車に乗っていた。朝の通学だ。何の問題もない。さっきまで考えていた事を再開する。戦争前のとある一月、軍港に三隻の強襲揚陸艦が寄港した事が話題になった。第二世代の住民に属するジーナの祖母が、これは嫌な予感がすると騒いでいた。
 軍港なのだから、軍艦が寄港する事は当たり前だと、第三世代に属する父は言っていた。
 だがこの事は海外でも報道されて、バルト海のゴットランド島を所有するスウェーデンを刺激して、緊張が高かまった。だが戦争が始まると、強襲揚陸艦は港を出て黒海に向かった。
 今、思い返してみると、あの三隻の強襲揚陸艦は、戦争の前触れだったのかもしれない。
 スウェーデンはこの事を根に持ったのか、中立を放棄、NATOに加盟を申請した。
 父は本土疎開を考えていた。母は反対している。祖母は困っていた。祖母は幼い頃、第一世代の住民と共に、ソ連市民としてこの都市に移住して来た。国家による強制移住だが、今更元居た土地にも帰れない。あまりに時間が経過し過ぎたからだ。だが父は帰ると言う。
 現在、この都市には、約42万の市民がいる。だがジーナの周りで、この都市を出て行く者はいない。もう五世代も住んでいるからだ。彼女も離れたくなかった。だが父は離れると言う。
 今時珍しいが、父は西側を嫌っていた。西側は無神論者で、噓吐きの群れだと吐き捨てていた。ジーナにはよく分からないが、父は祖国の伝統回帰主義者なのだと思った。
 昨日、夕食の後、かつてこの都市にいた哲学者カントが話題になった。プロイセン時代のドイツ人だから、当然ドイツ語で著作を残している。『永遠平和のために』(注41)が話題に上った。これは西側の妄想の最たるもので、グローバリストたちの聖典だと言っていた。
 ジーナもドイツ語で読んでいる。そう難しくないし、論旨も明快だ。カント入門にもなる。
 要するに、国連の元ネタのような話をしている。人類で世界政府を作り、永遠平和を詠っている。ちなみに誰が、この政府を管理するのか知らない。現代であれば、公平性を期して、管理AIでも立てるのか。父は、西側はこの議論を、甦らせようとしていると言っていた。
 ジーナは、父と対立したくなかった。だから内心思っていた。別に結構ではないか。永遠平和。世界政府を作れば、実現するのかどうか分からないが、目指して損はないように思える。今であれば感染症対策だって、世界中で足並みを揃えて打てる。世界政府。いい事尽くしだ。
 だが父は、異なる歴史観を持っていた。戦争こそ真実があると言っていた。世界史は、決して愚行の世界史ではないと言っていた。祖国は19世紀フランスの独裁者も、20世紀ドイツの独裁者も退けて、世界史に貢献したと言った。世界統一を阻止した事を評価しているらしい。
 父はさらに続けた。我が祖国は、世界統一を妨げる最大の要石であり、決して世界統一を目指さない。無数にある槍の恐怖でもって、隣人たちを震え上がらせるだけだと。そして世界統一を目指す邪悪な勢力が現れたら、真っ先に抵抗して戦う神の先兵であると。
 ジーナは、父の歴史観は、祖国の中でしか通じない、反グローバリズム的な伝統回帰論だと思った。だがこの都市は、西側に向かって開かれ、西側の意見も入って来る。
 だからこの都市で初めて出版された、カントの『永遠平和のために』は、今も目指すべき理想に見えた。一体何が間違っているのか、よく分からなかった。世界政府を樹立し、管理者を立てて、人類を管理する。問題ない。もし問題が起きたら、管理者を変えればいい。
 父はおかしい。間違っている。だからジーナは悩んでいた。どう話せばいいのか。父は本土疎開を考えている。嫌な夢を見たと言っていた。空から太陽が墜ちて来る夢だったらしい。
 そんな事がある訳がない。父は夢のお告げとか、いつもそんな事ばかり言っている。ジーナは興味がない。人前でそういう話はしないで欲しい。恥ずかしい。神とか霊とかあの世とかある訳がない。理性で存在が証明されていない。カントも、そういうものは学問から除外すると言った。学校でもそう習っている。うん。これが正しい。21世紀だ。だが父は時々、心を清めるためと称して、氷水に入る苦行をやる。ロシア正教だ。意味が分からない。そうか。父は神経症なのだ。お医者様にかかった方がいい。お薬を貰って安静にする。そうすれば、家も平和になるだろう。スマホで心療内科を探した。あれ、スマホがない。家に忘れて来たのか?さっきまであった筈なのに。まぁ、いいか。今日もきっと学校で楽しい事がある筈だ。戦争は気になるが、気にしても仕方ない。ここは戦場から遠いのだ。同じ空の下で戦っている人たちがいるかと思うと気になるが、冷戦時代の最終核戦争みたいな事にはならない。ならない筈だ。
 ふと、空を見た。何か黒い塊が、放物線を描いて落ちて来る。何だ?
 あっ!今爆発した。ぐんぐん膨れ上がる。太陽だ。太陽が出来て、墜ちて来る。
 ああ、父はこの事を言っていたのか。夢は当たっていた。太陽が墜ちて来る。
 ジーナは姿を消した。そして時は巻き戻る。彼女は路面電車で朝の通学を始める。死に戻りだ。因みにセーブポイントではない。いや、ある意味、意識のセーブポイントか。死んだ者は気が付いていない。死に戻りに。この場合周りの人もそうだ。都市全体もそうだ。ケーニヒスベルクの核、幽霊都市の誕生だ。なおその都市の名はロシア語でКалининград、ラテン文字転写でKaliningradと言う。西側から地政学的に、核で第一の死の宣告を受けている。

 注40 Immanuel Kant 西暦1724~1804年 主著『純粋理性批判』 プロイセン 
 注41 『永遠平和のために』1795年 イマヌエル・カント プロイセン ケーニヒスベルク

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード71

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