見出し画像

玄奘、火焔山を越える

 
 天山南路は難路だった。
 右手に、赤茶けた縦筋の山が見える。
 火焔山だ。鉄分を含んでいるため、土が赤い。
 高昌王は、隊列を付けてくれた。通行手形になる。
 この辺りは火州と言われるが、この暑さでは、人馬共に参る。
 天山南路は、地面が硬く、駱駝には適さない。馬に向いている。
 それでも、タクラマカン砂漠の一部でもあるので、流砂を通る事もある。
 女の童だけ現界して、先頭を歩いている。他の三人は姿を消している。
 「……師よ。あそこで休みましょう」
 若い従者がそう言った。岩山があり、影がある。風も避けられそうだ。
 「分かった。あそこで休もう」
 玄奘も赤老馬から降りると、休憩を取る事にした。
 女の童が、一行に水を配って歩いている。元気だ。
 「……師よ。あの女の童は、一体何者ですか?」
 「天帝の子だよ。仏道修行の旅を助ける」
 玄奘がそう答えると、若い従者は影のある表情を見せた。
 「……師よ、不思議な力を持つ女人は、全て魔性の女に見えます」
 玄奘は黙って聞く。若い従者は話を続けた。
 「……天山南路に鉄扇公主(てっせんこうしゅ)の言い伝えがあります」
 火焔山を統べる牛魔王の妃で、とんでもない鬼嫁だと言う。
 「羅刹女か」
 人を食う鬼女で、非常に美しい容貌を持つと言われている。
 「……若い男を好んで食べるそうです」
 「……何?カマキリ女の話?」
 不意に猿渡空が現界した。止む無く沙悟浄も、同時通訳しに現れる。
 「そなたたち……」
 思わず玄奘は、片手を額に置いた。隠れているように指示していた。
 「……牛魔王だっけ?その人、知っているかも」
 猿渡空がスマホをかざすと、一瞬で霊装を纏った。おサルさんだ。
 「……キュアモンキーよ。強くて、可愛いんだから」
 孫悟空はそう言った。若い従者は圧倒されている。玄奘は嘆息した。
 「御仏の遣いだ。仏法を外護(げご)している」
 不意に一陣の風が吹いた。嫌な感じがする。周囲が昏くなった。
 玄奘は錫杖を取って、立ち上がった。女の童も不安そうに言った。
 「……何か来ます」
 「拙僧から離れてはいけません」
 玄奘は、女の童の肩に手を置きつつ、従者たちにも声を掛けた。
 雷鳴が轟き、颶風が吹き荒れた。空が割れる――世界が赤く染まった。
 「……固有結界?これが本当の火焔山なの?」
 孫悟空は、周囲の景色を見渡した。一変している。四方全て炎だ。
 「……おいおい、この人数丸ごと、異空間に連れ去ったのかよ」
 ブタの💝様が現界していた。まぐさを持っている。
 火焔山の上にフライパンが置いてあった。これがフライパン山か?
 大きなフライパンを眺めているうちに、大小二つの人影が近付いて来た。
 「……俺様が牛魔王だ!天竺に行く唐僧はどいつだ?」
 雲を突く大男だった。頭に二本の角、いや、牛角兜を被っている。
 「……ふんづかまえて、せいろに入れて、蒸かして、喰ってやる!」
 両目には謎の暗視スコープ。黒い鎧に赤マントだ。バ〇ク大佐?
 「……あ~!私、この人知ってる!パパ活したよ!」
 猿渡空が、思いっ切り指差した。牛魔王がギクリと振り返る。
 「……ほう。パパ活とな?ダーリン、詳しく話せ」
 やはり額に短い角を二本生やした羅刹女、鉄扇公主が凄んだ。
 たちまち牛魔王は窮地に追い込まれた。沙悟浄は同時通訳を止めた。
 玄奘に聞かせてよい話ではない。だが伝わっている様子だった。
 「孫悟空よ。不邪淫戒だ。そなたは仏弟子だぞ」
 「……今はやっていないよ。でも何でお金貰って寝ちゃいけないの?」
 「夫婦の縁は仏縁だ。婚前にお金目当てで他の男と寝てどうする?」
 猿渡空は、人差し指を額に当てて、「あー」と言った。
 「……それって運命の赤い糸的な奴?分かるけど、もう分からない」
 「まだ縁は切れておらぬ。心から反省すれば、相手は必ず見つかる」
 猿渡空は黙って、玄奘を見ていた。
 「そなたは反省の本当の力を知らない。反省は過去さえも塗り替える」
 「……マジで?」
 猿渡空は、ビックリしていた。本当にそんな事が在り得るのか?
 「縁起の理法だ。罪はこの世だけで完結しない。だから救いもある」
 玄奘は錫杖を立てて、印を結んでみせた。一瞬、爽やかな風が吹く。
 「……反省って、どうやるの?」
 「心から悔いる事だ。さすれば仏の光が降りて来る。運命転換の瞬間だ」
 猿渡空は、玄奘の目を見ていた。輝きが違う。本物っぽい。
 「……ちょっと、ちょっと、盛り上がっている処、悪いけど――」
 鉄扇公主が間を割って入って来た。牛魔王は背を向け口笛を吹いている。
 「――ウチのダーリンと寝たって聞き捨てならないわね。一体どこで?」
 羅刹女は、ビキニスタイルで、青緑の髪を靡かせていた。帯電している。
 「……うん。確か西麻布だったかな?」
 鉄扇公主はジト目で見た。牛魔王は慌てて、パン!と両手を合わす。
 「……出来心だったんだ。スマン!この通りだ!許してくれ!」
 次の瞬間、落雷した。牛魔王の頭髪はチリチリのパンチパーマになった。
 「……ほら、ダーリンの頭も仏に近くなった!反省なさい!」
 「……分かった。もうパパはやらん」
 猿渡空は笑った後、そう言えばという顔で、不思議そうに尋ねた。
 「……牛魔王は、どうして西麻布にいたの?」
 「……変な男に召喚されたんだ。サキュバスと寝させてやるとか言って」
 牛魔王がそう答えると、猿渡空は何となく相手が分かった。悪魔営業だ。
 「……でも私はサキュバスじゃないよ?」
 「……いや、サキュバスだろう。精力を抜かれた」
 確かに猿渡空は、男から精力を集めていた。童貞狩りもそのためだった。
 「……なに?もう一回やる?こっちも力が溜められて、お得だし」
 「仏(ブツ)、仏(ブツ)、仏(ブツ)……」
 玄奘がそう呟くと、孫悟空は頭が痛くなった。頭輪が締め付ける。
 「……ちょっと!冗談だってば!止めて!痛い!」
 孫悟空は頭を押えて、涙目で訴えた。玄奘は止めた。
 「ゆめそのような事を二度と言うでないぞ」
 「……うわっ、めっちゃ、厳しい。冗談通じないし……」
 孫悟空がしょげ返ると、猪八戒が笑った後、言った。
 「……ところで、どうやってここから出るんだ?」
 「……逃がす訳ないだろう。唐僧の旅はここで終わりだ」
 牛魔王が急に思い出したように言った。鉄扇公主は興味なさそうだ。
 「なぜ拙僧を狙う」
 「……仏法が弘まると、俺達の居場所がなくなると言われた」
 「誰に?」
 玄奘が尋ねると、羅刹女が答えた。
 「……天昌から逃げてきた妖怪女だよ」
 「……あの妖怪BBA!ここにいるの?」
 孫悟空がキョロキョロ探している。玄奘が止めた。
 「遠くに行くでない」
 「……え?ダメなの?じゃあ、こうする!」
 孫悟空は、髪の毛の小束を取り出すと、ふっと息を吹いた。
 「……増えろ!」
 たちまち小さな猿渡空が沢山出て来て、そこら辺を走り回った。
 玄奘はその様子を見届けると、牛魔王たちに振り返った。
 「そなたたちは妖魔というより、地仙だろう」
 「……区分なんて曖昧さ。何ならお前らを喰ってやろうか?」
 鉄扇公主は挑戦的に言うと、玄奘の後ろに若い従者が隠れた。
 「止めるがいい。それよりも、この炎に困っていないか?」
 「……実はそうなんだよ。星の王子様が点火してそのままだ」
 火山の上にフライパンを置いて、目玉焼きを食べたらしい。
 「……迷惑な奴さ!これだから宇宙から来る奴は嫌なんだよ」
 羅刹女もそう言った。星の王子様は、宇宙人だったらしい。
 「孫悟空よ。どうにかできるか?」
 「……え?なになに?」
 孫悟空は、小さい猿渡空を沢山、腕や肩に乗せていた。可愛い。
 「あのフライパン山の火を消して欲しい」
 孫悟空は、手の平をかざして、遠くの火山を見た。
 「……お安い御用よ!」
 「……一体どうやってあんなの消すんだよ」
 猪八戒が尋ねた。孫悟空は挑戦的に微笑む。
 「……決戦宝具を使うよ。フライパン山なんか一撃!」
 それは伝説の漫画に伝わるエピソードを具現化した宝具だった。
 「か・〇・は・〇・波―!」
 超巨大な衝撃波が通り抜けた。山からフライパンが見事に吹き飛んだ。
 火は完全に消えた。もうどうでもよくなった。牛魔王は通過を認めた。
 それが玄奘、火焔山を越えるだった。猿渡空は笑顔でVサインを決めた。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺042

玄奘、屈支(クチャ)に滞在 8/20話 玄奘の旅 以下リンク

玄奘、西天取経の旅に出る 1/20話 玄奘の旅 以下リンク


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?