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第四章 ピュール侵攻

 「艦長、艦首砲の発射準備、完了しました」
 副長がそう言うと、私が座る艦長席に、仮想トリガーが現われた。
 「秒読み開始。各艦降下態勢に移行」
 女性通信員がそう言うと、ピュールの宇宙艦隊から強襲揚陸艦の分艦隊が離れた。
 「時間です」
 私は艦首砲のトリガーを握った。足元には、ラ・マリーヌの空と海が広がっている。この下には彼がいる。私は目を瞑った。許せ、ジュリヤン。これが私の役目なのだ。
 「艦首砲発射」
 イカロス級強襲揚陸艦の艦首から、一筋の光がラ・マリーヌに向かって伸び、眼下の空を赤く焼いた。空中都市を一つ焼いたのだ。
 「目標の破壊を確認」
 戦術情報員がそう報告すると、私は大きく息を吸って、吐いた。今の一撃で空中遺跡アルジャンが破壊された。死者が出なかった事を祈ろう。最初の目標は、わざと遺失都市を選んだのだ。これで実質的な損害はなくても、十分な威嚇になる。
 私は艦長席から立ち上がると、旗艦と通信を開いた。
 「ニキアス司令、これより降下を開始します」
 私が敬礼を解いて、肉声でそう言うと、黒い軍服を着た初老の提督は答えた。
 「始めてくれ。朗報を待っている」
 通信はそれで終わった。ニキアス司令は、生身の人間だ。生体兵器ではない。ピュールでは、軍の指揮は主に人間が取る。そして軍の手足となり、中核を支えるのが、生体兵器の役目だ。生体兵器はまず将官になれない。例がない訳でもないが、多くの場合、佐官止まりだ。
 「降下前に全周波数で、ラ・マリーヌに宣言を出す」
 私が念話でそう言うと、副長がこちらを見た。手順では降下後だ。
 「よろしいのですか?」
 「あの星の言葉で私が喋る。無線による通信だ」
 「了解しました。少々お待ちを」
 あれから五年、私は昇進して、イカロス級強襲揚陸艦の艦長になった。階級は少佐だ。だが今回、私はニキアス司令の代理として、ラ・マリーヌに赴くので、司令代理の肩書きがある。だから共に降下する強襲揚陸艦の分艦隊を指揮し、あの星の代表と交渉する権限を持つ。
 私が選ばれた理由は、もちろん、私自身が強く望んだからでもあるが、何よりもあの星の事情を知っている唯一の生体兵器でもあるし、ラ・マリーヌの言語も喋れるからだ。
 「準備が整いました。どうぞ」
 副長がそう言うと、私は艦長席から通信回線を開いた。
 「我々は星間国家ピュールである。現時刻を以ってラ・マリーヌを実効支配する。速やかに武装を解除し、この星の代表と会見する場所を用意せよ。繰り返す」
 私は肉声でラ・マリーヌの言葉を喋りながら、ジュリヤンを思った。彼も今どこかで、私の声を聞いているのだろうか。もし聞いているのなら、今すぐ応えて欲しい。
 「艦長、間もなく大気圏に入ります」
 副長がそう言うと、通信を切った。船外の光学映像が赤く染まり、耐熱扉が下りた。降下の激しい振動の中、私は艦長席を水平にすると、黒い軍服を少し緩めて、眼を閉じた。
 私は待った。だがジュリヤンからの念話は来なかった。

 強襲揚陸艦の分艦隊が、ラ・マリーヌに降下すると、三ヶ国は大混乱に陥った。恐らくこんな事は初めてなのだろう。傍受された無線は悲鳴に満ち、かなりの数の飛行船や水上機が、空中都市から発進していた。宇宙から狙い撃ちにされると思っているようだ。
 「通信量、作戦前より増えています」
 女性通信員がそう報告すると、副長が言った。
 「交渉を求める通信はないか?」
 「今のところ、それらしきものはありません」
 女性通信員がそう答えると、私は艦長席の情報画面を見た。
 「各艦に伝達。密集隊形を取り、ブランに向かう。周囲の警戒怠るな」
 会見場所はブランと決めていた。作戦前の調査では、この星の情勢に大きな変化はなかった。三ヶ国と七つの空中都市が依然としてある。私は無意識のうちに、ジュリヤンを探していた。もう降りたのだから、彼から念話が来てもおかしくないはずだ。
 「艦長、交渉を求める通信を傍受しました」
 女性通信員がそう報告すると、私はすぐに通信機を取った。
 「回せ」
 耳を澄ますと、雑音に混じってこの星の言葉で、緑の共和国という単語が聞えた。そして共和国は単独で、ピュールと交渉する準備が出来ていると言ってきた。
 「私はピュールの代表である。この通信をしている者は何者か?」
 通信者は、若い男の声で共和国の報道官と名乗った。
 「他の二ヶ国の代表も必要だ。現時点での単独講和は認めない」
 共和国の報道官は、それには時間を要すると答えた。
 「三ヶ国の代表を集めよ。先の攻撃は警告だ。次はヴェルに落とすぞ」
 共和国の報道官は、飛び上がったかもしれない。彼は迅速に対処すると答えた。
 「会見場所は中立が望ましい。ブランを指定する」
 私は一方的にそう宣言すると、通信を切った。なぜジュリヤンから念話が来ない?私は不機嫌になった。だが次の瞬間、ふと寒気に襲われた。もしかして死んでしまったのか?
 紅い皇子はジュリヤンを狙っていた。だがそれは私がいたからだ。私が一度この星を離れた以上、今さら彼の命を狙う事に、あまり意味があるとは思えない。
 私は焦燥に駆られた。紅い皇子でもいい。誰か念話で、呼びかけてくるこの星の人間はいないのか?それともまだ、二人とも私だと気付かず、念話で私を捉えられないのか?
 「艦長、接近する大小の未確認飛行物体の一群を確認しました」
 突然、戦術情報員がそう報告した。私はすぐに情報画面を見た。
 「この星の飛行兵器と推定しますが、どうしますか?」
 副長がそう尋ねると、私はすぐに命じた。
 「各艦に通達。許可なき発砲を禁じる。彼らの実体弾は威力が低い」
 了解と副長が答えると、私は空中戦艦と水上機部隊と思われる、情報画面上の光点を眺めた。もしこの中にジュリヤンがいたら、私はどうすればいいのだろう?もし彼が先頭に立ってピュールに攻撃を仕掛けて来たら、どうすればいいのだろう?
 馬鹿らしい。ジュリヤンはそんな事はしない。彼は分別がある。きっと私の立場を理解して、共にこの難局を乗り切ってくれる。私はそう信じている。
 「距離五百。未確認飛行物体群、依然として針路を変えず」
 戦術情報員がそう報告すると、副長が私を見た。
 「対象を敵として認識する。各艦散開して、敵艦隊および敵編隊から離れよ」
 私がそう命令を下すと、敵艦隊が分艦隊と入り乱れてすれ違った。私は艦長席から、外の光学映像を見た。あれは空中戦艦だ。間違いない。今のところ両軍共に通信もしなければ、発砲もしていない。ふと一機の水上機が、私の横を通り過ぎた。
 「紫色の機体?」
 どこの国だ?私は不審に思った。見ると他の機体も全て紫色だった。
 「光学映像を回せ」
 思わずそう命じると、私の中で、よく知る気配が通り過ぎたような気がした。見上げると、紫色の空中戦艦が一隻、通り過ぎた。私は思わず身構えた。
 「敵艦隊および敵編隊、通過していきます。被害なしです」
 私は通り過ぎたあの一隻を、目で追っていた。あの船、間違いない。紅い皇子が乗っている。一体何のつもりだろう。私は念話を試みた。だが彼は私と話し合う気がないのか、念話を合わせようとしなかった。上手く逃げている。私は歯噛みした。
 「一体何のつもりだ」
 私が思わず独り言を言うと、副長がちらりと私を見た。私は無視すると、再度分艦隊に密集隊形を取るように命じた。私は自分でも、理由の分からない怒りに駆られていた。

 それからブランで、ピュールと三ヶ国の会議が開かれたのは、半日後だった。驚くべき速さだったかもしれない。だが私としては不満だった。三ヶ国の顔ぶれがよくない。五年前のあの会議より、明らかに格下の代表が送られてきた。
 最初の話では、緑の共和国は全権代表を送ると言っていたが、実際に出席したのは、共和国議会の一議員に過ぎなかった。また碧い王国は、外務大臣を送ると言っておきながら、なぜか王室特別顧問とか言う、よく分からない役職の老人を押し付けてきた。
 紅い帝国に至っては、軍人が出席した。どこかの司令官らしいが、明らかに帝国の代表とは思えない人物だった。予想はしていたが、紅い皇子は出席していない。
 私は彼らと会うべきではなかった。最初の話を信じた私が愚かだったが、この星の為政者は、様子見を送ったのだ。そして迂闊にも、会議を開いてしまったので、話を進めざるを得なくなった。宇宙で悪名高い戦闘国家ピュールも、軽く見られたものだ。
 だが彼らにも言い分があった。彼らは私の役職と立場を気にしており、私が臨時に編成された分艦隊の司令で、そもそもは一戦闘艦の艦長に過ぎない事に気がついていた。つまり、これは首脳会談ではないと彼らは判断したのだ。
 会議を中止する事も、一時は考えたが、各国の代表団の名簿を見ているうちに、気が変わった。ジュリヤンがいたのだ。緑の共和国の代表団の一員で、通訳兼外交官という妙な資格で、その名を載せていた。また碧い王国の代表団には、碧い姫がいた。
 私は会議より先に、ジュリヤンと会いたかったが、こればかりは任務なので、自分の役割を優先した。とにかく三ヶ国の代表に、こちらの用件を伝えねばならない。
 「三ヶ国に対し、現政権の解体、軍の解散を命じる」
 私は挨拶もなしに、いきなり会議の冒頭でそう宣言した。当然、会議場は騒然となり、しばらくの間、私は会議場が静まるのを待たねばならなかった。
 「それは無条件降伏か?」
 王室特別顧問と名乗る碧い王国の代表が、そう尋ねてきた。
 「そう考えても構わない」
 私がそう答えると、会議場は再び騒然となった。
 「横暴だ。ピュールは、武力でこの星を支配するのか?」
 共和国議会の一議員が、野次を飛ばすように叫んだ。だがアルジャンを吹き飛ばしたのが効いていたのか、賛同する声は少なかった。
 「そうだ。今降伏する者には、生命を保証する」
 私は会議場でジュリヤンの姿を探していた。だが彼の姿は見られなかった。
 「戦う前から講和会議を開く者がどこにいる?」
 共和国の代表は、他の二人の代表を見ながら、同意を求めるように言った。
 「私は交渉しているのではない。命令をしているのだ」
 こんな連中でも威せば、慌てて本国に事態の深刻さを伝えるだろう。
 「現政権の解体と言ったが、それは我が国の場合、王室の廃止を意味するのか?」
 碧い王国の代表がそう尋ねると、私は少し考えた。
 「そうだ。政体は何であれ、今実権を握っている者には降りてもらう」
 「それは承服しかねる。まず国民が納得しない」
 私は、王室特別顧問と名乗る老人を眺めた。気骨がありそうな人物だった。
 「我が国は王室を中心に、軍も民も結束している。これは崩せない統治の三角形なのだ。もし崩せば、貴族と平民で対立が生じる。最悪、革命になる」
 「それはピュールが関知する事ではない」
 私はできる限り、顔に表情を出さないように努めた。
 「仮に我が国が降伏したら、治安の責任は、ピュールにあるのではないか?」
 正論だと思ったが、占領軍の規模は最小限度に留めなければならない。
 「軍は解散させるが、警察組織は残そう。よって治安はそちらに責任がある」
 「滅茶苦茶だ。我々の情勢を何一つ分かってはいない。そんな者に国が任せられるか!」
 王室特別顧問の老人は怒り出した。彼の言い分は理解できたが、私にも与えられた任務と立場があり、折れる訳には行かなかった。
 「何度も言うようだが、私は交渉をしに来たのではない。命令をしているのだ」
 私は、ピュールが外交で使う、お決まりの台詞を繰り返した。
 「武力を背景にした命令だけで、国が治まるものか!今に後悔するぞ!」
 碧い王国の代表は、捨て台詞を吐いて退席した。私は歎息して、共和国の代表を見た。
 「共和国の回答を訊こう」
 「共和国は総意で動いている。今も議会で審議中だ。結論はまだ出ていない」
 私は紅い帝国の代表を見た。まだこの男は何も発言していない。
 「帝国の回答を訊こう」
 紅い軍服を着た壮年の男は、厳粛に答えた。
 「皇帝陛下の身命をお守りするのが、我らの務めです」
 皇帝?不在の皇帝に何の意味がある?私はこの男も、茶番の片棒を担いでいるのではないかと、本気で疑った。そもそも紅い皇子は、なぜこんな男を寄こしたのか?
 「重ねて訊こう。帝国の回答は何だ?」
 「皇帝陛下の身命をお守りするのが、我らの務めです」
 壮年の軍人を眺めた。この男は生身の人間か?私は立ち上がると、二人の代表に言った。
 「どうやらこの会議は前座に過ぎなかったようだな。この次はもっとまともな代表を寄こせ。ピュールは気が短い。この次はまともな返答を期待している」
 私はそう言うと、一回目の会議を終わらせた。

 「本当にこれでよろしいのですか?」
 ジュリヤンの姿を求めて、私がブランの会議場を出ると、副長がそう尋ねてきた。
 「構わない。まだ時間はある」
 私は急ぎ足で、緑の共和国の代表団の控え室に向かった。もちろん、護衛は連れている。だがこの場合、護衛が邪魔だった。何とかして二人だけで会える方法はないのか?
 「あれでは彼らは増長しますよ」
 ジュリヤンの事を考えていたので、副長に邪魔されるのが不愉快だった。
 「警告は出した。次の段階に進むにはまだ猶予がある」
 交渉の猶予は三日だ。それまで各国の正式な回答がない場合、軍事行動を開始する。
 「猶予ですか。なぜ彼らに正確な期限を与えなかったのですか?」
 私の考えでは、こちらの手の内を明かす理由は全くない。主導権はこちらにあるのだ。
 「この場合、期限を切るやり方が効果的とは思えない」
 私がそう答えると、副長は言った。
 「ニキアス司令は命じました。彼らが降伏しない場合、遺失都市から順番に消して行けと」
 「そして次はブランを撃てと言うのか?あそこには人が住んでいる」
 あの美しい島を葬りたくない。私はふと、ラム小父さんの事を思い出した。
 「ですが、アルジャンを撃ったのにもかかわらず、彼らの反応は鈍過ぎます」
 「交渉は私に一任されている。恫喝するのに何も空中都市を破壊する必要はない」
 私はこれ以上、空中都市を破壊するつもりはない。
 「非礼を承知で申し上げます。艦長はご自身の立場を再確認された方がよろしいのでは?」
 「どういう意味か?」
 立ち止まって、厳しく副長を詰問すると、彼は臆せず言った。
 「手緩い、と思われては元も子もなくします」
 副長の顔を見た。嘘偽りのない真摯な態度に見えた。彼は私の協力者の一人だ。今回の作戦で、私が何を考えているのか、私が言わなくても、なぜか分かっているような節がある。もちろん、彼にも立場があるから、決して表立って私の考えに賛同する事はしないが。
 「艦長がこの星に、特別な感情を抱いている事情は私も知っています」
 副長は、特別という言葉を強調して言った。私は自分の感情に、土足で踏み込まれたような感じがして、不愉快になった。だからわざと嘲笑するような態度で答えた。
 「私が判断を誤ると思っているのか?」
 すると副長は突然、頭を下げた。
 「いえ、出過ぎた事を言って、失礼しました」
 本来同格の他艦の艦長達は、私の事をどう見ているのだろうか?もし副長が言うように、手緩いと思われれば、彼らはニキアス司令に、ある意見を具申するかもしれない。私は嗤った。今回の旅は、内に外に敵が多い。ジュリヤン。早く助けに来てくれ。私は独りだぞ。
 「艦長、これだけは忘れないで下さい。我々は生体兵器であり、人間ではないのです」
 そんな事は分かっている。副長は一体何を言いたいのか。しかも、なぜかちょっと心配しているような顔までしている。私はますます不機嫌になった。
 「我々は兵器だ。敵を撃つために存在する」
 副長は曖昧に頷くと、敬礼して、その場から離れた。私は今自分で言った言葉を噛み締めながら思った。ジュリヤン、以前言っていたな。私はそんな事をするために、女の人の形をしているのではないと。だが私は未だに、なぜ自分が女の人の形をしているのか分からないぞ。

 それから私は、共和国の控え室に行ってみたが、双方の護衛から止められたので、中に入れなかった。私は念話で、個人的にジュリヤンを呼び出そうと試みたが、味方の護衛の手前、それはできなかった。結局、また私は彼に会えなかったのだ。
 こうなるといい加減、頭に来た。そもそもジュリヤンは、私と会う気があるのか?彼は今どこで、何をしているのか?私はここにいるんだぞ!私は虚しく、帰り道を歩いた。
 五年前、私は悪戦苦労して、天空都市オルの船体部分で、宇宙を航行した。宇宙船としては不完全だったが、私は何とか友軍の近くにまで辿り着き、無事に救助された。私は行方不明扱いされていたので、ピュールではちょっとした話題になった。
 そもそも私の乗艦していた船は、ラ・マリーヌの近くで事故を起して、乗員共々失われてしまった。私は何とか脱出して、軍の宇宙図を見ながら、あの星に降下する事を決めた。当時、私は追い詰められていた。脱出艇と言っても、生存に必要な環境の維持には限界があり、その期限が迫っていたからだ。私は脱出艇の中で、あの星の資料を読んだが、調査済みの無人の惑星と書かれていた。
 なぜ資料が間違っていたのか、私は知らない。ラ・マリーヌは水の星だから、直接降りて調査せず、宇宙からの調査で済ませてしまったのかもしれない。それにしても、こんな宙域に隠れた有人惑星があるなんて、誰も想像できなかった。
 無論、私の帰還とその報告は、ピュールを驚かした。直ちに極秘裏に、あの星を傘下に治める計画が立てられた。私もその計画に参加し、あの星で知り得た全てを伝えた。たとえ私があの星のために、情報の公開を拒んでも、誤魔化す事などできなかったからだ。生体兵器には、限定的な人権しかなく、私の記憶と外部記録装置は、私の意志では隠す事も消去する事もできない。だから積極的に協力を申し出て、私の力で事態をよい方向に持っていく事を考えた。
 それはジュリヤンとの約束だったし、私の仕事でもあったからだ。この五年、私はこの日のために努力して、昇進に昇進を重ねた。他国と戦争が絶えないピュールでも、五年間で三階級昇進は珍しい。生体兵器では前例がないかもしれない。それぐらい私は頑張ったのだ。
 だが現実はこうだ。私は未だにジュリヤンと会えず、敵と味方から圧力を受ける厄介な立場に立たされている。いや、立たされているという言い方は、卑怯かもしれない。私は自分から望んで、ラ・マリーヌ侵略の先頭に立ったのだ。
 それでも甘かったかもしれない。私は頭のどこかで、ジュリヤンをラ・マリーヌの代表として、考えていたのかもしれない。無論、そんな事はないと分かっていたつもりだったが、彼が全く交渉の舞台に上がれない、という事態は考えていなかった。
 最悪、ジュリヤン抜きで、この事態に立ち向かわなければ、ならないのかもしれない。そう考えると、落胆した。私はとんでもない独り相撲をしていたのかもしれない。いや、これからの責任を考えると、空恐ろしくさえある。とても独りでは耐え切れない。
 私は立ち止まって、通路の天井を見上げた。ジュリヤン、私はどうすればいいのだ?

 翌日の昼、二回目の会議は、本格的な顔ぶれが揃った。緑の共和国は、全権代表を送って来たし、碧い王国も外務大臣を送って来た。だが紅い帝国は、帝国宮宰という耳慣れない役職の老人を送って来た。皇帝の職務を助ける貴族の筆頭らしい。
 紅い皇子は依然として、現われなかった。また帝国の代表として、帝国宮宰が来たせいで、紅い皇子の失脚が囁かれ、皇帝復活の憶測が会議場で流れた。詳しい事は分からないが、帝国の内部は、皇帝派と皇子派で割れているらしい。
 また緑の共和国と碧い王国の間にも、微妙な温度差があった。以前は強固な同盟を結んでいた両国だったが、それは紅い帝国という共通の脅威に対してだった。だがピュールに対しては、両国はそれぞれ異なった見解を持っているようだった。
 私はまた、ジュリヤンもいなければ、紅い皇子もいない会議に立っていた。五年前とは明らかに情勢が異なる。私は独力で、事態の解決に向かわなければならない。震える手を握ってくれたあの頼りないけれど、ちょっと優しい手もなければ、耳障りな皇子の嗤い声もない。
 私は前回同様、挨拶抜きで宣言した。
 「ラ・マリーヌ臨時総督ニキアスの名の下において命じる。緑の共和国、碧い王国、紅い帝国の三ヶ国は、直ちに軍を解散させ、現政権を解体せよ。先の攻撃は警告である。三ヶ国の返答次第によっては、三ヶ国のいずれかを次の攻撃目標とする可能性もある」
 私は気分が優れなかった。下腹部に強い不快感を覚える。
 「緑の共和国は、ピュールの宣言を受諾する。すでに先日、議会は無期限で解散した。軍の武装解除も開始した。治安維持のため、速やかにピュールの進駐を求める」
 共和国の全権代表はそう宣言すると、私の顔を見た。この男は、五年前も全権代表だった。あの時は私が弱者で、彼が強者だった。たかが五年に過ぎないが、変わったものだ。
 「共和国の賢明な判断に感謝する。委細は追って通達する」
 私は全権代表にそう答えると、外務大臣を見た。
 「碧い王国は、ピュールとの交渉を継続したい。現時点での戦闘は望まない。場合によっては、協定に応じる用意がある。だが現政権の解体、すなわち、王室の廃止は、我が国固有の事情によりできない。より建設的な代案を求む」
 碧い王国の外務大臣はそう答えると、私を見た。この男は知らない。だが先の王室特別顧問と同じ理屈を言っている事から、王国の回答は変わりそうにない。
 「ピュールは王室の廃止を命じるが、現女王とその家族の安全は保証する」
 外務大臣は少し考えてから、より建設的な代案を述べた。
 「現女王が退位し、碧い姫が即位するというのはどうか?」
 「現政権と連続性のある統治機構は認めない」
 私がそう答えると、外務大臣は明らかに困惑の表情を浮かべた。彼は本当に困っている感じがした。恐らく彼の国では大変な事態で、とんでもない話なのだろう。
 「今一度、我が国の事情を説明させて欲しい」
 碧い王国の代表は私に懇願した。だが私はにべもなく断った。
 「駄目だ。進行の妨げになる」
 外務大臣は、青い顔をしたまま硬直してしまった。恐らく思考が停止して、頭の中が真っ白になってしまったのだろう。この男に、王室特別顧問みたいな胆力はない。もしまたあの老人が出てきたら厄介だったが、この男はこの男で、代表に相応しいとは思えない。
 「帝国の回答を訊こう」
 私は帝国宮宰と名乗る老人を眺めた。
 「皇帝陛下の御名において、今後我が帝国は、ピュールとの交渉を拒否する」
 「ピュールと戦うつもりか?」
 私は表情を消して、帝国の代表を見た。
 「交渉の拒否である。現時点ではそれ以上ではない」
 私は歎息した。どうやらこのままでは、次の目標はルジュになりそうだ。
 「三ヶ国の代表に告げる。ピュールに誤魔化しや時間稼ぎは通じない。戦うか降伏するかの二つに一つだ。緑の共和国のような明確な回答を期待している」
 碧い王国の代表は、固まったまま私を見ていた。紅い帝国の代表は、あたかも何事もなかったかのように、無表情のままでいた。緑の共和国の代表だけが、肩の荷が降りたような顔をして、力なく私を見ていた。私は再度口を開いた。
 「次の会議を最後とする。それまでに回答を決めておくように」
 こうして実質、最後の会議は短時間で終わった。本当は翌日に、最後の会議が開かれる予定だったが、それは予定のまま終わった。なぜならば会議は開かれず、ピュールとラ・マリーヌの最初の軍事衝突が始まったからだ。

 「艦長」
 私は会議場を出たところで、この星の言葉で呼び止められた。肉声だ。念話ではない。見ると、艦橋の女性通信員だった。彼女は私からこの星の言葉を学んでいる。
 「ジュリヤン・カラヴェルより伝言を預かっております」
 私は驚いて、女性通信員の顔を見た。
 「それは本当か?」
 「はい。こちらにどうぞ。私が案内いたします」
 私は護衛を引き連れて通路を歩いた。何かおかしい。不自然だ。
 「レア」
 彼女の名を呼んだ。レアという名前は、彼女の認識番号から数字を抜いて、残った文字を並び替えて作った名前だ。本来、生体兵器は人間らしい名前を持たないが、この程度の言葉遊びならよくやる。かく言う私も、同じやり方でテティスと名乗った事がある。
 「何でしょう?」
 レアは振返らずに、小声で答えた。
 「どこに行くのだ?伝言を預かっているのではないのか?」
 「はい。そうです。今、伝言の内容を実行しているところです」
 不審に思ったが、私はレアを信じる事にした。
 「分かった。頼むぞ」
 私が艦長になった時、レアは私の艦に配属される事を希望した。なぜ彼女がそんな事を希望したのか分からなかったし、またなぜそんな人事が通ったのかもよく分からない。だが聞くところによると、副長も同じ事をしたらしい。
 生体兵器に恋愛感情はない。だが好奇心はある。私の知らないところで、どのような噂が流れているのか知らないが、私が仲間うちで関心の的になっている事は知っていた。二人が私に何を期待しているのか知らないが、今は当てになるなら、誰でも当てにしたい。
 行き着いた場所は女子トイレだった。
 「私が時間を稼ぎます。窓から建物の外に出て下さい」
 ちょっと呆れた。これはジュリヤンの策だろうか?それともレアの策だろうか?
 「今はそんな事はどうでもいいです。早く中へ」
 私とレアは、外に衛兵を待たせて、女子トイレに入った。
 「窓の外に出たら、どうすればいい?」
 「迎えの者がおります」
 私は頷くと、窓を持ち上げた。そして窓から身を乗り出して、建物の外に出た。

 数分後、私は侍女の案内で、碧い王国の控え室に入った。なぜ碧い王国の控え室なのか分からなかったが、何となく碧い姫の差し金のような気がしてきた。彼女なら利害とは関係なく、それぐらいの事はしてくれそうな気がした。だがもしこれが碧い王国の罠なら、私はまんまと騙された事になる。無論、私を人質に取ったところで、何の利益にもならない。私の代わりなどいくらでもいるし、私の命一つでピュールが譲歩する訳がない。
 私は出されたお茶も飲まずに、椅子に腰掛けて待った。目を閉じると、部屋の外を行き交う足音と喧騒が聞えた。この中に私が知るあの足音はあるのだろうか。私はふと、眼を開いて扉を見た。すると閉じていた扉が、今開いた。
 思わず立ち上がると、フードを被った者が入って来た。
 「遅れてすまない。ようやく会えた」
 その入室者は念話を使った。そして褐色の眸で力なく微笑み、フードを降ろして亜麻色の髪を見せた。ジュリヤンだ。五年前より背が伸び、私より身長が高くなっていた。声も低くなり、体つきが男性的になっていた。顔つきも精悍になり、左の頬に小さな傷跡が走っていた。
 「ジュリヤン」
 とっさに身体が弾みかけた。
 「テティス、君は本当に変わらないな。五年前のままだ」
 ジュリヤンは、まるで眩しいものでも見るかのように私を見た。
 「こういう時はお世辞でも、綺麗になったと言うものだぞ」
 私がそう答えると、ジュリヤンはちょっと虚を突かれたような顔をした。
 「どうしたんだい?五年前の君は、そんな事は言わなかった。恋でもしたのかい?」
 「何を言っている!私がどれだけ待ったか分かっているのか!」
 思わず私が肉声で怒鳴ると、ジュリヤンが慌てて私の口を塞いだ。
 「分かったから、怒鳴るのだけは勘弁してくれ」
 ジュリヤンも変わった。昔はこういう強引さはなかった。成長したという事なのか?私達は立ったままもつれ合って、お互いを見つめた。
 「何があった?話してくれ」
 私は目を細めて、ジュリヤンの左の頬を軽く触れた。
 「まるで恋人同士の語らいだね」
 「ふざけないで、早く話してくれ」
 私の知るジュリヤンは、こんな男ではなかった。この五年間に一体何があったのか。私は知りたいし、私も話をしたい。
 「命を狙われている。ここに来る事ができたのは、碧い姫のお陰だ」
 私は頷いた。
 「僕はこの五年間、絶えず命を狙われ続け、無力感を味わされた」
 ジュリヤンは、私から眼を離して、遠くを見た。
 「ほとんど君に会うためだけに、生き延びてきたようなものだ」
 私は思わず、顔を伏せた。だがジュリヤンの腕は放さなかった。
 「この五年間、共和国は僕を生かしも殺しもしなかった。僕の存在は、ピュールとの交渉に役立つかもしれないけど、共和国の外交上、帝国との関係で障害になる。だから帝国の暗殺者は、いつでもどこでも僕を狙えた。とにかく逃げ回るしかなかった」
 私はジュリヤンの念話を聞いていた。久しぶりに私の内側で響く彼の声は、心地好かった。だが以前より、彼の力が落ちているような気がした。
 「出世どころの話じゃなかったよ。だけどそれなりに努力はした。僕は念話能力者だし、君と行動を共にした唯一のマリアン人だ。共和国にとっても利点はあると思った。だけど僕は喋れないし、共和国の裏切り者だ。結局、落ち着いた先は、碧い王国だ」
 ジュリヤンはそこまで言うと、私を再び見つめた。
 「君との約束を守れなかった。ごめん」
 一瞬、私の中で、昔のジュリヤンと今の彼が重なった。
 「そんな事はもういい。これからどうする?いや、どうすればいい?教えてくれ」
 私はまた肉声で、話していた。だがジュリヤンは言った。
 「僕に今、できる事なんてないよ。こうして今、君に会えた事が全てだ」
 衝撃を受けた。今、ジュリヤンは何と言った?
 「君は凄いよ。本当にピュールの代表だなんて。僕は何もできなかった」
 その事はもういい。ジュリヤンが無事で何よりだ。
 「それに引き換え、今の僕は無官に等しい。何とか共和国の代表団に入れたけれど、それは僕の力じゃない。碧い姫の力だ。だけど彼女でも、これぐらいが限度だ」
 「私は、私は!」
 それ以上、言葉にならず、両手でジュリヤンの胸を叩いた。
 「テティス、力になれなくて本当にすまない」
 涙が出た。悔しいからか、悲しいからか、分からなかったけれど涙が出た。止まらない。
 「何か言ってくれ。本当に何もできないのか?」
 私が涙声でそう言うと、ジュリヤンは少し考えてから言った。
 「助言ぐらいならできるかもしれない」
 「それで十分だ。私は何をすればいい?いや、そもそもこれで良かったのか?」
 涙を拭った。私は侵略者として失格かもしれない。敵の男に通じている。
 「うん。難しいね。でも最初にアルジャンを吹き飛ばしたのは効果的だった」
 ジュリヤンは腕を組み、片手を顎に当てながら考えた。
 「あれで、マリアン人はピュールとの技術格差を思い知ったからね。でもあれだけで、大人しく引き下がるとは思えない。最低一回ぐらいは戦闘になるかもしれない」
 「やはり帝国か?」
 私がそう指摘すると、ジュリヤンは少し考えてから言った。
 「そうだね。でも今回は碧い王国も場合によっては、反ピュールに傾くかもしれない」
 「緑の共和国はあっさり手を上げたな」
 私がそう感想を述べると、ジュリヤンは答えた。
 「元々、ああいう国なんだ。戦争よりも商売を優先する国なんだ」
 共和国元首が辞任し、共和国議会が解散になったところで、数年に一度行われる総選挙とあまり変わりがないらしい。共和国は他の二ヶ国ほど、為政者が固定的ではないと聞く。
 「ジュリヤンが緑の共和国の代表だったならばどうする?」
 私はかねてから興味のある質問をぶつけてみた。
 「同じだよ。戦わないで降伏する」
 「いや、降伏した後の話だ。ただ何もしない訳ではあるまい」
 ジュリヤンは即答した。
 「僕だったら、ピュールに惑星改造を提案する。五年前、君は言っていたね。この星が滅びかけているのは、土地がないせいだと。僕も全くその通りだと思うよ。だからピュールの惑星改造技術でこの星を救うんだ。この話は、双方にとって利益になる」
 私は満足した。やはりジュリヤンはこの星に必要な人間だと思う。
 「惑星改造は時間が掛かるが、ピュールにも利益になるなら、実行されると思う」
 「でもそのためには、長期間に渡る安定した友好関係が必要だ」
 ジュリヤンが問題点を指摘すると、私は頷いた。
 「分かっている。共和国はともかく、他の二ヶ国は難しいぞ」
 「問題はそこだね。だけど彼らは、今回の事態を容易に納得しないと思う」
 「やはり一戦を交えるしかないのか?」
 私がジュリヤンの顔を見ると、彼も頷いた。
 「そうだね。そうでもしないと納得しない人もいると思う」
 「だがこの星の軍備で、ピュールと戦っても勝負にならない」
 五年前に見た限り、ピュールの脅威となりうる兵器など存在しなかった。
 「そんな事は分かっているさ。でもこれは理屈じゃない。感情の問題なんだ」
 ジュリヤンがそう答えると、私は理由もなくどきりとした。
 「感情の問題?」
 「ああ、君だって勝てないと分かっていても、勝負に出る気持ちは分かるだろう」
 ふと五年前の事を思い出した。私は一度、ジュリヤンに止められた事がある。
 「だが一度戦ってしまうと、簡単に修復できない溝が生じる」
 「そうだね。でも敵だからと言って、ピュールも皆殺しにする訳ではないだろう?」
 私は少し考えた。あの話を言うべきか。言うべきではないか。
 「それは状況による」
 そう答えると、ジュリヤンの顔に懸念の表情が浮んだ。
 「いや、昨日の敵は、明日の友になる可能性がある者として扱い、昨日の友は、明日の敵になる可能性がある者として扱うべきだ。皆殺しは何も生まない」
 「ピュールは敵と味方を峻別する。そんなまどろっこしい事はしない」
 「それじゃあ、駄目だ。とてもじゃないけど、この星の統治なんかできっこない。ピュールだって占領軍に大きな兵力を割きたくないだろう。もし少ない兵力で効率よくこの星を支配したいのなら、反抗したマリアン人も許して、信用するしかない」
 私は歎息した。やはりあの話をするしかないのか。
 「ジュリヤン。凄く言い難い事だが、私が聞いた話では、全ての空中都市を宇宙から攻撃して吹き飛ばし、その後にピュールが入植するという軍上層部の意見があった」
 不思議とジュリヤンは驚かなかった。むしろその口調には怒りよりも、憂いがあった。
 「滅茶苦茶だ。マリアン人に死ねと言うのか?そんな事をやっていたら、ピュールも長くないよ。ピュールがこの宇宙で、どの程度の勢力なのか知らないけれど、そんなやり方だと他の勢力から全く信用されなくなるだろうし、いずれピュール 内部でも粛清の嵐が起きる」
 「だがジュリヤン。ピュールとはそういう国なのだ。本当にそういう事もやりかねない」
 私がそう答えると、自然と私達二人は、向かい合った。
 「止めなくちゃね。もしそうなら、一回の戦闘でもどう影響するか分からない」
 「ああ、そうだ。何としても戦闘は避けるべきだ。軍上層部をよくない方向に刺激する」
 私は正直に話した。
 「だけど全ての人間を穏便に説得するなんて無理だよ」
 「たとえ武力で威されても、立ち上がる者はいるからな」
 私はそう言ってから、しばらくの間考えた。そして尋ねた。
 「どうすれば、帝国や王国を説得できると思う?」
 ジュリヤンは即答しなかった。だが緩やかに答えた。
 「時間があれば、共和国の銀行が、帝国の貴族や王国の重臣に色々と働きかける事ができると思う。帝国の貴族や王国の重臣は、共和国の銀行からお金を借りているからね。だから借金を口実に、帝国の貴族や王国の重臣を共和国側に動かす事はできると思う」
 「それにはどれくらいの時間がかかる?」
 私は多少の期待を持って尋ねた。
 「それは分からないけど、今日明日では無理だろうね」
 「そうか。だがあまり時間はないのだ。短時間で解決しなければならない」
 私は失望しなかった。こうしてジュリヤンと話していれば、希望が持てそうな気がした。
 「やっぱり戦闘は避けられないと思う。戦闘は発生すると想定して、行動するべきだ」
 しばらくの間、ジュリヤンは考えてからそう答えると、私は言った。
 「ならば問題は戦闘の内容と、どう事後の処理をするかだな」
 「そうだね。何とか双方が穏便に治まる形にしたいね」
 ジュリヤンは苦しそうにそう答えると、初めて不安そうな顔をした。
 「ピュールは統治した星で、散発的な反乱が起きるのを嫌っている」
 「そりゃどこの国だって同じだよ」
 「いや、特に嫌っている。かつて虐殺もあった。私はこの星でそれをやりたくない」
 私の最大の懸念は、戦闘の内容と事後の処理だった。一方的な虐殺だけは避けたい。
 「そうか。想像以上に厄介な相手なんだね。ピュールって」
 ジュリヤンはそう言ってから、慌てて私の顔を見た。
 「いや、構わない。私も立場が反対ならそう思う」
 私は苦笑した。あれはジュリヤンの失言だったのか?
 「テティス、頼みがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
 ジュリヤンは姿勢を正して、改めて私を見た。
 「何だ。言ってくれ。できる事なら何でもする」
 「君の上司と会わせて欲しい。話がしたい」
 「私の上司?ニキアス司令か?」
 私はちょっと困惑した。
 「その人は知らないけれど、ピュールの上層部の人なら誰でもいい」
 「それは難しいぞ。何らかの理由が必要だ」
 私がそう指摘すると、ジュリヤンも頷いた。
 「そうだね。何か理由が必要だね。僕はこの星の代表でもないんだし」
 「だがなぜ司令と会うのだ?私では不足か?」
 ジュリヤンは静かに首を振った。
 「いや、そうじゃない。この星の考えを直接知って欲しいんだ」
 「知ってどうする?ピュールの方針は既定事項だ。変わらないぞ」
 私がそう答えると、ジュリヤンは少しの間、沈黙してから言った。
 「なるべく早い段階で、惑星改造の話を伝えたい。短期的には分からないけれど、長期的には、多分それが一番の解決策になると思う。できれば戦闘が起きる前がいい」
 「分かった。何とか理由をでっち上げて、司令と面会させよう」
 私がそう答えると、不意に部屋の扉が叩かれた。何者だろう?私達は警戒した。
 「私です。作戦会議は終わりましたか?」
 私はジュリヤンの顔を見た。碧い姫の声だ。彼は私を見て頷くと、扉を開けた。
 「お久しぶりです。テティス。お元気そうでなりより」
 碧い姫は五年前と変わらない姿で立っていた。確か今年で三十五になるはずだが、容貌に衰えは全くない。若くて美しいままだ。
 「いえ、こちらこそ。五年前はお世話になりました」
 私が軽く頭を下げると、姫は一瞬、きょとんとした顔をした後、笑い出した。
 「お変わりになられたようですわね。五年前のあなたは、そんな事は仰いませんでした」
 姫が同意を求めるように、ジュリヤンを見ると、彼も苦笑した。そして彼は私には念話で、そして姫には手話で、同時に会話を始める。姫は五年前同様、手話と肉声で応じた。
 「姫、お戯れを。五年も経てば、誰だって成長します」
 私は碧い姫を見て、気がついた。青と紫のドレスに銀のティアラという姿に変化はないが、ドレスに赤紫のリボンが追加されているのが、少し気になった。変という程ではないが、何となく不調和な感じがする。確かあんなリボンは、五年前にはなかったはずだ。
 「私は変わりませんわ。昔から」
 姫が小首を傾げて微笑むと、私は理由もなく、身を硬くした。何か気になる。
 「私、お邪魔でした?でもそろそろ移動のお時間でしたので」
 「わざわざ、お知らせ、ありがとうございます」
 ジュリヤンはそう答えると、今気が付いたかのように、姫のリボンを指摘した。
 「ところでその赤いリボンは新しい衣装ですか?お似合いですよ」
 「まぁ、あなたがお世辞を言うなんて。もうあの頃のあなたではないのですね」
 姫は眼を細めて、昔を懐かしむような顔をしたが、ジュリヤンは全く意に介さず言った。
 「いえ、朱に交われば、朱に染まると言います。あの後、紅い皇子とはどうなりました?」
 私は思わずどきりとして、ジュリヤンを見た。
 「あら、それは何のお話ですの?ですがあのお方なら、相変わらずですよ」
 「会議に出席していないようですが、何か他に急ぎの用でも?」
 ジュリヤンは確認するようにこちらを見た。私は黙って頷いた。
 「それは帝国の方にお聞きになるのが、よろしいかと思いますわ」
 碧い姫は、再び微笑んだ。私はジュリヤンを見た。彼も頷いている。何か変だ。
 「お二人とも、五年たっても、お心が通じ合っているようですね。うらやましいですわ」
 姫がさも嬉しそうに笑うと、私も思い切って尋ねる事にした。
 「この星に降りた直後、紫色の水上機部隊と接触しました。あれは何ですか?」
 私の質問に、ジュリヤンが酷く驚いているのが、こちらからでもよく分かった。
 「紫色?変ですわね。そんな色の国はありませんわよ」
 姫は人差し指を額に当てて、考える素振りを見せると、ジュリヤンが指摘した。
 「赤と青を混ぜると、紫になります」
 一瞬、部屋が凍ったような気がした。そして碧い姫が言った。
 「相変わらず鋭いのですわね。もうちょっと楽しみたかったのに」
 突然、部屋に小銃を持った男達が雪崩れ込んで来た。赤紫色の衣を纏った覆面の男達と、青紫色の軍服を着た男達だ。見た事がない。一体どこの国の連中だ?
 「紫の公国とお呼び下さい」
 私が姫を睨むと、私とジュリヤンは銃口で包囲された。
 「もっとも、まだ建国宣言もしていないので、軍が先にあるだけですが」
 「姫、これはどういう事ですか?」
 私が詰問すると、碧い姫は答えた。
 「移動のお時間です。ジュリヤンは私と共に来てもらいましょう」
 私の眼の前で、ジュリヤンが赤紫色の男達に連行されそうになった。
 「待て。ジュリヤンをどこに連れて行く」
 今、気が付いたが、あの赤紫の連中には覚えがある。五年前、私と戦ったこの星の念話能力者達だ。だが至近距離で銃を突きつけられているので、迂闊な事ができない。
 「そうですね。どうしましょう?」
 碧い姫が、いつもと変わらない微笑を見せると、ジュリヤンが言った。
 「テティス、挑発されるな。これは紅い皇子の策だ。碧い姫は反ピュールに傾いた」
 私はジュリヤンを見る事なく、碧い姫を睨んだ。
 「答えろ。紅い皇子は何を考えている。何をするつもりだ」
 碧い姫は、表情を変える事なく、優雅に私の質問に答えた。
 「あの方は、あなたをこの星から逃した後、紫の軍団を建軍なさいました」
 「紫の軍団?あの艦隊がそうなのか?」
 正直、可笑しかった。あの程度の兵器でピュールに勝てる訳がない。
 「あれは一部です。紫の公国は、反ピュールを旗印に、公民を広く募ります」
 厄介な事をしてくれる。それではピュールはこの星の人々と戦わざるを得ない。
 「テティス。これは罠だ。たとえ僕が殺されたって、戦ってはならない」
 ジュリヤンは部屋から連れ出されてしまった。包囲された銃口の前、私は動けない。
 「結婚式でお待ちしておりますわ。テティス。これは私からの招待状です」
 碧い姫は優雅な仕草で、手紙を取り出して、私に手渡した。すると不意に、足を階段から踏み外したような感じがして、地震が始まった。いや、これはブランが浮上しているのだ。
 「そうそう、公国の首都はこのブランです。これはあなたの置き土産のお陰ですよ」
 私は何もできず、拳を握り締めて、碧い姫が出て行った扉を凝視していた。

                             第四章 了

『空と海の狭間で』8/10話 第五章 紫の公国


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