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地獄のダウン・フォール作戦

 その航空母艦は洋上に浮かんでいた。紀伊半島沖だ。船体が深緑色と浅緑色で迷彩色だった。発見された時、無人で、大和型三番艦信濃と同型艦だと言われた。中身は完全に空で、何も搭載していなかった。発見した海上自衛隊は、総理大臣に報告を上げた。

 「撃てるものなら、撃ってみろ。死んでも渡さん」
 その総理大臣は、長野の臨時庁舎を出ながら、そう放言していた。
 「……総理、策はあるのですか?大陸は水爆を日本に落とすと言っているのですよ?」
 「策などない!」
 総理大臣は、マスコミに向かって叫んだ。連日、同じ問答が繰り返されている。
 「諸君が歩んだ歴史の通りだ。日本は核武装していない。日本は核武装していない以上、外国の核の脅しには屈する訳にはいかない。以上。それだけだ!」
 総理大臣は、左慈道士と共にヘリポートに向かっていた。仙人は微笑んでいる。
 「……論理が破綻しています!」
 「諸君が歩んだ歴史だろう!否定するな!最後まで貫け!でなければ、潔く散れ!」
 そのマスコミは、訳が分からない論破をされていた。総理大臣の怪気炎だ。
 「……大陸に200万人を渡した後、どうなるか、まだ誰も分からないのでは?」
 だがそのマスコミは、わざと議論を煽っていた。この総理大臣は記事になる。
 「大陸を信用するのかね?共産党を?それにどういう基準で選抜するのかね?」
 総理大臣は立ち止まって振り返った。怒髪が天を衝いている。
 「……人体改造とか、幾ら何でもSF的過ぎます。それに猿兵とは何ですか?AIでは?」
 マスコミはスマホを見せた。猿兵の動画が流れている。今、世界中に広まっている。
 「遺伝子改良人間だろう?諸君の好きなハリウッド映画だよ。諸君が好きなハリウッド映画の世界が実現したら、途端にこれは嘘だ。フェイクだと言うのかね?人が描いた夢は、いつか実現するものだよ。Dreams come trueだ。悪夢かもしれないがね」
 「……空想と現実は別です。世界で人権は保障されている。大陸も同じです」
 「そう願いたいね。だが地球だって、自転が揺らいでいる。何が起こるか分からん」
 マスコミは立ち止まった。総理大臣は輸送ヘリCH-47JAチヌークに乗る。
 「……北方の大国はどうするのですか?やはり協力を依頼するのですか?」
 総理大臣は僅かに動きを止めた。そして輸送ヘリに搭乗する。
 「援護射撃はありがたい話だが、まだ分からん。決めていない。全ては状況次第だ」
 「……総理はどちらに行かれるのですか?」 
 「ちょっと、信濃の様子を見てくる!」
 移動中、総理大臣は秘書官から様々な報告書を渡され、目を通していた。その中に、表参道の歩道橋というものがあった。原宿と表参道の間にあった有名な歩道橋だったが、夜のイルミネーションがロマンティックで、あまりに人が集まり過ぎたため、取り壊された。
 だが最近、この歩道橋が一日だけ復活して、立っていた。歩道橋の上から、万札をバラ蒔く女の動画も上がっている。だが次の日には、歩道橋は忽然と消えていた。これは明らかにおかしい。区の関係者も知らないと言う。変異、神変の類だった。
 他にも、蝗の襲来の時、どこからか三式弾が飛んで来て、声を聞いた者がいると言う。知らぬ間に、世界は少しずつ変貌している?近年、日本で桜が咲かなくなった。その時から、世界は変貌していたのかも知れない。そして今回の空母信濃だ。見る価値がある。
 信濃に着艦したCH-47JAチヌークから、総理大臣は飛行甲板に降り立った。
 「確かに空母信濃だな。実在する」
 総理大臣は踵で、飛行甲板をカツカツと叩いてみせた。同行する秘書官たちはおっかなびっくりだ。左慈道士は、「ふぉふぉふぉ」と謎の笑みを浮かべている。
 「使えるのか?」
 総理大臣が、出迎えた海上自衛官に質問すると、問題なく使える状態だと言われた。
 「とりあえず、横須賀に回しておいてくれ。後で考える」
 三浦半島は津波で被害を受けたが、米軍を中心に急ピッチに復旧作業を行っている。
 「……総理、よろしいですか?長野から緊急です」
 秘書官がスマホを渡して来た。総理大臣が取ると、外務大臣だった。
 「総理、至急陸地に退避して下さい。そちらが最前線、戦場になる可能性があります」
 「……うん?何が起きたのかね?」
 「大艦隊です。1,000隻以上の艦艇が、太平洋から日本に向かっています」
 「……どこの国かね?」
 「合衆国の艦隊のようです」
 「……ようですとは何だ?」
 総理大臣は微妙なニュアンスに引っ掛かった。
 「艦が古いのです。戦艦も空母もある。第二次世界大戦期の米艦と思われます」
 「……艦隊の指揮官は誰かね?」
 総理大臣が尋ねると、外務大臣は少し間、躊躇ってから答えた。
 「レイモンド・スプルーアンス海軍大将です」
 「……ほぉ」
 総理大臣は感嘆詞を発しただけだった。面白い。とうとう世界が牙を剥いて来た。
 「……私は岐阜の政府出張所で指揮を執る。閣僚を集めよ」
 だがすでに戦端は開かれており、艦砲射撃、艦載機爆撃で、民間人の犠牲者が出た。在日米軍が先行して戦っている。閣議は荒れた。総理大臣は椅子に深く座っている。
 「この状況は一体何だね?意味が分からない!」
 防衛大臣は、書類を机に叩き付けた。第二次世界大戦期の合衆国海軍が、太平洋から日本に向かっている。降伏勧告さえあった。司令官はあのスプルーアンスだと言う。
 「……現在、二手に分かれて進行中。分隊は九州に向かう模様」
 海上自衛隊の海将が海図を示した。本隊は関東地方に向かっている。
 「合衆国は何と言っているのかね?」
 防衛大臣が尋ねると、外務大臣が答えた。
 「……知らないそうです」
 「知らない?知らないとは何だね?まさか知らん顔をするつもりか?」
 防衛大臣が興奮すると、官房長官が止めに入った。そして総理大臣を見る。
 「……総理、合衆国に連絡をお願いします」
 言われなくてもやるが、意味はないだろう。きっと彼らだって、分からない。そう言えば、あの共和党前大統領は無事だった。銃弾はベルトの金具や、ボタンに当たっていた。
 「在日米軍は総力を上げて、退避中ですが、一部すでに戦闘を開始した模様」
 統合幕僚長がそう報告した。20世紀と21世紀の米軍が相撃している。凄い状況だ。
 「……現在の海上自衛隊の稼働率は4割程度です」
 海将も報告した。蝗の時よりさらに落ちている。津波のせいだろう。
 「総理、これは一体何ですか?」
 財務大臣が、ハンカチで額の汗を拭きながら、モニターを見ている。恐ろしい戦力だ。
 「……1946年のダウン・フォール作戦だろう?」
 それしか考えられない。作戦の展開を見る限り、情報は一致している。見れば分かる。
 「いや、私が訊いているのはそういう事ではないのです」
 財務大臣は続けた。この事象の事を言っているのか?そんなの知らない。
 「……大規模な変異・神変だろう?お化けや幽霊と一緒だ。そのうち立ち去る」
 「信濃出現と呼応していますね」
 外務大臣が指摘した。数が釣り合わないが、同じ現象かもしれない。
 「……幽霊?意味が分からない。なぜ1946年の米軍が現代日本を攻めて来る?」
 防衛大臣は激怒していた。紙を握り締めている。官房長官が、総理大臣を見た。
 「北米大陸で大規模な天変地異があった。その影響だろう。それでどこかの世界線と、こちらの世界線が重なってしまった。地球も大きく揺らいでいる。大勢の人が死んで、迷った。そういう想いも影響している。まぁ、お化けの集団、百鬼夜行だよ」
 「……お化けの集団?百鬼夜行?」
 防衛大臣は理解できないという顔をした。米軍もすでに被害が出ている。実体がある。
 「人が死ねば、幽霊が出る。道理だ。それの集団バージョンだよ。実体があるがな」
 「……総理、私には不条理過ぎて、耐えられません。辞任させて下さい」
 防衛大臣は辞表を出して来た。他の閣僚も下を向いている。
 「総理、私もこの先、職務を全うできそうにありません。状況が理解できない」
 財務大臣もその場で辞任を表明した。官房長官が嘆息している。総理大臣は言った。
 「……辞任の件は承知した。今までの協力、感謝する」
 だが辞任する閣僚は、二人に留まらず、その後、半数以上の者が辞めた。
 「戦闘は極力回避して、時間稼ぎに徹しろ。抜かれて不味い処だけ守れ」
 総理大臣は、統合幕僚長に指示を出した。実体があるのが厄介だ。物理的に存在する。
 「……その様に致しますが、総理はどれくらいで、事態が収まるとお考えですか?」
 そんなの知らない。神様に訊いてくれ。だが統合幕僚長はじっとこちらを見ている。
 「一日ぐらいじゃないか?そんなに長い時間、大規模な現象は起きない」
 連合王国では古戦場で、17世紀の鉄騎隊の戦いが再現されるゴースト・ウォーズがある。アレは映画みたいに大パノラマに見える心霊現象だが、半日くらい続くと聞いている。
 「……スプルーアンス提督には、何と返信しますか?」
 外務大臣が総理大臣に尋ねると、議員一年生は嘆息した。直接、話すのがよいだろう。
 
 「……私が日本の内閣総理大臣だ。単刀直入に言おう。手を引いてくれ」
 夜、総理大臣は、戦艦アイオワに搭乗するスプルーアンス提督にそう伝えた。
 「これは地獄のダウン・フォール作戦だ。降伏するか、戦うか、それだけだ」
 スプルーアンス提督はそう答えた。周囲の秘書官たちがざわめく。
 「……君のボスと話がしたい。話ができるか?」
 「私はボスから全てを任されている。降伏した時のみボスに伝えよう」
 あの車椅子の大統領は、今もこの世界のどこかにいるのか?一体何を考えているのか?
 「……我々は21世紀にいる。君たちは今、どこに存在している?」
 長い間、沈黙があった。総理大臣は応答を待った。
 「我々は今戦争中だ。これまでも、これからも、ずっとだ」
 「……君たちは自分に呪いをかけている。車椅子の大統領の呪縛から逃れたまえ」
 「Remember Pearl Harbor.死者の想いは変わらない。君たちの責任だよ。これは……」
 通信は不意に切れた。総理大臣がマイクを置くと、レーダー画面上の全ての光点が消えていた。1946年の合衆国海軍はもういない。霧の艦隊は跡形もなく消えていた。
 総理大臣は念のため、信濃が消えていないか確かめたが、空母はまだ存在していた。
 
         『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード118

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