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第三章 空と海の狭間で

 空中都市ブリュ。碧い王国の王都であり、この星最大の空中都市でもある。碧い王国の起源は古く、遠く地上時代にまで遡る。元々は地上の国だったが、大洪水以降も生き残り、現在この星最古の都市国家になっている。
 ブリュは身分制社会で、貴族、僧侶、平民の三階級がある。そして碧い血筋と呼ばれる王家から国王が選ばれ、国を治めている。代々女王が多く、特に次の女王候補を、碧い姫と呼ぶ習慣があり、宮廷の華として、皆に親しまれている。
 僕達二人は、王立空軍の水上機部隊と共にブリュに辿り着くと、碧い姫と会う事になった。碧い姫は、女王の代理として、外国の要人と会う役目があった。今回僕達二人は、最重要人物として、何の条件もなしに、彼女と会う名誉を得た。
 「初めましてお二人とも。どうか堅くならず、気軽に姫とお呼び下さい」
 碧い姫は、喋りながら、手話を使って挨拶をした。僕が驚くと、テティスが念話してきた。
 「彼女はこの国でどれくらい偉いんだ?」
 「この国で二番目に偉い人だよ」
 碧い姫が微笑むと、可愛らしい八重歯がこぼれた。彼女は黒目黒髪、垂れ眼の童顔で、長い髪の間から、特徴のある細い両耳が出ていた。そして小柄な身体に青紫のドレスをまとい、頭に銀のティアラを被っている。推定三十歳だが、まだ十代の少女のように見える。
 「お二人の噂は、ここ最近よく耳にしますわ」
 僕達二人の無言のやり取りを見ていた碧い姫は、微笑んでそう言った。
 「何でも、世界を敵に回して愛の逃避行だとか。うらやましい限りですわ」
 碧い姫は両手を胸の前で合わせて、夢見る少女のように眸を輝かせた。
 「この星一番の注目のカップルは、ずっと紅い皇子と碧い姫だったのに、残念ですわ」
 僕がたじろいでいると、テティスが念話で僕に姫への通訳を要求した。
 「テティスが、紅い皇子とはどんな関係なのか、訊いています」
 「あら、ご存知ないのですか?私、紅い皇子から求婚されていますのよ」
 それは知らなかった。ん?待てよ。それは紅い帝国と碧い王国の統合を意味しないか?
 「そう。同盟の切り崩しですわ」
 それは大変な話だ。もし実現すれば、緑の共和国は戦わずして帝国の軍門に降るしかない。
 「それで、碧い姫は、紅い皇子とのご結婚をどうお考えなんですか?」
 僕は碧い姫に手話をしながら、同時に念話でテティスに同じ内容を伝えた。すると碧い姫は、応接室の壁に掛けられた一枚の絵を見た。それはこの豪華な応接室に相応しい油絵ではなく、木炭で描かれたとても質素な素描だった。碧い姫の横顔が描かれている。
 「一人の女性としては、紅い皇子に大変魅力を感じます。ですが私は碧い姫です。この王国の将来に責任があります。紅い帝国との統合よりは、緑の共和国との同盟を優先します」
 碧い姫がそう答えると、僕は安心した。だが彼女は続けた。
 「でもあの方、とっても素敵なお方ですわ。凄くお上品で、こちらの宮廷にいらっしゃると、皆を驚かせたり、怒らせてばかりいますのよ。それがとっても面白くて、私いつも楽しみにしています。本当に困ったお方ですけど、私、彼の事が好きですわ」
 碧い姫がそう言うと、僕達二人は顔を見合わせて念話をした。
 「ジュリヤン。のろけ話を聞きに来たのではない。もう少し具体的な交渉をしよう」
 「でも紅い皇子の話は気になる。もうちょっと訊いてみよう」
 僕が碧い姫に向き直ると、彼女は小首を傾げて微笑んだ。
 「姫、紅い皇子は何を考えていると思いますか?」
 「この星の統一でしょうね」
 そうかもしれない。紅い帝国は、昔から他の都市国家を併合して、大きくなった。紅い帝国がこの星の統一を目指しても、今さら驚きはしない。恐らくテティスの抹殺も、紅い帝国の利害と一致しているのだろう。でなければ紅い皇子もあんな事はしない。
 「でもこの星を統一して、どうするつもりなんですか?」
 「それは分かりません。直接、訊いてみてはいかがですか?」
 碧い姫がそう答えると、僕は考えた。現在、この星には三つの国があるが、将来一つにまとまる可能性は高い。理由は色々あるが、最大の理由は人口問題だ。
 「やっぱり紅い帝国も人口が減っているのですかね?」
 「増えているという話も聞きますが、公式の発表がないので、正確な事は分かりません」
 碧い姫は歎息して、僕達二人を見た。
 「帝国のような婚姻統制は好ましくありませんが、近々我が国でも行われるそうです」
 「この星の人口はそんなに減っているのか?」
 テティスが念話でそう尋ねてくると、僕は手話でテティスの質問を姫にも伝えた。
 「ある研究によると、五百年後に滅びる可能性があるそうです。そして今の世代で何らかの手を打たないと、人口の減少に歯止めが利かなくなる、とも言われています。もっとも大洪水以降、人口は減り続けていますので、今さらどうにもならない、という意見もありますが」
 碧い姫がそう答えると、テティスは肉声でたどたどしく喋った。
 「この星には土地がない。それが人口減少の原因だ。だから惑星改造をすればよい」
 僕と碧い姫は、思わず顔を見合わせた。
 「惑星改造?どうやって?」
 するとテティスは、失言だったというような顔をして俯いた。
 「すまない。今の発言は忘れてくれ」
 「そうですか。でも貴重なご意見、ありがとうございます。他所の星の方だとお聞きしていましたが、やはり私達とは異なった視点をお持ちのようですね」
 碧い姫がテティスに礼を言うと、テティスは居心地が悪そうな様子を見せた。明らかにこの話題から離れたがっていた。惑星改造というものが、一体どんなものか想像できないが、恐らく彼女の母星では、実現可能な技術なのだろう。僕は少し希望を持った。
 「ジュリヤン、早く重力機関の調査の協力を依頼しよう」
 テティスが念話でそう急かすと、僕は碧い姫に向き直った。
 「姫、僕達二人は、誰にも妨害されないで、空中都市の重力機関の調査をしたいのです。無論、重力機関に関する情報や技術は提供します。どうか王国の援助をお願いします」
 「分かりました。お母様にお伺いしてみましょう」
 碧い姫は微笑んだ。条件の細部と援助の内容は、後で王国宰相と交渉する事になった。
 「ところで調査する遺失都市は、アルジャンとオルのどちらですか?」
 「アルジャンが先です。でもオルにも行くかもしれません。オルはどうなっていますか?」
 僕が碧い姫にそう尋ねると、彼女は答えた。
 「天体観測をしている者が、天空都市オルを観察しています。人が住んでいる兆候はないようです。でも実際に行った者がいないので、中の様子までは分かりませんが」
 そこで碧い姫は、テティスを見ると、天空都市オルを簡単に説明した。
 「天空都市オルは、八番目の空中都市で、大洪水の直前に完成しました。そして空高くに舞い上がってしまいました。一説によると、宇宙船になって別の星に旅立つつもりだったとか、この星の人工衛星になるつもりだったとか、言われています」
 「どうやったら行ける?」
 テティスが碧い姫に尋ねると、彼女は困ったような顔をして答えた。
 「飛行船や水上機であの高度まで上がる事は可能ですが、中の人が酸欠になります」
 「酸欠?ああ、この星の技術では高高度飛行は無理なのだな」
 テティスはそう答えると、独りで何か考え始めた。碧い姫が苦笑してこちらを見ると、僕はふと思い立って、塩組合の親方からもらった両親の遺品を取り出した。
 「姫はこの織物が何だか分かりますか?」
 碧い姫は、机の上に広げられた紅い織物を見た。
 「意匠が違いますが、帝国の紋章に似ていますね。家紋ではないでしょうか?」
 「家紋?どこの家紋ですか?」
 僕は衝撃を受けた。僕の両親は、紅い帝国と関係があったのだろうか?
 「私は存じませんが、図書館で調べてはいかがでしょうか?何か分かるかもしれませんよ」
 なぜかこの時、僕は紅い皇子を思い出して、暗鬱な気持ちになった。

 王立図書館から帰ると、テティスはホテルのベランダに長椅子を出して、長い髪の毛を広げて、横たわっていた。彼女の周囲には青い窓が幾つも開き、赤い文字が流れている。
 「何をしているの?」
 「光合成ダイエットだ」
 僕はテティスを見た。
 「お腹が空いたぞ。ジュリヤン」
 テティスは起き上がると、青い窓を消した。
 「光合成ダイエットをしているんじゃなかったの?」
 「それなりにカロリーは得られるが、腹は膨らまない」
 僕は内心驚いた。どうやら本当に髪の毛で、陽光からカロリーを得ていたようだ。
 「それで、図書館に行って何か分かったのか?」
 「いや、あまり収穫はなかった」
 あの織物が家紋かどうか分からなかったし、アルジャンやオルの情報も、地図以外に目ぼしいものはなかった。僕は近くの椅子に座ると、櫛で髪の毛を梳かしているテティスを眺めた。
 「断っておくが、私の髪の毛は植物ではないぞ。光合成と言ったが、本当は少し違う」
 分かったよ。でも本当に君の身体は、僕達とは違うんだね。
 「ところでジュリヤン。私を宇宙に帰した後、どうするつもりだ」
 テティスは鏡台の前に座りながら、そう尋ねた。
 「分からない。一度ブランに帰った後、また緑の共和国で働くと思う」
 「そうか。今回、碧い王国は協力してくれるが、緑の共和国は分からないぞ」
 「そうだね。状況によっては対立するかも」
 今回も緑の共和国と碧い王国は、合同で作戦行動する事になっている。
 「ジュリヤン。あまり私に肩入れし過ぎると、帰る国を無くすぞ」
 「その時はその時さ。案外、君と一緒に宇宙に上がるのも悪くないかもしれない」
 テティスは振り返って僕を見た。
 「本気か?」
 「冗談さ。君は宇宙に帰り、僕はこの星に留まる。最初に決めた事だ」
 テティスは何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わなかった。

 出発の朝、僕達二人は再びソルスィエ号に乗り込んだ。今回は機関砲で武装している。操縦は前席の僕が担当するが、射撃は後席のテティスが担当する事になった。機関砲は、両翼と後席に取り付けられた。これなら、後ろを取られても反撃できる。
 今回、僕達二人は二段構えの作戦を考えた。アルジャンの宇宙船化が可能ならば、そのまま宇宙に上がるが、アルジャンが駄目な場合、アルジャンでオルまで行く事にした。高高度による酸欠の問題はあったが、テティスは大丈夫で、僕一人ぐらいなら、何とかすると彼女は言っていた。一体どんな手段を使うのか分からなかったが、僕は彼女を信じる事にした。
 ソルスィエ号が発進すると、三十六機の水上機が後に続いた。僕達は整然と編隊を組んで、空中遺跡アルジャンに向かった。青と紫で塗装された王立空軍の水上機は、頼もしく感じられた。僕達二人は、紺碧の海と蒼天の空を眺めながら、しばし雑談した。
 「それにしても、この星の飛行機は奇妙だな」
 テティスがそう言うと、僕は首を傾げた。
 「そうかな?普通だと思うけど」
 この星の水上機は、プロペラ機ではない。小型の重力機関で飛行しているので、化石燃料で動くレシプロエンジンもない。また機体の部品に木材が多く、金属部品が少ない。このため機体の強度に問題があり、超音速飛行や高機動はできない。
 このソルスィエ号も、金属部品が少ない木製の水上機だ。だが主翼の形状は、Ⅴ字型の前進翼で、操縦席付近に前尾翼もついている。フロートを切り離せば、高機動が可能だ。だが主翼の強度に問題があるので、あまり無茶はできない。ちなみに、帝国空軍には三角翼機が多く、共和国空軍と王立空軍には、伝統的な楕円翼機が多い。
 「ジュリヤン。退屈だぞ」
 後席がそう言うと、僕は苦笑した。
 「もうすぐ着くから大人しく待っていて」
 だがテティスは、後席に取り付けられた機関砲を突然、ダダダッと撃った。
 「何やっているんだよ!」
 「試し撃ちだ。気にするな。決して気晴らしではない」
 テティスは楽しそうにそう言った。僕は慌てたが、幸い味方機から苦情は来なかった。射撃時間が短かったので、本当に試射と思われたのかもしれない。
 それから、アルジャンの空域に辿り着くまで、異変はなかった。だが近くに来ると、帝国空軍の二機編隊と遭遇した。お互い視界ギリギリの所で目視して、敵機は離脱した。恐らく偵察機だろう。これでこちらの存在は敵に知られた。恐らく次は戦闘になるだろう。
 「距離五百。敵戦艦および、敵編隊を視認」
 友軍機から無線が聞えた。空中遺跡アルジャンと、その港に停泊する帝国の空中戦艦が見える。そして帝国空軍の水上機部隊がこちらに向かって、飛んでくるのが見えた。
 「敵編隊を迎撃する。第一戦隊は隊長機に続け」
 隊長機が、翼を翻して降下して行くと、十二機の友軍機が続いた。
 「第二戦隊は敵戦艦を攻撃せよ。第三戦隊はソルスィエ号と共にアルジャンに突入せよ」
 僕は第二・第三戦隊と共にアルジャンの近くまで接近した。すでに友軍の第一戦隊と敵編隊がほぼ同数で戦闘に入り、ソルシィエ号も、帝国の空中戦艦から、対空砲火に晒された。
 「紅い皇子はどこだ?」
 後席でテティスがそう言うと、僕は操縦席から戦場を見渡した。
 「ジュリヤン、前!」
 突然、機関砲の咆哮と共に、紅い機体が視界に飛び込んできた。僕は慌てて操縦桿を引いて急上昇し、敵機をやりすごした。見下ろすと、敵機はフロートなしの全金属製の機体だった。
 「よう兄弟!また会ったな!」
 けたたましい嗤い声と共に、僕の内側で声が響いた。紅い皇子だ。
 「前席!あの紅い機体を追え!」
 後席がそう叫ぶと、僕は紅い機体を追跡した。全く見た事がない機体だった。性能が違う。そして何回か宙返りをしている間に、振り切られてしまった。僕は完全に見失った。
 「ソルスィエ号、敵機を追うな。アルジャンに入るのが先だ」
 味方の無線がそう言った。だが次の瞬間、斜め下から機関砲の攻撃を受けた。僕は右回りに機体を半回転させて、垂直に急降下した。すると上昇する紅い機体とすれ違った。
 「いい反応だ。死角を突いたはずだったが」
 紅い皇子の声が、僕の内側で響いた。
 「なぜだ!なぜこうまでして僕達を狙う?」
 まさか敵の総大将が、戦闘機で出撃してくるとは思わなかった。単なる殺意以上の強い執着を感じる。直接この手で敵を倒したいという欲望だ。少なくとも総大将のする事ではない。
 「それはお前だからだよ。ジュリヤン・カラヴェル」
 僕は初めて紅い皇子に会った時と、同じ違和感を抱いた。この感覚は何だ?
 「まだ分からないのか?お前も感じているだろう?」
 確かに感じるものがある。上手く言い表す事ができないが、何となく自分に似ているとしかいいようがない感覚だ。だが次の瞬間、耳鳴りが始まって、頭に締めつけられるような痛みが走った。僕は思わず、操縦桿を離しそうになった。
 「合わせるな。念話をかけられる」
 後席からテティスの叱責が飛んで来た。すると頭痛が嘘のようになくなった。僕は何とか操縦桿を掴み直した。どうやら紅い皇子は、念話攻撃を中断したようだ。
 「ジュリヤン。空中戦なんてまどろっこしい。念話でしとめよう」
 だがテティスは、すぐに紅い皇子を見失ったようだった。
 「どこに行った?」
 僕も上手く紅い皇子の感覚を掴む事ができなかった。よく分からないが、逃げられた感じがする。念話は無線のように、周波数を変える事ができるのだろうか?
 「ソルスィエ号、下がれ。この敵は我らが引き受ける」
 味方の無線がそう言うと、僕は思わず念話で叫んだ。
 「駄目だ!その敵に手を出すな!」
 だが味方機に念話は通じない。四機の王立空軍機が、紅い機体に向かった。次の瞬間、最初の一機がコントロールを失って墜ちた。紅い皇子が、念話でパイロットを攻撃したのだ。早くも二機目が失速する。もう見ていられなかった。
 「やっぱり僕達が戦うしかない」
 再度、翼を翻して紅い機体に向かうと、三機目と四機目が続けて墜ちるのが見えた。
 「テティス。構わない。撃て!」
 僕がそう命じると、ソルスィエ号の機関砲が火を噴いた。だが距離があったので、弾は当たらなかった。紅い機体はその場で大きく旋回した後、下に潜り込んだ。
 「逃すか!」
 僕が操縦桿を前に押し倒して、急降下を始めると、テティスが叫んだ。
 「やっと掴まえた!」
 だが次の瞬間、複数の念話が飛んで来た。一つ一つは、決して強くなかったが、耐え難い不協和音だった。まるで群集が唱える怨嗟の声のようだ。おかけで僕達二人は、紅い皇子を念話で掴む事ができなかった。恐らく前回アルジャンで遭遇した緋色の死神だろう。
 「集中できない」
 テティスがそう言うと、眼で紅い機体を追った。僕は念話攻撃を諦めて、空中戦で結着をつけるべきだと思った。彼女は僕の提案に賛成した。
 「後席、機関砲で攻撃する。照準に目標を捕らえたら、構わず撃って」
 「了解」
 眼で紅い機体を追った。距離がある。だがちょうど今、旋回して機首をこちらに向けた。こちらも敵機の真正面に機首を合わせた。お互い一歩も退かずに、真正面から突撃する。ぐんぐん紅い機体が視界に迫り、両機の機関砲が咆哮する。
 ガンガンガン!
 ソルスィエ号が被弾した。防風の破片が飛び散り、主翼に穴が空いた。だが火災は発生していない。重力機関も無事だ。紅い機体とすれ違うと、そのまま上昇した。
 上空に出ると、僕は下を飛んでいる紅い機体を見下ろした。よく見ると煙を吹いている。向こうも被弾したようだ。もしかしたら、こちらより被害が大きいのかもしれない。
 「やったな。ジュリヤン。敵の方が被弾している」
 あの紅い機体は、恐らく発電機をやられたのだろう。もしそうなら電気系統が全部死ぬ。どの程度機械化しているのか分からないが、全金属製の高価な機体なのだから、もしかしたら無線や機関砲が使えなくなっているかもしれない。チャンスだ。
 「後席、留めを刺そう」
 僕はそう言いながら、迷いを感じた。本当にこのまま墜としてしまっていいのか?
 「了解だ。ジュリヤン」
 何となく躊躇いを感じながら、僕は紅い機体を追った。紅い皇子は、空中戦艦に向かっていた。船に逃れるつもりなのだろう。総大将の危機を察知して、敵機が集ってきた。様子を見ていた第三戦隊の友軍機が応戦する。戦況は悪くない。これなら行けそうだ。
 「いや、やっぱりこのままアルジャンに行こう。僕達の目標は、紅い皇子を倒す事じゃない」
 僕が前言を撤回すると、テティスは不満そうだったが、同意した。
 「分かった。だが共和国空軍を待たなくていいのか?」
 共和国空軍も後から来る事になっていた。だがまだ戦場に到着していない。作戦としては、先に王立空軍が道を確保して、陸戦隊を乗せた共和国の飛行船と水上機部隊が来る事になっていた。だが作戦会議の時、僕達の件で、共和国は今回の作戦に不満を表明していたらしい。
 「あまりあてにできない。先に行こう」
 僕は戦場を見渡して、友軍の状況を見た。空中戦ではこちらが優位に立っている。だがアルジャンの内部では、敵の部隊が待ち伏せをしているだろう。恐らく突破は容易ではない。第三戦隊の搭乗員も一緒に乗り込んで、僕達を援護する事になっているが、人数に不安がある。
 「本当に共和国の陸戦隊を待たなくていいのだな?」
五年後、僕はこの件で後悔した。この時、テティスの制止の言葉を、聞くべきだったのかもしれない。だがまさかこの件で、緑の共和国と碧い王国の同盟に、ひびが入るなんて想像できなかった。だけどこの時の僕達の行動が、間違いなく両国の不和を招いた。
 「先に中に入ろう。味方に連絡してくれ」
 テティスが無線で連絡すると、第三戦隊と共にソルスィエ号はアルジャンの港に入った。港でちょっとした銃撃戦になったが、すぐに制圧して、九機の水上機が入る事ができた。
 「前席、紅い皇子はどこに行った?」
 僕は港に入る前に、紅い機体が空中戦艦に帰投するのを確認した。
 「そうか。ならば行こう、ジュリヤン」
 テティスは後席から降りると、小さな拳銃と背嚢を持ち出した。僕は小銃を装備すると、八人の操縦士達と共に内部に侵入する事にした。この場には八人の仲間が残って、水上機と退路を確保する。敵はどの程度か分からないが、いざとなれば彼女の念話もある。
 テティスが背嚢を背負うと、僕達は港から居住区に向かって移動した。そして廃虚になった居住区に入ると、突然耳鳴りが始まって、味方全員が倒れた。慌てて周囲を見回すと、微かに僕の内側で声が聞えた。これは念話だ。僕が見ると、彼女は言った。
 「この前戦った敵だ。前より上手く隠れている」
 緋色の死神か。どうやら前回の戦闘で、戦い方を学んだようだ。
 「味方には悪いが、ここから先は私達二人で行こう」
 テティスがそう言うと、僕も頷いて彼女に続いた。すると突然、銃撃が始まって僕達は物陰に隠れた。銃撃が途絶えると、僕は反撃した。敵の数は少ないようだ。テティスは周囲を見渡して、敵を探しているようだった。だが銃撃は再び始まらず、敵は後退したようだった。
 「念話で捕まらないようにして、銃で攻撃してくるつもりか」
 ふとテティスを見ると、建物の陰から、彼女を狙撃しようとしている敵に気がついた。次の瞬間、反射的に撃っていた。弾は命中し、敵は倒れた。僕に撃たれて死んだのだ。気がついた彼女が振り返り、僕の手を掴んで、その場から速やかに離れた。
 「すまないジュリヤン。助かった」
 気分が悪くなった。腹の下から力が抜けて、足が縺れる。初めて人を殺した。
 「大丈夫か?」
 テティスは僕の顔を見た。僕は無理矢理、微笑もうとした。
 「大丈夫だ。行こう」
 状況的に仕方なかったとは言え、やっぱり人殺しは嫌だった。この戦いは戦争なのかどうか、よく分からないが、間違いなく僕とテティスで始めた戦いだった。
 「あと何人いるんだ?」
 僕がそう呟くと、テティスが僕を見た。
 「落ち着け、ジュリヤン。敵を倒すのは目的じゃない」
 そうだ。テティスの言う通りだ。僕はちょっと我を忘れていた。
 「分かった。今度こそ下半球に行こう」
 僕がそう答えると、テティスは力強く頷いた。そして地図を見ながら、居住区から下半球に向かう階段を目指した。じきに辿り着いたが、辺りは異様に静かだった。先程から敵の攻撃もない。暗殺者達はどこかに隠れて、狙撃する機 会を窺っているのかもしれない。
 「どうする?」
 「行くしかない」
 テティスは鋭く周囲を見渡して言った。僕達二人は、長い階段を駆け降りた。そしてようやく下半球に辿り着くと、地図を開いて、重力機関の間に向かった。ブランの時と同じように、材質の異なった壁が現われ始める。旧船体部分に入ったようだ。
 「ジュリヤン」
 突然、僕の内側で紅い皇子の声が響いた。思わず僕は立ち止まった。
 「聞け、ジュリヤン。最後の話し合いだ」
 テティスがこちらを見て、首を横に振った。だが僕は答えた。
 「何だ。もうすぐ僕達は重力機関の間に辿り着く」
 「そうか。だがその前に、俺はお前に伝えたい事がある」
 先程の空中戦で、思うところがあったので、先に言った。
 「もしかして、僕と血のつながりがあるという話か?」
 「気付いていたか。そうだ。俺とお前は同じ血が流れている」
 比較的冷静だった。もしかしたらそうではないかと、ずっと思っていたのかもしれない。
 「だがジュリヤンはジュリヤンだ。お前とは違う」
 テティスが紅い皇子に言った。
 「それはそうだ。だがこれで俺達が戦う理由が一つ増えた訳だ」
 紅い皇子が何を言っているのか、よく理解できなかった。
 「ジュリヤンも紅い帝国の皇帝になる資格がある」
 そんな事は思いもしなかった。だが答えは決まっている。
 「僕は皇帝なんかならない」
 「そうか。ならば帝室に流れる呪われた血は、俺の代で終わるな」
 僕は紅い皇子に何か異常なものを感じた。
 「呪われた血?」
 「我が一族は代々、強力な念話能力者を産み出してきた。昔は呪われた血として、忌み嫌われた。念話能力と引き換えに、身体障害者を生み出してきたからな。だがある時、一人の英雄が現われた。彼は権力を奪取し、帝国を建設した。紅い帝国の初代皇帝だ」
 初めて聞く話だった。だがそんな裏話なんてどうでもいい。気になるはただ一つだ。
 「テティス、念話能力と引き換えに身体障害者になるって、どういう事か分かるかい?」
僕が尋ねると、テティスは少し考えてから答えた。
 「念話能力は、宇宙移民期に作られた遺伝形質だ。この星の人間にあってもおかしくない。だが受精卵の段階で、遺伝子調整を受けなければ、障害が出る可能性が高い」
 テティスの話は、一部分からない言葉があった。だが大体の意味は分かった。確かに僕も生まれつき喋れない。これは念話能力のせいだったのだ。だがそれは、すでに分かりきった事だったのかもしれない。その証拠に、僕はそれほど驚いてはいない。
 「そこの女は五感を失っていないようだな」
 紅い皇子がそう言うと、テティスは答えた。
 「私は調整を受けている。六つ目の感覚器官を備えた人類だ」
 僕は不意に、緋色の死神を思い出した。彼らは目や鼻、口や耳に黒い拘束具をつけていた。きっと五感の一つを失っていたのだろう。紅い皇子は念話能力と引き換えに、一体何を失ったのだろうか?あの羽眼鏡から考えると、視覚だろうか?
 「そうか。ならば俺は異星人からこの星を守る。ラ・マリーヌはマリアン人の星だ」
 僕達二人は特に反論しなかった。やがて重力機関の間に辿り着く。
 「ジュリヤン。俺はその女を逃さない。だから今から銀の槍を撃ち込む」
 「銀の槍?昔の戦争のあれか?」
 僕が驚くと、紅い皇子が答えた。テティスは拳銃を構えて、周囲を警戒している。
 「そうだ。この船に搭載してある。すでに発射準備は完了している」
 僕はどう答えるべきか迷った。銀の槍は、空中都市を破壊するほど、威力がある兵器なのだろうか?大砲の砲撃ぐらいなら、空中都市はびくともしないのだが。
 「危ない!」
 突然、テティスが横から僕を突き飛ばした。銃声が響き、彼女が倒れる。だがすぐに床から拳銃を構えて、赤い光線を発射した。物陰に隠れていた敵が声もなく倒れた。
 「テティス!」
 僕は慌てて起き上がると、テティスを見た。左腕を負傷している。肘の近くだ。
 「大丈夫だ。これぐらい命に別状はない」
 テティスは私服の袖を破いて、肘を縛った。だが止血の応急処置としては心もとない。
 「本当にすまない。僕のせいで」
 油断した。紅い皇子の念話に気を取られすぎていた。僕のミスだ。
 「平気だ。ジュリヤン。それより作業を開始したい。もう一度周囲を確認してくれ」
 まさか重力機関の間に、敵が隠れているなんて思わなかった。だがよく考えてみれば、僕達の目的地は分かりきった事なのだから、待ち伏せがいない方がおかしい。僕は改めて、重力機関の間をくまなく歩いて調べた。そして小銃を構えて出入口に立った。
 「安全を確認した。テティス、作業を開始してくれ」
 僕がそう言うと、テティスは操作盤の台座の前に立って、作業を開始した。アルジャンの重力機関は、ブランのそれと同じくピラミッド型をしていたが、中で渦巻く色が違っていた。ブランは透明だったが、アルジャンは銀色だった。僕は彼女の作業を見守った。
 だが突然、大きな振動がして、よろめいた。
 「今のが一発目だ」
 再び紅い皇子の声が聞えた。思わず周囲を見回した。すると、部屋の壁が一変して、外の景色が見えるようになった。見ると、下半球に穴が空いていた。黒煙が流れている。
 「なるほど、銀の槍とはミサイルだったのか」
 テティスがそう言うと、紅い皇子が答えた。
 「攻撃を続ければ、恐らく数発で崩壊する」
 僕はテティスを見た。すると彼女は、僕を見て頷いた。不意に階段を踏み外したような感覚がして、アルジャンの上昇が始まった。
 「逃げても無駄だ」
 また大きな振動がして、僕は思わず壁に手をついた。
 「止めろ!本気で壊す気か?」
 空中都市は文明の母体だ。たとえ戦争で廃虚になったとしても、マリアン人はアルジャンを尊重してきた。銀の戦争でもアルジャンは完全に破壊されなかった。だがそれを破壊するという紅い皇子は、とても正気とは思えない。
 「俺は本気だ。その女を宇宙に帰す事に比べれば、安い損失だ」
 見ると、王立空軍の水上機部隊が、帝国の空中戦艦に果敢に攻撃を仕掛けていた。銀の槍の発射を阻止しようとしているのだ。だが空中戦艦はすぐに沈みそうにない。
 「なぜだ?なぜそこまでして阻止しようとする?」
 「それはお前達だからだ」
 「どういう意味だ?」
 「お前達なら本当にこの星に異星人を呼びかねない」
 思わず僕は、テティスと顔を見合わせた。
 「俺はお前が考えているもう一つの可能性も理解している。だがそれは危険が大き過ぎる」
 内心どきりとした。僕はまだ誰にも自分の考えを話していない。
 「俺は異星人を信じるほど、お人よしではない」
 確かに僕は、紅い皇子と全く反対の可能性を考えていた。
 「これは賭けだ。俺はこの星の未来を帝国に賭け、お前は異星人に賭けている。違うか?」
 紅い皇子が段々怖くなってきた。僕の手に負える相手なのか?
 「ジュリヤン、ラ・マリーヌの現状についてどう思う?」
 「極めて危険な状態だと思う」
 僕は慎重に答えた。
 「その認識は間違っていない。そして誰しも共有している」
 テティスがこちらを見た。アルジャンは確実に上昇している。
 「だが対応策となると、話は別だ。それぞれの利害があるからな」
 「皆で話し合えばいい。どこかで利害の一致点があるはずだ」
 僕がそう言うと、紅い皇子は嗤った。
 「そんな妥協の産物でこの星が救えるか。時間がないのだ」
 三発目の銀の槍が命中した。重力機関の間が大きく揺れる。今度は振動が止まらない。
 「この星を救うためには、迅速かつ妥協を許さない強力な政策が必要だ」
 下半球の崩壊が始まった。不安定になった上部構造体の一部が崩落する。
 「そのためには、この星は一つにまとまらなければならない」
 僕は床から起き上がると、紅い皇子に向かって叫んだ。
 「それは独裁者の論理だ!」
 「だがこのままでは滅亡する」
 紅い皇子の声は静かだった。僕は反論の糸口が見出せなかった。
 「そして帝国だけが、確実に人口を増やしている」
 紅い帝国は、若者の独身を禁じて、かなり強力な婚姻統制をしている。そしていかなる堕胎も許さず、強引な出産計画を推し進めている。帝国は将来、出生率の増加のため、一夫一婦制さえ放棄するだろうと言われている。
 「現状、この星を救う力を持っているのは紅い帝国だけだ」
 確かに帝国の力は大きい。だがまだ他の二ヶ国を圧倒する程でもない。
 「俺はこの星を統一して、地上時代の繁栄を再現する」
 「統一したとして、その後どうするつもりだ」
 僕はかねてからの疑問を、紅い皇子にぶつけた。
 「異星人を排除して、この星を鎖国する」
 僕は現在の三国体制を維持したまま、異星人と交流し、この星を開国するのが正しい道なのではないかと思った。紅い皇子の鎖国政策は、正しいとは思えない。
 「僕は今の三国分立がいいと思う。統一は最後の手だ」
 「三国分立など無意味だ。分裂状態は確実に人口を減らす」
 紅い皇子がそう言うと、僕は反論した。
 「いや、三国分立には意味がある。統一がこの星を救うとは限らない」
 その昔、紅い帝国、碧い王国、緑の共和国の三国体制が始まった時、三国分立を説いた外交官がいた。どこかの国が突出した力を得ると、他の二カ国が同盟を組んで、これを阻止するという力関係を説いた。そしてこの競争関係が、この星を活性化させるとも説いた。
 「残念だよ。兄弟。最後まで一致できなかったな」
 確かに現状では一致点はなさそうだった。
 「だが俺は嬉しい。なぜならお前が、お前の道を真っ直ぐ歩いているからだ」
 僕は一瞬、混乱した。紅い皇子は一体何を言っているのか?
 「これでもしどちらか一方が間違っていたとしても、保険が利く。そしてどちら一方が滅びても、我が一族の血は途絶えない。ジュリヤン。やはりお前も貴族の運命を背負っているな」
 紅い皇子が何を言っているのか、全く理解できなかった。
 「兄弟は貴族の使命を知っているか?」
 そんなものは知らない。僕には関係のない話だ。
 「それは子を作り、血を絶やさない事だ。貴族は存在する事に意味がある」
 僕は黙って、紅い皇子の話を聞き流した。
 「だから一族の命運を分ける戦いになれば、親兄弟親戚で二つの陣営に分かれる。たとえどちら一方の陣営が滅びても、もう一方の陣営が残ればよいのだ。そうすれば血は絶えない」
 僕は自分の判断で動いている。そんな貴族の運命なんて知らない。
 「だからジュリヤン。お前はお前の道を歩め。絶対に迷うな。俺は俺の道を行く」
 まさか敵から励まされるとは思わなかった。僕がちょっと呆れていると、いつの間にかテティスが近くに来ていた。僕は彼女に微笑んだ。
 「大丈夫か?ジュリヤン」
 「ああ、大丈夫だ。ちょっとあいつの毒気に当てられただけだ」
 僕がそう答えると、紅い皇子の嗤い声と共に、念話が途絶えるのが分かった。
 「アルジャンはもう駄目だ。オルに行こう」
 テティスはそう言った。空中戦艦と水上機も、アルジャンに合わせて上昇した。だがそろそろ限界高度に近い。酸素が薄くなってきたのか、軽い眩暈がする。身体にも力が入らない。
 「だけど銀の槍でまた撃たれるよ」
 「残弾は幾つあるか知らないが、そう多くないと思う」
 テティスは、水上機の対艦攻撃で炎上している空中戦艦を見た。
 「銀の槍が尽きた時が、私達の勝利の時だ」
 果たしてそう上手く行くのか、疑問だった。僕達はまだ、天空都市オルを見ていない。
 「ジュリヤン。これを装着して、息をしろ」
 テティスは背嚢を降ろすと、マスクのような道具を僕に渡した。
 「本来は水中用だが、高高度の低酸素濃度でも有効なはずだ」
 「テティスの分は?」
 「まだ大丈夫だ。どの道、気密が保たれないようでは、宇宙には行けない」
 そう言うと、テティスは立ち上がって、僕を促した。
 「ソルスィエ号でオルに行こう。アルジャンは囮になる」
 それから僕達二人は、アルジャンの重力機関の間を後にした。そして元来た道を引き返して、ソルシィエ号が置いてある港まで戻った。途中、敵に襲われる事もなかったが、港にいるはずの味方の姿も消えていた。上昇が始まってから、皆逃げ出したようだ。
 「酸素濃度が低くなってきたな」
 後席に乗り込むと、テティスがそう言った。確かに耳がつんとする。そして恐ろしく寒い。僕達二人は防寒具を取り出すと、それを上着の上から着込んだ。
 「そろそろつけた方がいいんじゃない?」
 僕が前席に乗り込んでそう言うと、テティスは答えた。
 「そうだな。オルについたらつけよう」
 僕は何となく嫌な予感がした。
 「正直に答えてくれ。このマスクは幾つあるんだい?」
 少しの間、奇妙な間があった。
 「実は一つしかない。私の道具だからな」
 なぜかテティスは、ちょっと誇らしげに答えた。
 「駄目だよ。テティスが使わなくちゃ!」
 僕はマスクを外して、テティスに渡そうとした。
 「いや、私はまだ大丈夫だ。だがもうジュリヤンは危険なはずだ」
 僕はマスクを外した瞬間、強烈な眩暈と嘔吐感に襲われた。
 「だから言っただろう。つけていろ」
 後席からテティスがそう言うと、止む無く僕はマスクをつけた。確かにこれはもたない。
 「でも君は本当に大丈夫なのか?」
 「限度はある。だがこの星の人間より、低酸素状態に耐えられる」
 何となくテティスがやせ我慢しているような気がした。
 「分かった。とにかく出発しよう」
 僕はソルスィエ号を発進させた。機体が港から滑り出すと、はるか下の方で、戦っている味方の水上機部隊と敵の空中戦艦が見えた。下の方を眺めていると、空中戦艦から何か発射された。ぐんぐん迫ってくる。四発目の銀の槍だ。今、着弾した。轟音と共に僕達は飛び立つ。
 「テティス。行くよ」
 「了解」
 テティスはちょっと苦しそうだった。
 「このまま上昇するけど、本当にこの方角でいいの?」
 「ちゃんと計算した。大丈夫だ」
 出発前に、王立図書館の天体観測のデータから、天空都市オルの位置を計算した。どうやら自転速度で高高度に静止しているらしい。テティスの話では、ちょっと低めの人工衛星みたいなものらしい。それだけに彼女は、オルの設備に期待しているようだった。
 「本当はアルジャンで行ければ良かったのだがな」
 「どういう事?」
 「高高度に上がる前に、ジュリヤンを降ろせる」
 確かにそれならこのマスクは一つで足りる。だが僕はついて行けるところまで、テティスについて行きたかった。僕は彼女を見届ける義務がある。
 「正直言って、二人で高高度まで上がる事は考えていなかった」
 テティスはかなり辛そうだった。僕はソルスィエ号の高度を上げた。
 「もう黙って、すぐに着くから」
 もうあまり念話で、話しかけない方がいいかもしれない。それからしばらく上昇を続けていると、空の一角に黒い点が見えた。どうやらあれが天空都市オルのようだ。
 「見えた!オルだ!」
 思わず僕がそう叫ぶと、テティスが力なく返事をした。
 「もうちょっとの我慢だ。テティス」
 僕は機体を上昇させた。だがついてから、一体どうするべきなのかよく分からなかった。マスクは一つしかない。そしてこのマスクが、一体どうやって酸素を発生させているのか謎だ。僕にはその仕組みが分からない。もし向こうに、酸素を発生させる設備がなければ、最悪どちらか一方が死ぬかもしれない。いや、確実に死ぬだろう。
 「後方より急速に接近する物体あり」
 テティスが突然、僕にそう言った。驚いて振り返ると、突然、下から機関砲の攻撃を受けた。見ると紅い機体が上昇してくる。紅い皇子の機体だ。
 「しつこい!こんな所まで追ってくるなんて!」
 僕がさらに上昇して逃れると、紅い皇子の念話が僕の内側で響いた。
 「言ったはずだ。その女は逃さないと」
 「いい加減、諦めろ!」
 後ろを取られた。機関砲の攻撃を受けている。どうやらあの全金属性の機体は、高高度飛行に耐えられる設備があるようだった。もしかしたらさっきとは別の機体かもしれない。
 「前席、戦闘を回避してオルを目指せ。中に入れば手が出せない」
 だが正直言って、後ろを取られたままでは厳しかった。思うように針路が取れない。どんどんオルから離れてしまっている。このままでは不味い。早く着かないとテティスが危ない。
 「反撃する。このままでは駄目だ」
 後席は了解した。そして僕はフロートを切り離すと、操縦桿を押し倒して、急速下降旋回に入った。ぐるりと視界が一回転する。そのまま連続して旋回を続けながら、左のペダルを踏んで、少しずつ、旋回角度を鋭くして行った。後ろから紅い機体がついて来る。
 「これで終わりだ。兄弟!」
 機関砲の咆哮が始まる前に、僕は反対のペダルを踏んで、操縦桿を右に倒した。その瞬間、左にずれて下降旋回を繰り返していた機動に、大きな変化が生じた。ソルスィエ号だけ、急停止したように旋回運動から横に抜けて、紅い機体がこちらを追い越した。
 「何?」
 紅い皇子の驚きの叫びが聞えた。
 「今度こそ諦めろ!」
 ソルスィエ号の機関砲が火を噴いた。だがなかなか当たらない。後席は朦朧とする意識の中、射撃しているのかもしれない。心配になってきた。もう限界に近いのではないか?
 「見事だ。ジュリヤン」
 その時、紅い機体が白い霧を吹きながら、降下して行くのが見えた。
 「どうやら、俺の負けのようだな」
 紅い皇子は自嘲気味にそう言った。どんどん二機の距離が離れて行く。
 「だがこれだけは言っておく。その女は必ずこの星の敵を連れて来るぞ」
 僕は返答しなかった。何が正しい判断で、何が間違った判断なのか、現時点では分からなかったからだ。紅い機体はそのまま墜ちて行き、間もなく見えなくなった。
 「テティス、終わったよ。大丈夫かい?」
 返事がなかった。僕は嫌な予感がした。とにかく急いで上昇すると、針路をオルに合わせた。それからしばらくの間、僕は酷く焦りながら、飛行した。そしてついにオルに辿り着くと、機体を港に入れた。そしてすぐに前席から飛び出して、テティスを見た。
 「ジュリヤン」
 後席で眼を瞑っていたテティスが眼を開いた。顔が真っ白だ。明らかに酸素が欠乏している。僕は息を止めると、自分のマスクを外して、彼女に装着させた。少しの間なら、僕だって息を止めていられる。マスクの効果があったのか、彼女は少し身体を起した。
 「私は動けない。すまないが、重力機関の間まで背負ってくれないか」
 テティスはそう言うと、マスクを外して僕に再び装着させた。
 「分かった。そこに行けば、何とかなるんだね?」
 「元々宇宙船だったのだ。酸素を発生させ、気密を保つ装置があるはずだ」
 僕はテティスを背負うと、オルの重力機関を目指して歩き始めた。マスクをつけているとは言え、低酸素状態で成人女性を一人背負って歩くのは辛かった。内部は凍りつくように寒く、背負っている彼女の身体が、異様に熱く感じられた。
 僕はテティスを背負いながら、二人だけの宮殿を歩いているような気がしてきた。酷く現実感がなく、まるで夢の中、水の中を進んでいるようだった。
 「ジュリヤン。私はこの星に墜ちる直前、力の限り助けを求めて叫んだ」
 突然テティスの念話が、僕の内側で響いた。
 「あの声は、紅い皇子に届いていた。皮肉なものだな」
 ブランの三ヶ国会議の時、確か紅い皇子もそんな事を言っていた。だが僕もテティスと会う前の夜に、女の声で突然眼が覚めた記憶がある。あれはテティスの念話だったのだ。
 「僕も聞いていた」
 「そうか。私の声はジュリヤンにも届いていたのだな」
 テティスが、背中で微笑んだような気がした。僕は彼女を背負い直すと、下半球に入った。それから僕達二人は、重力機関の間に入り、そこで天空都市オルの全機能を復活させた。すると内部の気密が保たれ始め、酸素の濃度が変わった。どうやら酸素を作る装置があったらしい。   
 テティスの体調が戻るのを待ってから、宇宙船化の作業を開始した。オルは明らかに、他の空中都市とは異なっていた。最初から宇宙用の設備が充実していたのだ。やがて都市外殻部と船体部分の分離も問題なく完了し、後は宇宙に向かって旅立つだけになった。
 「ジュリヤン、共に宇宙に行こう」
 なぜか作業の間、ずっと無言だったテティスが、僕に振り返る事なくそう言った。
 「いや、僕はこの星に残るよ」
 なんで今さらそんな事を言うのか?僕は悪い予感がした。
 「ならば私を撃て」
 唐突にテティスは振り返った。眸が紅く燃えている。
 「どうして?なぜ君を撃たなければならない?」
 僕がそう尋ねると、テティスは搾り出すように言った。
 「私は侵略者なのだ。紅い皇子の懸念は正しい」
 ああ、やっぱりそうだったのか。僕は激しているテティスを見た。
 「もしこのまま私を帰せば、確実にこの星は侵略される。それは間違いない」
 この人はずっと苦しんでいたのだ。本当の事を僕に言えなくて。
 「私の所属する星間国家、ピュールは宇宙で最も評判の悪い国だ」
 今のテティスは、ほとんど泣いているようにさえ見えた。
 「そしていくら私がこの星に好意を持ったとしても、私一人の力ではどうにもならない!」
 テティスがそう叫ぶと、僕はただ彼女を見返した。
 「私は恩を仇で返す最低な女だ。ジュリヤンをずっと騙していた」
 僕を俯いているテティスを見た。強く握り締められた彼女の拳が震えている。
 「だからジュリヤン。私を殺せ。今ならまだ間に合う」
 テティスは自らを差し出すように、両手を広げた。
 「できないよ。そんな事、できる訳ないじゃないか!」
 思わず僕がそうと叫ぶと、テティスは冷笑さえ浮かべてみせた。
 「ジュリヤン。躊躇う必要はないぞ。私は人間ではないからな」
 そんな話など聞きたくなかった。テティスはテティスだ。
 「私は嘘吐きだ。テティスという名前も本当の名前ではない。私の本当の名前は、数字と記号の羅列でしかない。軍の認識番号が本当の私の名前なのだ」
 「どういう事?」
 すると、テティスは自嘲の笑みを浮かべた。
 「ピュールには、生体兵器というものがある。遺伝子操作と生体工学で強化改造された人間の成れの果てだ。生体兵器は、もはやホモ・サピエンスと呼べる存在ではない。だが生体兵器は大量生産され、軍の主力を担っている。私もその一員なのだ」
 僕は絶句した。分からない言葉も多いが、意味は何となく分かる。
 「ピュールはどんな国なの?」
 僕が恐る恐る尋ねると、テティスは虚空に眼差しを向けた。
 「ピュールは戦闘国家だ。元々母星を持たなかった我らは、武器商人として宇宙を彷徨っていた。だがある時惑星を侵略し、独立国家を打ち立てた。当然、近隣諸国と戦争になった。それは今でも続いている。我らは建国以来、戦争を続けている血に塗られた流浪の民だ」
 僕は黙って、テティスの話を聞いた。
 「ピュールは、国力不相応の大兵力を持ち、他の星間国家が禁じている技術にまで手を出している。生体兵器などその好例だ」
 そこでテティスは悔しそうに下を向いて言った。
 「だがピュールは、人口が少ない。だから軍の大半を生体兵器で補っている。その方が色々と都合がいいからな。だが限定的な人権しか持たない生体兵器は、敵からも味方からも、戦時協定から外れた扱いを受けている。それが奴隷商人などと罵られるピュールの悪評なのだ」
 テティスは再び顔を上げると、僕に向かって主張した。
 「だが我らは強い。建国以来一度も負けた事がない。それは常に敵地に乗り込んで、戦うからだ。我らは常に攻める。それがピュールだからだ。だから取れる星は全て取る。それはこの星、ラ・マリーヌとて例外ではない」
 僕は言葉もなく、ただテティスを見つめていた。もしかしたら僕は、この星を破滅させるかもしれない。初めて自分の立っている運命の分かれ道が怖くなった。
 「だからジュリヤン。お前はお前の道を歩め。絶対に迷うな。俺は俺の道を行く」
 唐突に紅い皇子の言葉が蘇った。あの時、紅い皇子は僕を励ました。貴族の運命なんて僕には関係ないが、あいつは僕が自分で選んだ道を真っ直ぐ歩く事に、喜びさえ覚えると言っていた。あれが何なのかよく分からないが、何かしら真実が含まれているのかもしれない。
 「ジュリヤン。運が悪かったのだ。私がこの星に辿り着かなければ、こんな事にはならなかった。せめてピュールでなければ、もっと違った未来があったかもしれない。いや、今ならまだ間に合う。私を殺せ。そうすればこの星の未来は変わる」
 「いや、それは違うよ」
 僕は静かに首を振った。
 「一度見つかったものを隠す事なんて出来ない」
 僕は顔を上げて、テティスを見た。
 「たとえ君を殺したとしても、恐らく第二、第三の君がやってくる。永遠に鎖国し続ける事なんてできない。だから僕はピュールと交渉する。君は母星に帰るべきだ」
 テティスは息を呑んで、眼を見張った。
 「それは、何よりも困難な道だぞ。ジュリヤン」
 「分かっている。だが誰かがやらなくちゃいけない仕事だ」
 僕は初めて、紅い皇子の考えが分かった。もしかしたら僕は、紅い皇子の最良の理解者になれるかもしれない。恐らく、紅い皇子の敵である限りそうなるかもしれない。
 「僕は君と戦いたくない。本心からそう思っている」
 テティスも同意して頷いた。
 「だが国家間の利害は、個人の思惑でどうにかなるものではない」
 「そうでもないさ。少なくとも僕と君は友達だ」
 僕が不敵に笑ってそう言うと、テティスは指摘した。
 「だがこの次会った時は、敵同士だぞ」
 「違う。僕達は敵同士じゃない。僕は君をこの星のお客さんとして扱った」
 「分かっている。だがそれとこれは別だ」
 「いや、きっと生きる。僕達の関係がまず第一歩なんだ」
 テティスは少し眩しそうに僕を見た。
 「だからまず君はピュールに帰ってくれ。そしてできる限り詳しく僕達の事を話してくれ。それからピュールの代表団をこの星に連れて来てくれ」
 「分かった。私は必ずこの星に帰って来る。約束しよう」
 そこで僕達二人は見つめ合った。
 「お互い出世しよう。今の立場じゃ双方の代表になれない」
 「私は軍人だ。昇進しても、代表に選ばれるとは限らない」
 テティスがちょっと困ったような顔をすると、僕は言った。
 「でもせめて、お互いの代表団の一員に選ばれるぐらいには出世しよう」
 「それは約束できないが、必ずこの星に帰って来る事だけは約束する」
 テティスは力強く僕に頷いてみせた。
 「だが力関係から言って、ピュールとラ・マリーヌが対等の条約を結べるとは思えない」
 「分かっているさ」
 僕が頷くと、もうテティスは細かい事は言わなくなった。
 「ジュリヤン。死ぬなよ」
 「死ねないさ。テティスこそ大丈夫かい?」
 テティスは微笑むと、身体から淡く光を放ち始めた。
 「問題ない。帰るめどはついた」
 見ると、テティスの髪の毛が、僕と同じ亜麻色から淡い桜色に変わり、彼女の眸の色が、褐色から初めて出会ったと時と同じ、深い翠に変わった。そして私服を脱ぐと、下に着ていた黒と銀のつなぎが現われた。彼女は、僕と初めて会った時と同じ姿に戻った。
 「ありがとう。ジュリヤン。一生忘れない」
 「僕も一生忘れない」
 そこで僕達二人は、握手を交わすと、お互い振り返りもせずに、テティスは司令室に、僕はソルスィエ号に向かって別れた。僕は天空都市から離脱し、緩やかに降下した。そして操縦席から見えなくなるまで、宇宙に向かって飛んで行く、オルの船体部分を見送った。
 あの時僕達は、空と海の狭間で、もう一度会う事を約束した。そしてその約束は、五年後に叶う事になる。だがそれはとても待ち望んでいた約束だったけど、できる限り先延ばしにしたいような約束だった。なぜなら僕達は、もう二度とあの頃の二人には戻れなかったからだ。

                             第三章 了

『空と海の狭間で』6/10話 ジュリヤンへの手紙


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