【書評】『鹿の王 水底の橋』
上橋菜穂子『鹿の王 水底の橋』(2019)
2015年に本屋大賞を受賞した『鹿の王』の続編。だが、ヴァンとユナのその後の話ではない。ホッサルとミラルの話だ。また、オタワル医術と清心教医術の話ともいえる。
清心教医術は現代の医療に喩えるとどんな医療だろうか。ちょっと当てはまるものがないように思える。強いて挙げれば、聖人が癒しを行なっていた時代の医療か。
〈医術は人の生死を左右する。それゆえ、魂や心の在り様と深く関わらざるを得ない。〉
ところが、オタワル医術を修めるミラルは清心教医術にも理解をしめす。
〈清心教医術が神まで持ち出して、この世のすべてにこだわるのは、部分が組み合わさって全体になっても見えないものが、すでに、私たちにはぼんやりと感じられるからじゃないかしら〉
ミラルの恋人ホッサルはしかし、清心教医術とは対照的な医療観を有する。あくまで病に集中し、部分としての身体の状況に専念する。そんなホッサルでも美しいものには反応する。
〈(……これが鳥の声か)
それは天から遣わされた何か——透明な輝きのように貴い何かに似て、胸を貫き、震わせた。
梨穂宇のミンナルが鳴き止むと、静寂が深くなった。〉
ホッサルがミラルの感性を理解する日は来るのだろうか。身分の違う二人は結ばれるのだろうか。
そういう根っこの興味が読者を惹きつけつつ、物語は複雑な政治性を帯びてゆき、最後は法廷もののような論戦の場面になる。この部分が果たしてこの物語にふさわしいものなのかについては、読者の評価は分かれるかもしれない。
今日の医学においては心身相関的(psychosomatic)な発想が重要性を増している。その角度からみると、考えさせる視点を多く含んだ小説だ。
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