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悔いなく生きる

「悔いなく生きる」って難しいことですね。
人生というのは悔いだらけで終わるものだと思います。

ただ、自分の選択で納得してその結果に至ることができるのならば。
やらないことやらなかったことを悔やむぐらいならば。
選択と覚悟さえできればその後悔ぐらいはせずに済むのだろう。
生きている人間として「まずやってみる」って姿勢は重要だ。

わたくしはもともと決断力も行動力もあるほうではあったけど、それでもどこかセーブして自ら熱量を抑えているところはあった。
それは仕事があるからとかやらなければならないことが他にもあるからとか、とかとかとかって理由はいくらでも。
ただ、この1年ほどを通じて少しばかり価値観が変わりました。

きっかけは2019年8月31日20時頃に交通事故に遭ったこと。
車にぶつけられ吹っ飛ばされたわけですが運良く怪我だけで済みました。
しかし、その年はそのまま何もできずに治療に専念して年を明けました。

怪我の治療の中で「いつ死ぬかわからない」だから興味を持ったことや気になったことは徹底的にやるべきだと改めて思い、手をつけ始めた写真の活動についてはもっとしっかり取り組もうと決意をしたのでした。
その矢先、年が明けたらコロナコロナコロナ…で何もできず、すべてをくじかれた気分で半年ほど過ごし、結局のところ事故に遭ったその日から約1年もなにも生み出せず、何も起こせず時間を失っていきました。
失った時間は当然取り戻すことはできません。

コロナ禍のなか、多くの著名・無名に関わらず命を落とす人達の知らせを耳にする中で「いや、だからいつ死ぬかわからないって」と改めて生きること、この後に残された時間をどう過ごすのかを真剣に考え、迷いを振り切ったのが2020年7月頃。
本当に1年かけて価値観を変えたといっていいでしょう。

そこで出した答えですが、本当にありきたりではあるものの「内なる声に従う」というもの。ちょっと宗教っぽいですが、直感を信じてやると決めたことを突き進むって意味です。
逆にいえば他人の価値観や評価や声を必要以上に恐れず重視せず、必要があればノイズとして振り払い「他人のためではない。主役である自分自身の人生を悔いなく生きる」ってことですかね。

長く生きれば生きるほど、自分の物語を生きているにも関わらず自分が主人公・主役であることを見失いがちです。
そして、どこかで誰かの人生を勝手に歩き出してしまったり、物語の未来をつまらないものに書き換えてしまったりということが起こります。
悔いなく生きるというのは、可能な限りの努力をして自分の物語をしっかり描ききることだと再認識しました。

今日やれることを明日やりますか。
明日やれることを今日やりますか。
明日やれることは明日にやり、明日になったら今日やるはずだったことをそのまま繰り返しの明日に持ち越しますか。
とりあえず、明日やってもいいnoteの原稿を今日書いて公開しました。
明日は明日のことをやるつもりです。

後悔が思ったより少なめの、よい一日を。

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