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『楽しむマナー』ノート

中公文庫
 
 タイトルからはハウツー本のように思っていたが、表紙のタイトルを囲んで並べてある著者名に気になる人が複数いたので、立ち読みしてみると、いろんな場面や立場、さらには生き方における〝マナー〟についてのそれぞれの著者のエッセイであった。例をいくつか挙げると、「愛を温めるマナー」、「我が身を愛でるマナー」、「忘れんぼうとマナー」、「ゆるしあうマナー」など16の章に分かれている。この書名では、マナーを学ぼうとする人が手に取る人がいるかも知れない。
 
 著者は、さだまさし、酒井順子、綿矢りさ、角田光代、逢坂剛、東直子、鎌田實、髙野秀行、藤原正彦、乃南アサ、荻野アンナ、竹内久美子、福岡伸一の13人だ。
 それぞれの著者のマナーに対する考え方に共感する箇所を挙げてみる。
 
「極端な話、酒宴なんて大いなる無駄である。しかしその無駄が人と人の距離を近づける。合理的、なんて言葉を蹴散らしてくれる。」(酒飲みのマナー・角田光代)――そうだそうだ! とくに最近の〝不要不急の外出を控えるように〟なんてのは余計なお世話だ!
 
「死のことは縁起でもないと考えないようにしている日本人は多いが、一度、死のことを考えておくといい。いつかどうせ死ぬのなら、しがらみなんか気にせず、自由に生きようなんて思えるかもしれない。死を考えると、不思議なことに、かえって生が充実してくるのだ。」(臨終のマナー・鎌田實)――「臨終のことを習うて後に他事を習うべし」(先哲の言葉)。
 
「映画などで、外国人が読書するシーンを見ると、その本にカバーがかかっていることは無いようです。対して日本人は、本のカバーが大好き。……中略……本のカバーには、『私個人としての裏事情を、不用意に他人様にお見せしてはならない』というたしなみのような意味も、込められているのではないか、と。」(読書のマナー・酒井順子)――たしかに電車の中で、『部下の心を掌握する方法』なんて本を読んでいる人を見ると、社内で苦労しているんだろうなと、ついいらぬ詮索をしてしまうことになる。
 
「名前の書き間違いは絶対に記憶が合っている、と思っているときこそ起きる。人名は正確に書くのがマナーなので、不安な場合は何かしらの方法で確認してから書く人がほとんどだろう。確認なんて必要ないと思っているときこそ、うっかり落とし穴にはまる。」(名前間違いのマナー・綿矢りさ)――もう30年以上年賀状をやり取りしている年上の知人がいるが、いまだに最初から私の名前を間違ったままだ。その間、数年に一度会うことがあるが、年賀状の名前が間違っていますと、気の弱い私は言い出せないのだ。特に最近は、パソコンで宛名を印刷するソフトを使っている人が多いので、最初の入力を間違うとずっとそのままだ。因みに、私は毎年届く年賀状で必ず姓名と住所のチェックをしている。
 
「これらの機器に頼ることで、脳の力は確実に衰える。まず電卓は、暗算の能力を奪うだろう。電子辞書で調べた単語は、繰り返し呼び出しても、覚えられない。カーナビでたどった道は、一度では頭に入らない。楽に手に入れたものは、簡単に脳から出ていく。」(電子機器のマナー・逢坂剛)――いまや電子機器とネット社会は切り離せないが、人間の考える力・知力が衰えてきている原因の一つがこの点にあることは間違いないだろう。
 
「何かの存在意義や判断の是非を問うとき、もしそうでなかったら、困る、不便だ、混乱するといった答え方、つまり目的論的な議論は、その場では雄弁に見えても、結局、現状を肯定し、変革を回避し、そして根本から考え直すことを阻止してしまう。……中略……ほんとうの白熱講義とは、熱くなることではなく、ディベートで優位に立つことでもなく、むしろ原理的な考察、属性ではなく本性を突き詰める静かな思考をじっくり促すことにこそあると思う。だって、人生で一番大事なことは、ディベートなんかでは答えられないものだから。」(白熱講義のマナー・福岡伸一)――そういえば、昔『…白熱教室』というのが流行ったことがあった。NHKテレビでも観たことがあるし、書籍にもなっていて読んだこともあるが、問題の立て方も含めあまり記憶に残る内容はなかった。パフォーマンスとしては素晴らしいと思うが……。

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