『1プードの塩――ロシアで出会った人々』ノート
小林和男著 NHKライブラリー
著者の小林和男氏は、元NHKモスクワ支局長である。1970年から72年は特派員として、1984~87年、1989年~1995年にモスクワ支局長として赴任。1991年のソビエト連邦の崩壊を現場でまざまざと体験取材してきたジャーナリストであり、ロシアに関する数多くの著書がある。
ソ連というと冷戦時代の政治的なイメージから、どうも得体の知れない怖いイメージがあるが、〝ロシア〟というと、政治的な面は別にして、ロシア民謡、ロシア文学など歴史的、芸術的、文化的に私も親しみを感じるところがある。
ロシア民謡はメロディーを覚えている歌だけでも、紅いサラファン、トロイカ、カリンカ、ともしび、ヴォルガの舟歌、一週間、カチューシャ、ステンカラージン、モスクワ郊外の夕べ、黒い瞳、ポーリュシカ・ポーレなどテンポの速い曲から哀愁に満ちた名曲が多く、日本語に訳され小中高校の音楽の教科書に載っていた曲も数多い。
文学者では、プーシキン(1799-1837年)、ゴーゴリ(1809-1852年)、ツルゲーネフ(1818-1883年)、ドストエフスキー(1821-1881年)、トルストイ(1828-1910年)、チェーホフ(1860-1904年)などなど、一度は読んだことのある錚々たる大作家が並ぶ。私の本棚にも全集の一部もいれると20冊くらいはあるだろう。
この本は、副題のようにロシアで出会った多くの人々との交流を温かくも鋭い視点から描いたエッセイである。政治家、ジャーナリスト、アスリート、芸術家から一般市民まで肩書にかかわらず、著者が仕事として取材した有名人や、生活の中で交流を深めた多くの友人の素顔が活き活きと描き出される。目次だけでも27人の有名・無名の人たちの名前が並ぶ。
その中でも、出色は旧ソ連最後の共産党中央委員会書記長、第11代最高会議幹部会議長、初代最高会議議長、初代ソビエト連邦大統領を歴任したミハイル・ゴルバチョフとの記者会見でのやり取りと3度にわたる単独インタビューの模様である。
著者は言う。「何よりも新鮮だったのは、ゴルバチョフが自分の言葉で喋れることだった」。
そのことが如実に表れたのが、1986年10月にアイスランドの首都レイキャビクで行われたレーガン・ゴルバチョフ会談である。核軍縮問題が主要テーマだったが、アメリカが進めようとしていた「戦略防衛構想」(通称スター・ウォーズ計画)を巡って、この開発が始まれば新しい軍拡競争になるとソ連は反対して会談は決裂した。アメリカのシュルツ国務長官の発言から、この会談が決裂したことを知っていた600人の報道陣が待ち構えている記者会見場にゴルバチョフソ連共産党書記長が登場。
一番目立つ席を確保していた著者が手を挙げた瞬間、ゴルバチョフが著者を指さし、「そこの日本人」と指さした。そこで著者はただ一点、「この会談の結果は、将来にどうつながるのか?」と質問した。それに対するゴルバチョフの答えが、その後の米ソの話し合いの行方を決めることになった、と著者は書く。
ゴルバチョフは、「会談は決裂ではなく、将来へ向けての突破口だ」と答えたのだ。これを聞いたアメリカ政府は、先に決裂と発表していたにもかかわらず、レイキャビク会談は将来への話し合いにつながるものだと軌道修正していった。そしてその後の東西冷戦構造の崩壊につながった。(筆者は、東西冷戦構造の崩壊後の新たな脅威をみると、決してアメリカをはじめとする西側陣営の勝利とはいえないと考えているが…。)
このあと、著者は1999年3月、ゴルバチョフに会ったときに、この時のやり取りを聞いた。ゴルバチョフはその時の気持ちをこう語った。ちょっと長いが引用する。
「地上で核の廃絶について合意しながら、一方で軍拡競争を宇宙に持ち込むようなことを受け入れることはできなかった。残念な終わり方をして、私は別れ際にレーガン大統領にこう言った。『あなたが挫折させたのだ』。こうして私たちは別れた。私は腹が立って仕方がなかった。アメリカ政府を叩きのめしてやりたいと思った。記者会見場に向かう途中、記者たちにどう話そうかとずっと考え続けていた。だが、考え方がまとまらないまま会場に入った。記者というのは職業柄図々しいものだが、この時は私は記者たちが『やっぱりそうだったか』とガッカリしている様子を見た。それが私の気持ちを一瞬にして変えた。そして『失敗ではなく突破口だ』と言ったのだ」。
著者は書く。自分の言葉で、自分の判断で喋れない人物であったら、歴史はどう変わっていただろうか、と。
ゴルバチョフの偉大さは、自分の考えを自分の言葉で語り、それを実行に移そうと改革をはじめたことであろう。〝ペレストロイカ〟(改革。本来は建物の改築のことをいう)や〝グラスノスチ〟(情報公開)は当時流行語になった。ゴルバチョフは政治改革にあたり、三つのスローガンを掲げた。しかし三つ目の〝ウスコレーニエ〟(加速化)はあまり巷では話題にならなかった。
その後ゴルバチョフは失脚し、いまのロシアが、ゴルバチョフが描いた国家になったとはいえないが、政治家は自分の言葉で語ることがいかに大事かが分かる。どこかの国の指導者に聞かせたいエピソードである。
最後に、書名の〝1プードの塩〟であるが、プードとは古いロシアの重さの単位で、1プード=16・38㎏。「1プードの塩」という諺の意味は、「人を理解するには、〝1プードの塩〟をともに食べなければならない」という意味で、長い付き合いが必要だという意味だそうだ。
このほかにも魅力的で興味深い人物とのエピソードが満載で、民族多様性に富んだこの国の奥深さを感じさせてくれる。
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