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『はじめての人類学』ノート


奥野勝巳著
講談社現代新書


 人類学(Anthropology)とはどういう学問か。一番単純な答えは、「人間とは何か」ということを研究する学問であろうか。それがいまや、言語人類学や文化人類学をはじめ、経済人類学、芸術人類学、医療人類学、観光人類学、映像人類学、心理人類学や宗教人類学など実に多岐にわたっており、言語・文化・宗教人類学はともかくとして、他のものは具体的にどういった研究なのか筆者にはすぐに想像がつかない。

 この書では、人類学の最重要人物として、次の4人をあげている。ブロニスワフ・マリノフスキ(1884-1942)、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)、フランツ・ボアズ(1858-1942)、ティム・インゴルド(1948-)だ。
 マリノフスキは「生の全体」を、レヴィ=ストロースは「生の構造」を、ボアズは「生のあり方」を、インゴルドは「生の流転」をつきつめた人類学者だといわれる。
 著者は、この4人に代表される4つの考え方が人類学における学問的な成果であり、それを知ることによってここ100年にわたる人類学の歩みがわかるという。

 第2章で取り上げられているマリノフスキは、ニューギニアに長期のフィールドワークに出かけ、そこで暮らしている人々の行動を事細かに記録している。
 例えば、彼らが海を越えてカヌーで航海したり、呪文を唱えたりする行動を記録し、それらの人々の様々な行動で社会という全体が形づくられていると考えた。
そしてマリノフスキが示したニューギニアの人々の文化の見取り図は「機能主義」と呼ばれるようになった。
「機能主義」とは様々な部分、例えばその社会に存在する宗教や政治や経済や音楽などの各パーツや部署が果たす「働き」がその社会全体に対してどのように働いているかを探り、全体がどのように成り立っているかを理解しようとする立場である。
 逆に個々人の視点からいえば、自分がやっていることが組織や社会という全体の中でどのような意味を持ち、機能しているのかを客観的に捉え、自分が生きていく上で、自分自身の立ち位置を認識するために重要な視点となるのだ。
 
 マリノフスキは『金枝篇』を読んで、人類学に惹かれていったという。
 イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書である『金枝篇』は、「王殺し、祭司殺し」を主要テーマにしているが、それは以前筆者が取り上げた『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』(フランシス・コッポラ監督作品)という映画のテーマのひとつにもなっている。
 余談だが、この映画の最後の場面で、デスクに置かれた『金枝篇(The Golden Bough)』が暗示的に映される。

 第3章で取り上げられているレヴィ=ストロースはフランスの文化人類学者であり、「構造主義」を唱えたことで有名である。
「構造主義」とは、私たちが生活している社会や文化の背後には目に見えない構造があり、人間の活動はその構造によって支えられているという考え方である。そして、構造主義においては、人間の精神は進歩するのではなく、最初から完成しているのだとし、西洋近代が未開社会を遅れたものであり、劣ったものとみなすことに根拠はないと主張した。
 そして彼は、西洋近代の知を理性的だと思い込み、「未開人」を主観的で劣った世界に住む人々だとみなす見方を傲慢だと批判した。

 レヴィ=ストロースは日本における講演で次のように「構造」を定義している。
「『構造』とは、要素とそれからなる全体であって、この関係は、一連の変形過程を通じて普遍の特性を保持する。」(『構造・神話・労働』大橋保夫編 1979年 みすず書房)
 奥野克己は、卑近な例として人の顔をあげる。奥野は、「人の顔は、目、鼻、唇、耳、眉、睫毛など要素と要素の関係からなる全体」であるとし、それぞれのパーツの大きさや形をどう変えても顔の諸要素の関係は普遍であり、そういった特性を持ったものが「構造」なのだと述べる。
 またレヴィ=ストロースは神話学者として、世界各地に残る神話を馬鹿げたものとして排斥せず、無秩序に見える話の中にある「構造」を明らかにするために神話と神話の間にある関係を考察している。

 第4章。「生のあり方」を唱えたアメリカのボアズは、「移民問題」を自然人類学的な観点から研究をし、移民とその子孫の頭骨の計測データを元に、民族ごとに多様な頭型がアメリカでは均一化していく傾向を見つけた。要するに、人間は先天的に身体つきが決まっているのではなく、置かれた環境によって変化する生き物であるという事実を明らかにした。そのことは、ユダヤ人根絶を企図するナチス・ドイツに対抗する言説になり得、その意味でアメリカの人類学は最初から政治的意味合いを帯びていた。
 ちなみにボアズはユダヤ系の移民であった。

 またボアズは、あらゆる文化の対等性と非絶対性を主張し、それを「文化相対主義」と名付けた。
 この「文化相対主義」は、レヴィ=ストロースの「構造主義」とともに、人類学が生み出した概念の中で、特に世界に強い影響を与えている。

 アメリカの人類学の教科書では、文化は「ある人々の集団の生のあり方」や、「特定の人間社会に特徴的な生のあり方」と定義され、その意味で、アメリカの人類学は「文化人類学」と規定される。
 その流れの中で、共産主義やファシズムに抗して、民主主義こそが自分たちが守るべき「生のあり方」というジョン・デューイの捉え方に繋がっていった。
 
 第5章で取り上げられているインゴルドは、ベトナム戦争が泥沼化しつつあった1966年にケンブリッジ大学に入学した。この時期、科学は産業軍事力の巨大機構(産軍共同体)に従属していた時代であり、科学研究が悪用されていく現状に怒りを覚えていた。
 インゴルドを一番苛立たせたのは、「科学には解決できない問題など何もない」という科学者たちの傲慢な態度であった。そのような科学研究の対極にいたのが人文学者であった。しかし人文学者も、その時代の人間の存在条件を脅かす様々な問題に対応することができていないとインゴルドには思えた。
 そして互いに接触をしようとしない科学者と人文学者の間の分断こそ、西洋の知の歴史の大いなる悲劇だと考え、自然科学と人文学を統合した学問を探し始めたインゴルドは人類学と出会い、これこそ自分が探していた学問だと定め、その道を歩み始めたのである。

 人間は生まれて成長し、年老いて死を迎える「生物的存在」であるのと同時に、言語を身につけ、それぞれの文化の中で社会的関係を結んで暮らす「社会的存在」でもあり、その両方が分かちがたく進行する存在で、この両者は切り離すことはできないとインゴルドはいう。
 さらに、西洋近代における「自然」と「社会」の二元論は、有益でも賞賛すべきものでもないとし、非西洋の多くの先住民たちは、人間は環境に立ち向かうのではなく、環境の中に組み込まれている存在だと捉えているとする。

 さらに、インゴルドは、あらゆる存在は自己完結した個体ではないという視点を重視し、どのような動物も、環境を離れて存在することはできないとする。
 インゴルドは、大量虐殺に至る戦争や衝突、貧富の格差、環境汚染など、世界が臨界点に達している今日ほど、人類学が必要とされる時代はないと主張する。
 そして、私たち人間はいかに生きるべきなのか、という難問を探ることが人類の任務であり、人類学が取り組むべき課題だとしている。
 
 その意味で、人類学は行き詰まりつつある地球文明の落とし子なのかもしれない。

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