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『中村哲さん殺害事件実行犯の「遺言」』ノート

乗京真知著
朝日新聞出版

 2019年12月4日、アフガニスタンの復興支援で灌漑事業を行っていた医師の中村哲氏(福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表)が車で移動中に、武装集団に銃撃され死亡した。4人の警備陣と運転手も殺害された。ニュースで大きく取り上げられたのでご存じの方も多いであろう。

 中村医師は1984年にパキスタン北西部の病院で診療を始め、その後、アフガニスタン東部でも診療活動を開始し、干ばつに見舞われていた同地区で、2000年には井戸を掘る活動を始め、乾燥地の全面的緑化のために、2003年には現地の人とともに灌漑用水路事業に着手し、多くの土地に緑を蘇らせた。

 アフガニスタンの歴史を振り返ってみると、1979年にソ連が親ソ政権支援を名目にアフガニスタンに侵攻し、10年後にソ連軍は撤退するが、内戦が勃発し、治安回復などを掲げて武装集団タリバンが蜂起し、1996年に政権を樹立した。
 その後、2001年9月11日、アルカイダによる米同時多発テロが起き、実行組織アルカイダをタリバン政権が匿っているとして、10月には米軍などがアフガニスタンの空爆を開始した。そして、その年の12月にはタリバン政権が崩壊し、2004年には初の大統領選挙が行われ、カルザイ氏が就任した。
 しかしアフガニスタン国内では自爆テロが頻発し、米軍が支える政府軍と泥沼の戦いがその後も続いていたが、2011年についにアルカイダの指導者ビンラディン容疑者を米軍が殺害し、一応の決着を見た。

 中村氏は戦乱が続く中、長年アフガニスタンの民衆のために灌漑用水路の建設事業に尽力をしてきた。このような中村医師の無私の活動と人柄が現地の人たちの尊敬を受け、カルザイ大統領のあとに就任したガニ大統領は2018年、中村医師に国家勲章を授け、2019年には名誉市民権を授与した。

 そのことが、2019年12月4日に武装集団の銃撃を受け死亡する遠因となったことは皮肉だが、その根底にはアフガニスタンと隣国パキスタンの複雑かつ憎悪に満ちた両国関係がある。

 アフガニスタンの情報機関は同年11月11日、中村医師殺害計画があることをアフガニスタン内務省に報告をした。そして翌日、内務省は中村医師の現地NGOであるPMS(略: Peace 〈Japan〉 Medical Services)に文書で知らせたという。
 その警告文書によると、その首謀者は隣国パキスタンの治安機関となっており、「敵の計画を阻止」するために中村医師の移動に合わせて警戒を強めるなど、「徹底的な安全策」を講じてほしいと記されていた。
 しかし、中村医師は、人に銃を向けず、丸腰であることが、人から銃を向けられないための最善の道だという考え方を持ち、それを「まるごしの安全保障」と呼んで警備陣とは異なる考え方を持っていた。

 著者の乗京真知(のりきょうまさとも)は、朝日新聞イスラマバード支局長、アジア総局員、国際報道部次長などを歴任した記者である。
 乗京記者は決して安全とはいえないアフガニスタン国内等で、タリバン幹部や中村医師の護衛や運転手をしていて殺害された人たちの遺族などへの取材を敢行し、ようやく事件の真相を突きとめた。

 中村医師が長年尽力してきたのは、アフガニスタン東部の干ばつによる農地の砂漠化を防ぎ、緑地を蘇らせるため、日本古来の治水技術を使ってクナール川から取水し、用水路で農地まで届けるという大規模な灌漑事業であった。
 そのためPMSが2003年に着工し、7年をかけて日本からの募金を支えに約15億円を投じて、全長27キロメートルのマルワリード(「真珠」という意味)用水路を張り巡らせ、約10か所の取水堰も造って貯水池や排水路を整備したのだ。その事業によって、2020年までに1万6500ヘクタールの農地が甦り、農作物の収穫が増え、羊や牛も育てられるようになり、65万人の暮らしを支えられるようになったという。
 中村医師は現地の人から感謝と尊敬を集め、タリバン幹部でさえも彼の自国への貢献を評価し、感謝しているほどであった。

 パキスタンでの医療支援にも携わってきた中村医師が、何故パキスタンの治安機関に狙われるようになったのか。
 そこには国家の存亡に関わる〝水〟の安全保障の問題が横たわっていた。
 彼が事業を実施したアフガニスタン東部からパキスタンにかけての地域は長年干ばつによる被害が非常に深刻で、上流のクナール川での取水事業は、下流に位置するパキスタンにとっては脅威だったのだ。
 パキスタンのイムラン・カーン首相の就任後、最初に打ち出した政策はダムの建設や水不足の解消であった。パキスタンは水が不足しており、今後20年くらいで国家存亡の危機に立たされると演説でも述べていたほどであった。
 水の問題は、この地域に関わらず、中東全体の課題であり、水の奪い合いや分け合いは国民の生死に直接関わり、これまでも紛争の原因にもなってきた。

 この中村医師の事業によって、下流のパキスタンがますます水不足に陥ると考えたパキスタンの治安機関が中村医師の排除を目的に、パキスタンの武装勢力「パキスタン・タリバン運動」(TTP・パキスタン政府と対立)の幹部で、有力者の誘拐と身代金奪取を生業としていたアミール・ナワズ・メスードというパキスタン人を、「中村を誘拐する」といって巧妙に仲間に引き入れ、実際は、パキスタンの治安機関の手先である他の共犯者が中村医師を排除したのだ。

 だまされたと知ったアミールは、共犯者に向かって、「なぜ撃った!」「聞いていなかったぞ!」と声を荒げる映像が残っている。そして「お前のせいでオレに捜査が集中する羽目になったじゃないか!」と怒っているところを目撃したアミールの知人が、乗京記者の取材で明らかにしている。

 ここまで事件の真相に迫りながら、アフガニスタン政府の弱体化とタリバンの政権奪還、隣国パキスタンとの険悪な関係から、犯人たちを捕まえる術はないことが残念でならない。

 当時のガニ大統領が、捜査を自ら指揮して必ず犯人を捕まえると国民に約束したにもかかわらず、政権内部や国内の捜査体制の不備など様々な障害もあり、最終的には政権がタリバンに移ったことで、ガニ大統領はアラブ首長国連邦に亡命してしまい、捜査資料も引き継がれているかどうかもいまだ不明である。

 昨年12月4日(中村哲医師の祥月命日)のNHKニュースによると、中村哲氏の死後もペシャワール会は現地への支援を続けていて、ナンガルハル州のコット地区では1年ほど前から、灌漑のための新たな用水路建設が進められているそうだ。

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