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『ツバキ文具店』ノート

小川糸著
幻冬舎文庫

  小川糸の作品を取り上げるのは、『ライオンのおやつ』についで2冊目だ。

 電車の時間待ちで駅のコンコースにある本屋を覗いたときに見つけた。こういう買い方はネットではできない。ネットでは、以前に購入した本の履歴を元に、関連するような書籍を紹介はしてくれるが、いつの間にか狭い世界に囲い込みされているようで、雑読家・乱読家の私としてはあまり嬉しくはない。もちろん欲しい本を注文すれば翌日に届くので、非常に便利であることは否定しない。

 鎌倉が物語の舞台。祖母から引き継いだ昔ながらの文具店と代書屋を生業としている20代後半の鳩子が主人公。代書屋といっても、役所に提出する各種書類を本人に代わって作成する行政書士ではなく、いろんな手紙の代筆を依頼されて書く代書屋だ。

 それも恋文から別れの手紙、借金の無心への断りの手紙、離婚の挨拶状、手書きの字にコンプレックスを持っている女性の義母への挨拶状、無二の親友だと思って長年付き合ってきたものの、ふとしたことで縁を切りたいという思いに至ったいわば絶縁状などなど、基本的に何でも引き受ける。

 さらに、ただ形式的な文章を書くのではなく、依頼に至った背景などをできるだけ聴き取り、それを参考に依頼者本人になりかわって書くのだ。それも手書きの字も時には左手で書いてみたり、筆跡も変える。さらにさらに、その手紙の種類に応じて、それにふさわしい便箋や封筒、筆記具、インク、封緘方法さらにはそれに貼り付ける切手まで考え抜いている。種類によっては活字(活版印刷)の手紙にすることもある。

 面白いことに、依頼された手紙がそこここに載せてあるのが真実味を与えていて、作者の術中に見事にはまってしまった。

   小説ではあるが、とてもいまのメール全盛時代では考えられないほどの手間暇をかけていた手紙文化というものの素晴らしさを思い出させてくれた。

   この代書屋という仕事の話を縦糸に、近隣の個性溢れる友人たちとの日常を横糸に(作者の名前は〝糸〟だった)展開する主人公の心象風景が織りなす描写が、鎌倉に実在するいろんなお店や神社仏閣と絡み、地形まで浮かんでくる。

   ある日、イタリアから青年が訪ねてきて、鳩子の祖母が出した沢山の手紙の束を持ってくる。それで鳩子の祖母がこのイタリアの青年の母親(日本人)と文通仲間その手紙を読むうちに、心が通わず、仲違いをしたまま死に目にも会えずに逝ってしまった祖母の心のうちがわかり、亡き祖母との和解を果たすのだ。

 これ以上書くと、ネタバレになるので止めるが、読み終えた後、ほんわかした気分になった。読者が幸せな気分を共有できる作品だ。

 文庫本のカバーの見返しによると、NHKでドラマになっているそうだ。

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