『鳴かずのカッコウ』ノート
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『鳴かずのカッコウ』ノート

手嶋龍一 小学館刊
2021年3月21日

 不思議なタイトルは、ヒューミント(対人諜報活動)を生業とするわが国の法務省外局である公安調査庁の存在を、公安調査官自身が自嘲気味に譬えた言葉である。
 暴力によって国家転覆を謀る集団、サリンを用いて大量殺人と国家の中枢破壊を目指したカルト組織、そのほか国際的テロ集団などを標的に、秘密裏に調査を進め、国家中枢に報告するのが公安調査官の仕事である。

 筆書の知る限りわが国の情報コミュニティーを列記すると、内閣官房に置かれている内閣情報官をトップとする「内閣情報調査室」、「外務省国際情報統括官(の元にある組織)」「防衛省情報本部」、「警察庁警備局」(いわゆる公安警察)、国土交通省の外局である「海上保安庁警備救難部(の一部)」などがある。
 その中でも公安調査庁はあまり表に出ない小規模な組織であるが、別に秘密の存在ではなく、一般の国家公務員と全く同じ採用方法であり、ホームページで種々の情報を開示している。また年に一度、『内外情勢の回顧と展望』という報告書を公表している。
 ホームページには、公安調査庁の仕事について、「情報の力で、国民を守る。」と最初に掲げられており、「民主主義体制の存立基盤への脅威に対する抑止力として機能しています。」と書かれている。

 このフィクションの主人公は、梶壮太という外見は地味だが、一度見たことは忘れず、映像として記憶できる稀な才能を持っている入庁6年目の公安調査官。壮太は最初からインテリジェンス・オフィサーを目指していたわけではなく、地元採用枠のある官庁を選んで、試験を受け採用されたのが公安調査庁だった。同僚が付けたあだ名はジミー(地味)で、客の顔を覚えるのが得意な店の女主人も壮太の顔を覚えられない、というか、壮太の地味さ加減が図抜けており、他人の印象に少しも残らないのは武器だと上司から言われる程だ。
 
 主な舞台は神戸で、荷主と船会社の間で輸送船などの手配を取り持つシップブローカーを巡る国際的な不正取引が物語の端緒となって、北朝鮮の松茸、解体すべき老朽船の不正輸出などの問題がさらに諜報戦の大きな構図の中に飲み込まれるように描かれる。
 途中で建造が中止されたウクライナの航空母艦ワリャーグを、海上戦力の強化を目指している中国が入手し、「遼寧」と名前を変えて南シナ海に展開していることなどは史実である。
 米国のCIA(符牒はラングレー)や中国の情報当局、最後は英国のMI6(符牒はヴォクソール)まで出てきて国際情報戦の様相を、報道された事実を織り交ぜながら描いている。

 物語には神戸の街の成り立ちや様子がが随所に出てくる。さらには茶の湯の様子や茶碗や小道具、俳句や古今和歌集の和歌が文中に散りばめられていることが、一見不毛に見える情報戦の物語のなかに点景となって印象に残る。
 また壮太が密かに想いを寄せる同僚の西海帆稀は帰国子女で、映画「アラビアのロレンス」の主役のピーター・オトゥールの大ファンなので、まわりからは〝Missロレンス〟と呼ばれている。
 物語の最後に、英国に赴任する帆稀に壮太は出雲焼の茶碗を送る。桐箱の表に書かれている銘は〝面影〟。壮太はこの言葉に自分の願いを託したのだが、果たして、日本語にやや不安のある帆稀はそれに気付くことがあるのか。

 作者の手嶋龍一氏は、NHKワシントン支局長として9・11同時多発テロを経験した外交ジャーナリストであり、史実を織り交ぜて国際情報戦の裏のウラを描く構想力は他の追随を許さない。

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1951年生まれ。若い頃から書籍の制作や校正に携わる。いまは永田町近辺での仕事の合間に、小説らしきものを書きながら、林住期を楽しんでいる男。この歳になって、オープン・2シーターの車を買うほどの道楽はないと確信している今日この頃です。