見出し画像

『在日米軍基地』ノート

川名晋史著
中央公論新社刊

 いまわが国周辺は、様々な脅威に晒されている。国連決議に反する北朝鮮の度重なる弾道ミサイル等の発射、重装備の中国海警局艦船の尖閣諸島周辺海域への進出の常態化と頻発する領海侵犯、そして習近平が公言する台湾の併合(台湾統一)など、どれもわが国の安全保障にとって看過できない事態である。

 古くは1950年6月、北朝鮮の南進をきっかけに勃発した朝鮮戦争――この戦争はいまだ休戦状態であり、終結はしていない――が、わが国の現在の安全保障体制に深く影を落としている。
 わが国に米軍基地があり、在日米軍(陸軍、海軍、空軍と海兵隊あわせて約5万4千人)が駐留していることについては、ほとんどの国民が知ってはいるが、その裏に米軍を主勢力とする「朝鮮国連軍」が法的に存在し、横田基地に国連軍の後方司令部があり、本土の4か所(横田、座間、横須賀、佐世保)と沖縄の3か所(嘉手納、普天間、ホワイトビーチ)の米軍基地が国連軍後方基地に指定され、そこには米国だけでなく、国連軍を構成する国の連絡将校がいまも常駐していることはほとんど知られていない。
 さらに重要なのは、在日米軍は、国連軍といういわば〝裏の顔〟も持っていることである。在日米軍が国連軍として行動する場合には、日米安保条約の〝事前協議〟も必要とされないなど、在日米軍としての活動の制約のほとんどがなくなるのである。

 外務省のホームページには、「朝鮮国連軍と我が国の関係について」として以下のように掲載されている。
(1)朝鮮国連軍は、1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い、同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき、「武力攻撃を撃退し、かつ、この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設された。また、同月、朝鮮国連軍司令部が東京に設立された。
(2)1953年7月の休戦協定成立を経た後,1957年7月に朝鮮国連軍司令部がソウルに移されたことに伴い,我が国に朝鮮国連軍後方司令部が設立された(当初キャンプ座間に置かれたが、2007年11月に横田飛行場に移転した。)。
(3)現在,在韓朝鮮国連軍は、朝鮮国連軍司令部本体と同司令部に配属されている軍事要員からなっており、在韓米軍司令官が朝鮮国連軍司令官を兼ねている。
(4)横田飛行場に所在する朝鮮国連軍後方司令部には、司令官他3名が常駐しているほか、9か国(オーストラリア、イギリス、カナダ、フランス、イタリア、トルコ、ニュージーランド、フィリピン、タイ)の駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として在京各国大使館に常駐している。

 筆者は、わが国の安全保障体制に関する書籍や資料を読んできたほうだ。しかし在日米軍と国連軍が今に至るまで法的に常駐しており、本土や沖縄の7か所の米軍基地が国連軍後方基地でもあるということを明示し、そのことが2014~2015年の平和安全法制論議と密接に関連し、普天間基地移設問題に大きく影響をしていることを安全保障法制史の視点から記述している本に初めて出会った。
 この本のほかには、雑誌『時の法令』(2008号・2016年8月30日)に、「国連軍地位協定と日本の安全保障」という題で、当時参議院外交防衛委員会調査室の今井和昌氏が寄稿しているのを読んだことがあるくらいだ。
 またこの本の刊行を契機に、今年の2月6日から「琉球新報」で「沖縄の国連軍基地 基地固定化の源流」という連載記事が7回にわたって掲載されたことを付記しておきたい。

 この本を読んだ後、手元にあった小川和久の『在日米軍』(1985年・講談社刊)、江畑謙介の『日本の軍事システム』(2001年・講談社刊)、西山太吉の『沖縄密約』(2007年・岩波書店刊)を読み返してみたが、国連軍という視点からの記述は見られなかった。

 それだけではなく、『安全保障条約論』(1959年刊 西村熊雄※1)と『日米外交三十年』(1982年刊 東郷文彦※2)という日米の外交・安全保障の実務担当者が執筆した貴重な基礎資料ともいうべき書物にも国連軍に関する記述はほとんどないのである。(『在日米軍基地』のあとがき)
 ※1……1951年の日米安保条約制定時の外務省条約局長
 ※2……1960年の日米安保条約改定時の外務省アメリカ局安全保障課長

 なぜこれまで「国連軍」という視点で日本の基地問題が取り上げられることがあまりなかったのだろうか。

 国会では1950年代に国連軍と国連基地、そして国連地位協定の問題が散発的に取り上げられており、最近でも参議院外交防衛委員会で取り上げられているが、あまり大きな問題になった形跡はない。
 普天間基地の移転の問題もこの国連軍との関係が分からなければ、大事な視点を見落とし、片手落ちの議論になってしまうにもかかわらず、その後もほとんど取り上げられてはいない。
 またオーストラリアやイギリスとの安全保障協力の進展も「円滑化協定」との関係で見ていかなければ重要な点を見落としてしまうと著者は指摘している。

 筆者の手元に、2006年3月23日に当時民主党の白眞勲参議院議員が提出した「普天間飛行場における国連軍地位協定の位置付けと在日米軍基地再編に関する質問主意書」がある。
 この中で、白眞勲議員は、在日米軍基地である普天間飛行場が国連軍の基地であることが広く国民に知られているとは言いがたいと指摘し、国連軍地位協定の今日的役割やその機能について、質問をしている。
 この質問主意書に対する政府の答弁書は3月31日に発出されているが、国民への周知については、累次の国会答弁で述べてきたといい、朝鮮半島有事に係る措置については、お答えすることは差し控えたいと述べるだけであり、この答弁書が、白眞勲議員の質問に十分に答えているとはいえない。

 その4年後の2010年3月5日、陸上自衛隊のイラク先遣隊長だった自民党・佐藤正久議員が、参議院予算委員会において鳩山由紀夫総理に対して、普天間基地が国連軍基地の一つであることを知っているかという質問をしたことがある。
 その質問に対して鳩山総理は、「今教えていただきましたことに感謝いたします」と答弁している。
 著者は、鳩山総理が「知らなかったか、あるいはそうとれる応答をした。むろん、知らぬふりをした可能性もある」と書いているが、筆者は、鳩山総理は本当に知らなかったのだと思う。
 なぜなら、この質問の前に佐藤議員は、「今、この日本に国連軍がいると御存じですか」と総理に対して質問をしているが、代わりに答弁に立った平野博文官房長官は、「国連軍という形でおられるかどうかは分かりませんが、座間に国連の軍の旗を掲揚しているということでございます」と的外れな答弁をしていることから考えると、鳩山総理は本当に知らなかったのだと思う。
 昨年12月の琉球新報の取材に、鳩山元総理は、「国連軍基地のことはほとんど認識していなかった」と答えている。

 民主党所属の白眞勲参議院議員がこの予算委員会の4年前に、既にこの問題について政府に質問主意書を提出しており、政府からの答弁書も出ているのに、民主党執行部や鳩山政権の幹部も知らなかったということにいまさらながら驚く。
 このような当時の政権中枢の国連軍に関する認識のなさが、在日米軍基地と国連軍基地としての性格を併せ持つ普天間飛行場の移設について、「最低でも県外」という鳩山総理の軽率な発言につながり、普天間問題が迷走を始めるのである。

 いずれにせよ、戦後のわが国、極東の安全は日米2国間だけではなく、国連軍を通じた多国間の枠組みによって維持されていることを忘れてはならない。

 著者は、この書で提示した問題を、主権者たる国民に広く知ってもらいたいということを優先して、「これまで明らかにされてきた事実の断片と、新史料から浮かび上がる仮説をつなぎ合わせ、〝在日米軍基地〟の大きなストーリーを提示することにした」といい、〈学〉に重きを置くか、〈社会〉を優先すべきかという悩ましい選択肢の中で、後者を優先させたと「あとがき」に書いている。
 
 この本には、安全保障問題を論議する人たち、とりわけ国会議員の方々が基礎知識として学んでおくべき最低限の法規定と、そこから導かれる現実的視点が数多く提起されており、今後わが国の安全保障論議のベースとなるべき書である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?