『人類知抄 百家言』ノート
中村雄二郎著
朝日新聞社刊
哲学者・中村雄二郎に興味を持ったのは、朝日新聞のこの本の元となった連載エッセイを読んでからだ。それで書店で見つけた『中村雄二郎著作集』を大枚はたいて全10巻まとめて購入して通読に挑戦した。1993年のことだ。もう40年以上前になる。
その連載がまとめられ一冊の本になったのは、奥付によると1996年4月1日初版。筆者は『人類知抄 百家言』を5月15日に購入している。
著作集とこの本は、本棚の目立つ位置に並べてあり、書斎から出るたびに必ず視野に入るのだが、なぜかこれまでなかなか手が伸びなかった。
内容は濃く難しいが、考えるということの面白さ、ワクワク感を感じさせてくれた著作集で、哲学に真剣に興味を持って取り組んだきっかけが中村雄二郎であった。著作集を開くたびに、これまで関係のなかった脳の中のシナプスがあちこち繋がるような気がした。
さてこの本は、古代から近代までの世界各国の哲学者、科学者、思想家、小説家、芸術家、宗教者など100人の言葉――有名な言葉ばかりではない――を取り上げ、その言葉から敷衍して解題し展開した哲学エッセイである。中村雄二郎は、この本の元となった連載について、「古今東西の〈人類の英知〉の掘り起こしという企てだった」とまえがきに書いている。
筆者はこの本で読んだ人物に興味を持ち、そのあと、それらの人たちの著作を読むようになったので、筆者にとって哲学など幅広い分野の入門書になった。
それまで名前も知らなかった人――例えば、レヴィナス、アイソポス、ベイトソン、エックハルト、ベルジャーエフ、アミエル、アーレント、ミード、バシュラール、ボルヘス、ベンヤミン――などなど、その後の読書の方向性を示してくれた。
今回、改めて読み返してみると、面白いことに気付いた。筆者は本を読むとき、示唆を与えられた箇所にマーカーや赤ペンで傍線を引いたり、付箋を付けたりしながら読むのだが、40年前に付けたマーカーや付箋と、今回面白いと思った箇所がことごとく異なっているのだ。以前の箇所を今読み返してみると、「なぜここに傍線をひいたのかな」と思うところが多い。読み手の側の捉え方が変わったのかどうか、よくわからない。
以前読んだ時はノーマークで、今回、特に印象に残った言葉を引用する。
13世紀から14世紀にかけて生きたドイツの大神学者のマイスター・エックハルトの言葉――「あなたは清き心でなくてはならない。あらゆる被造物を無にしてはじめて心は清きものとなるからである。」
エックハルトは、積極的な意味での〈貧しさ〉にも2種類あるという。一つは〈外なる貧しさ〉で、物を所有することなく文字通り貧しく生きようとする生き方であるが、さらにより本質的なものに〈内なる貧しさ〉があると説く。その意味は、中村によれば、所有の真っ只中にあって、しかもその所有関係の囚われから自由であるような人間のあり方である。
エックハルトは、どのように懺悔や祈りや徳の修練を行ったところで、神の意志に適おうとする意志を自分が所有している限り、〈外なる貧しさ〉にとどまるのだと言う。さらに彼は、「これらの人たちは外見からは聖者と呼ばれるが、内から見れば愚かなロバでしかない」とまで言うのである。
最初の引用に戻れば、〈一切の被造物及び自己自身から完全に離れること、つまり、囚われからの自由の意識からも自由になったあり方〉なのである。
エックハルトは、〈内なる貧しさ〉を徹底して一切の囚われから自由であるようなあり方を〈純粋な離脱〉と名付けている。
いずれにしても、先人たちの警句と中村雄二郎のそれらの言葉を巡る問題意識は古くて新しい問題を提示しており、いま人間や社会が直面している問題さえも先取りをしており、その炯眼にいまさらながら驚かされる。