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『12___45 デンマークで出会った、わたしとわたしのまわりのお話』

2022年7月末〜2023年9月末の間(1年2ヶ月ほど)、デンマークを中心にヨーロッパで滞在していました。
「なんでデンマーク?」「何をしていたの?」といった質問に一言では返答きないので、帰国後、デンマーク滞在記をひとつの本にまとめました。

タイトルは、
『12___45 デンマークで出会った、わたしとわたしのまわりのお話』

初めてのZINE制作

デンマークでの経験を経て、辿り着いた私の現在地を知ってもらい、これからも続く対話のきっかけになってほしい。そんな願いを込めてつくった、この冊子。
デンマークのことだけでなく、私のかなりプライベートな体験も書きました。強がりな私にとって、自分の苦手なことや弱さを開示することは、大きなチャレンジでした。ですが、他の誰でもなく、自分のために書く時間は、残りのデンマーク生活を楽しむ活力にもなったし、過去の自分自身を癒やすプロセスにもなったように思います。

実際に配ってみて、私が暮らす神山町の友人をはじめ、これまで出会った多くの方々(北海道から沖縄、タイ、デンマークからも問い合わせが!)と繋がり直すことができ、冊子をつくってみて本当に良かった、と今思っています。

目次

冊子を読んでくださった方には、「感想をぜひ教えてください!」と必ず伝えています。
そこで、20代の方々から多くの共感やフィードバックがあったのが、「自尊」と「自信」について触れた "できることを増やすことに必死だった自分へ" という文章でした。
この文章は、日本に帰国する直前の昨年9月に書きました。これからも大切にしていきたいと思っていることを、多くの人に共感してもらえたことが嬉しかったので、今回NOTEでも掲載してみようと思います。

デンマークの食卓が大好きだった


できることを増やすことに必死だった自分へ


 いきなりだが、みなさんは“シゴデキ”という言葉を知っているだろうか。私は、フォルケで出会った日本人の大学生が、「◯◯ちゃん、シゴデキ!」と横で話しているのを聞いて、初めて知った。「仕事ができる」の略称らしい。それ以来「シゴデキ」という言葉に対して、心にざらっとした違和感を感じるようになった。この違和感を忘れてはいけない気がして、デンマーク滞在中、この言葉についてよく考えていた。

 振り返ると、新卒で働いた職場では、本人がいないところで「あの人は仕事ができる」「あの人は仕事ができない」という噂をよく聞いた。その当時、私も人に合わせて使ってしまっていたが、その言葉を聞く度に、次は私が仕事ができないと言われたらどうしよう、と不安になったりもした。“仕事ができない人=生産性がない人=価値がない人”というレッテルに怯えて、結果を残さなければと必死に働いていた。人からの評価を気にしないふりをしながらも、実際のところはものすごく気にしていて、もっと頑張らなきゃ、もっと人から認められなきゃと思っていた。

 以前、ももよさんの授業で、“自尊”と“自信”について教えてもらったことがある。自尊とは、幼い頃から親や周りの大人に愛情を持って接してもらう中で、自分の存在そのものに価値があって、ここにいてもいい・何をやっても大丈夫だと思える気持ちのこと。一方、自信とは、こなす量や成績といった評価されやすい基準で、周りに認めてもらうことで、自分はできるんだと思える気持ちのこと。今、自尊という人としての土台がぐらぐらのまま、自信ばかり大きくなった人が多くなってしまっている。

 この背景には、日本が戦後何を目指し、どういった人を生み出す必要があったのかということが大きく影響している。日本は戦後、“経済大国”を目指したことで、生産性のある人を生み出す必要があり、そういった社会や親のニーズに合わせて、日本の学校教育が行われてきた。確かに、私の学生時代を思い返すと、毎週のように行われる小テスト、学期末に配られる通知表、偏差値で決まる受験、、、とずっと点数を気にしていたように思う。先生に言われたテストの範囲を必死に頭に詰め込み、それを迅速に、正確に、解答用紙に書いていく作業。最初は嫌で仕方がなかったが、それも段々当たり前になって、いつしかペーパーテストは得意になっていた。そうやって“自信”を得てきた私が、なぜ生産性や効率にこだわってきたのか。それと同時に、生産性や効率に抗って、プロセスや人間性を大切にしていこうとしているのか、少し分かった気がした。学校に入った時点で、この終わりのない競争は始まっていた。そして私は今、その競争から降りようとしているのだと気がついた。

 一方、戦後“生活大国”を目指して国づくりが行われてきたデンマークでは、高福祉国家を維持するために、税収を確保することが最重要項目となった。人口が少なく、人件費が高いデンマークでは工場の数が減少し、クリエイティブな人材が必要となった背景から、教育や人材育成に力を入れてきた。“自尊”を育てられるように、一人ひとりの子どもの発達に合わせた教育を受けてきたデンマーク人は、自分の主張もしっかりできて、新しいことでもやってみようとチャレンジする人が多い印象を受けた。私達は、そんなデンマークの教育が進んでますね、と言ってしまいがちだが、ももよさんは「どちらが遅れている、進んでいるという話ではない。何を目指して、何を手放したのかという違いなのだ」と教えてくれた。

デンマークのガーデンでお手伝いをした春と夏

 1年2ヶ月ほど、自分が生まれ育った場所から距離を置いたことで、日本社会のことも、そこで育った自分自身のことも少しずつ客観的に見れるようになってきたと思う。当たり前だが、社会が変われば、“できる人” “優秀な人”と呼ばれる人も変わってくる。生産性が高くて、代替可能な人間ばかりいても、新しいことはできないし、そこに持続可能性はないということは、もうほとんどの人が気づいていることだろう。

 だから私は今、自分でできることを増やすのではなく、コミュニティ全体でできることを増やすことに関心がある。それぞれの個性や経験を最大限に活かしながら、いろんな人ができることを持ち寄り、活かし合うコミュニティを作りたいと思っている。デンマークのコミュニティの中で、常にオープンで、フラットで、新しいことにチャレンジする素敵な大人たちに出会えたことで、その夢への気持ちがさらに大きくなった。

 あの人はできる人・できない人と比較したり、ジャッジしたりする世界で生きづらさを感じてきた私。これからは、人とできることを持ち寄り、できないことを補い合って、時には一緒にやったことのないことにチャレンジできる、そんな世界をつくっていきたい。

『12___45 デンマークで出会った、わたしとわたしのまわりのお話』
デンマーク人のコミュニティからたくさんのことを学ばせてもらった

 帰国後、さまざまな人と繋がり直していく中で、これまで関わってくれた方々の生き方や価値観にもっと触れてみたいと思うようになりました。皆さんからの感想やご意見、どしどしお待ちしております。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。では、また。

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