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【海外出産奮闘記#4】マイナス50度のお出かけ、赤ちゃんにこびりついたウンチ…~極寒のボストン3人暮らし編~

大学卒業後、まともに就職活動もせず、ふと見つけた広告に応募し採用され、現代美術ギャラリーで楽しく働く私に向かって、ある日母はこう言放ちました。

「あんたはきっと“いきおくれ”て、30過ぎで猫と一緒に1人暮らしするんでしょうね」
と……。

しかし、人生には時に天変地異の如き出来事が降り掛かります。25歳で出会った彼と、次の日からおつきあいをスタート。半年後に妊娠、入籍する事に!

前途多難の渡米後、新婚ホヤホヤの夫との初々しい生活も束の間、突如として私たちの住むボストンにやってきた母。最初は、“3人暮らし”に不満を覚えながらも、心強い母のお産扱いについて前回お届けしました。


父と連れ立って日本へと帰る母の後ろ姿は今でも忘れられません。なんだか見捨てられた子どものような、心細く情けない、不安な気持ちでいっぱいでした。

「これから赤ちゃんをちゃんと育てられるだろうか?私はいいお母さんになれるんだろうか?」

全てが凍てつくボストンの本格的な冬を目の前にして、とうとう夫と赤ちゃんとの、“新たな3人暮らし”が始まったのです。


■夫は大学院後期に突入。一方私は「新米ママ」の日々

検診と出産に付き添えるようにと、夫が前期のスケジュールをゆるめにしてくれていたことを、私は知りませんでした。

そのシワ寄せで後期は一気に忙しくなり、夫は不在がちに。(といっても、学生なので夜には帰ってきていたのですが……)当然のように、いつも隣にいると思っていた夫がいない。母と同時に、夫までもが自分から遠ざかったような、心もとない気持ちがしたものです。

夫の生活はこういう感じでした。朝は大学へ行き、昼はランチを食べに一度帰ってきます。そして夜は夕食時に帰宅。わたしは1日の全てを赤ちゃんのお世話と家事に費やすという、新しい生活が始まりました。

■もしかして「育てにくい」…?

初めての赤ちゃんです。全てが初めてで、当然ですが比較対象はありません。こんなものだろう、と思って息切れしながら日々をこなしていたある日、夫がふと呟きました。

「この子は、よく泣くなあ」

それを聞いて、はて、と思いました。これが当たり前と思っていたけど、確かにこの子はよく泣く子だわ……。

昼間は抱っこしていないと泣き、夜は授乳をしてもしても寝ずに泣いている。そして泣き疲れて眠った後、そうっとベッドに置くと目をパチリと開き、地獄のループが再び訪れます。

「あー!あー!」と泣き叫びながら、手を振り回した勢いで私の胸をどんどんと叩く赤ちゃんをなす術無くみていると、「オマエのおっぱいがまずいんじゃ!」とダメだしされているような、情けない気持ちになったものです。

何をしても泣き止まない子をあやす気力も無くなり、ただただ抱っこしながら、無気力に見つめる夜もありました。


■「これにサラダがついたら、完璧だね」…チャーハン事件勃発!

5時から夜ごはんを準備しつつ、赤ちゃんのお世話をしつつ……とやっていて、時には夕食が8時近くになった事もあります。ママ業のみならず、家事も初心者だった私は、段取りも要領も、今思えば壊滅的に悪かったのです。立って授乳しながらタマネギを炒めた事もありました。

ところでその頃わたしは、夫がさりげなく登録して、いつの間にか入学していた大学附属の英語クラスに通っていました。そこでわたしが頭をひねって繰り出した例文は、家事のことばかり。

「I hate cooking everyday.」(わたしは料理するのが大嫌いです)
「If I live without cooking, I will be happy.」(もし料理しないで生きて行けたら、幸せです)
などなど。

「ミカ、あなたは本当に料理が好きじゃないのね」と先生に苦笑されたものです。


そんなある日、私はお昼にチャーハンを作りました。チャーハンだけではなあ、と思い、スープも作りました。「みてよ、チャーハンにスープまでつけちゃったわよ……ふふふ」と得意満面な私に、夫はあろうことかこう言ったのです。

「これにサラダがついたら、完璧だね」

と。

私の表情は凍り付きました。

このエピソードはチャーハン事件として、今でもわが家に語り継がれています。

つまり、赤ちゃんの世話の合間に家事をするという行為は、当時の私には一輪車に乗りながらジャグリングをするような、難易度の高い芸当だったのでした。ですからボストンでの1日1日は、何をしたのかハッキリよく憶えていないまま、あっという間に過ぎ去ったものです。

■マイナス50度のボストン。極寒の中、夫の学校へ

そうこうしているうちに、夫の大学院修了の日が近づきつつありました。夫は、私をスタジオ(研究室)の発表に呼んでくれました。自分がしていることを、見て欲しかったのでしょう。

発表当日、外は雪が降っていました。ボストンは寒いときは、マイナス50度にもなります。赤ちゃんをぬいぐるみのように着膨れさせ、しっかりと抱っこ紐で装着し、いざ雪の道を踏みしめて大学院へ行った日のことを、昨日のことのように憶えています。

「行きはよいよい、帰りは怖い」とはよく言ったものです。たくさんの人に抱っこされて疲れたのでしょう。帰り道、わんわんと泣き喚く赤ちゃんを連れ、ほうほうの体でアパートへ帰り着きました。ボストンのアパートはセントラル・ヒーティングで、室内は真夏のように温か。急いで服を脱がせた赤ちゃんの背中には、べったりとウンチがこびりついていました。

泣きたい気持ちでお尻を拭き、お風呂を用意して身体を洗い、おっぱいをあげながらふとみると、窓の外は雪がしんしんと降り積もっています。

堂々と研究と制作物について発表する夫の雄姿と、雪とウンチの情報を頭の中でチカチカと整理しながら、わたしはため息をつきました。この雪が溶ける頃、私たちは何処へ行くんだろう。うごめく赤ちゃんの温かな体温を腕の中に感じながら、そんなことを思いました。

■ 大学院修了の季節、リンゴの木の開花。そして夫の就職

私たちが飛行機を降り立ったとき夏だったボストンは、もうすぐ春を迎えます。緑はすっかり死に絶え、白と茶しか視界に映らないボストンの冬の寂しさは、日本の比ではありません。

そのかわり、リンゴの木にかわいらしいピンクのつぼみが芽吹き始めた時の感動と言ったら、本当に特別で格別でした。

少しずつ芽吹くリンゴの木。

夫はカリフォルニア州で就職しました。修了式に出席した後すぐに、私たちは引っ越す事になりました。

荷造りをしているときふとみると、部屋の窓の向こうにモクレンの花が沢山咲いています。私たちの部屋をのぞくようにして、ずっとそこにあった木は、美しいモクレンだったのです。

窓からモクレンがのぞく。


そうして私は、まだ恋人気分、娘気分で始まった新婚生活と、私たちを見守ってくれていたモクレンに別れを告げ、親子3人で飛行機でカリフォルニア州へと向かいました。

赤ちゃんだった娘はもう動き回っていた頃です。

★今回の教訓★

(1)やっとの思いで妻が作ったごはんにダメだしをしないで!
(2)新米ママ・パパは「完璧を目指さない」こと
(3)赤ちゃんが泣いているときは「ウンチしていないか?」も選択肢に入れること


*ItMamaに2016年掲載された連載です。現在、編集部側の都合で非公開になっていますので、加筆、修正したものをこちらにアップしています。

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