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新しい日常と春の足音

I hope your family is adjusting to a 'New Normal' as so many elements of our lives have changed dramatically.

息子の先生から届いたメールにそう書かれてあった。
当たり前がどんどん消えていく今の生活を「New Normal」とする必要性。一ヶ月先の未来が想像できない日が来るなんて思いもしなかった。

非日常への突入から数週間が経った今、ようやく頭も心も追いついてきた。ゆるりとエネルギーが戻ってくる感覚がある。「よし、大丈夫だ」と思う。

この「大丈夫」はオールオッケーの意味合いよりも「立ち向かう」と同義かもしれない。闘う準備は整いつつあるぞ、と。自分の中の優先順位がガラリと変わる。
この感じに覚えがあって、思い出したのは息子が謎の体調不良に見舞われた一年と少し前だった。

あのときと比べたら息子は元気だ。
とてもありがたいことだと思う。

いま自分たちの生活を脅かしているものに関しては色んな説が語られているけれど、私には「自然からの警報」という考え方がしっくりきた。好き勝手やってきた人間に対して地球が怒っていると。ウイルスはどっちなんだと。

粛々と、たくさんの不都合を受け止める。憂いても嘆いても何も変わらない諦めのような気持ちも含めて。だからと言って特段ネガティブというわけでもない。

体だけは正直だから金曜にはドッと疲れが出てしまい、息子と一緒にソファでブランケット持ってゴロゴロしつつ映画を観た。臆病者の恐竜と幼い少年の話。終盤でホロリと泣けて一通り涙を流したらスッキリした。
渦中の騒動とは関係ない部分でちゃんと心を動かすのは大切だと思った。

日本一のコメディアンの訃報を受けて、真っ先に思い浮かんだのは兄の顔だった。ドリフターズが、バカ殿様が大好きな兄。大学生になってもアイーンの目覚まし時計で起きていた兄。

ふだんはお互いの誕生日しか連絡を取らない。慌ててLINEをしたら翌々日に返事がきた。

「まだ立ち直れてない。追悼番組も見れてない」

私と母と奥さんからほぼ同タイミングで連絡がきたという。
世界から見るとちっぽけかもしれないけれど、兄には兄の大切にしていた思いがあるし、物語がある。喪失感を伴う大きな傷。
みんなが兄を心配していた事実に少しだけ柔らかい気持ちになる。

タイムラインに桜の写真がたくさん流れていて、いまが開花時期なのだと知った。地元の、あの桜も咲いているだろうか。そんなことをぼんやり思っていたら高校時代の親友からひょいと動画が届いた。

見慣れた景色。大きな川沿いにぎゅうぎゅうの桜並木。ささやくような声がして音量を上げる。すると友人の歌声だった。はるか昔に私が彼女に「好きだ」と話した歌。覚えていてくれたんだ。愛が溢れている。聴いていたら胸がつまった。儚いメロディ、力強い歌詞、懐かしい声。私の名前を呼ぶ声。

人の優しさと哀しみがゆらゆらと揺れている。この日々を、この春を、きっとずっと忘れない。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。