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「叶う」と「叶わない」のあいだにあるもの

幼い頃に描いていた夢がまったく思い出せない。

お花屋さん?ケーキ屋さん?たぶん違う。しいて言えばエレクトーンの先生や漫画家には憧れた気もするけど、どちらも中学生になったぐらいで早々に諦めた。習い事もぜんぶ途中でやめた。運動部に入っても補欠だった。何かの目標に向かって頑張る、といった努力が全然できない学生だった。ひとつのことに熱中している子たちがいつも羨ましくてしょうがなかった。

そんな私が小さな夢のカケラを手にした季節をよく覚えている。19歳から20歳にかけて大きな恋愛をした。
好きで好きで仕方なかった。恋愛って苦しいんだと知ったのは彼に出会ってからだ。奇跡的に両思いにはなれたけど、上手く自分を出せずに困らせてばかりで、結局付き合ったり別れたり二回もフラれてしまった。
最後の最後に一通の手紙を渡した。いま考えると重すぎて消滅させたい過去なのだが、その手紙はなぜか彼の心を大きく震わせたらしかった。
「そういう、仕事に就くべきだと思うよ」
そんなメッセージが携帯に届いた。私の中で言葉や文章に携わる仕事がしたい夢が芽生えた瞬間だった。

23歳のとき、仕事で初めてカンボジアを訪れた。灼熱の国でガイドとして迎えてくれたのは年齢が同じぐらいの女性だった。九州の田舎でぬくぬくと育っていた私は、こんな発展途上国で同世代の子が一人で暮らしている事実にたいそうびっくりした。まだ戦争の傷跡が大きく残る国。埋め込まれた地雷、手足がない子ども、目玉がないお年寄り。そういった環境の中で日本人として暮らす。何か事情があるはずに違いない。そんな狭い視野しか持っていなかったから彼女に訊いた。どうしてカンボジアで暮らしているの、と。
彼女はただ「好きだから」と言った。
何か事情があるわけではなく、好きだから異国で暮らす選択肢があるのだと知った。私の中でいつか海外で暮らしてみたい憧れが芽生えた瞬間だった。


家庭環境の影響から「働きたい、稼ぎたい」とは思っていた。まるで呪縛のようにその考えに取り憑かれていた私は、一人目の産後11ヶ月で仕事へ復帰した。
端的に言ってボロボロだった。身寄りのいない海外生活、給料が飛ぶほどに高いデイケア代、徐々に悪化していく夫婦仲、このままじゃすべてがダメになると思った。
ちょうどその頃、パソコン一台で「好きなときに好きな場所で働く」なんて売り文句が流行っていて、画面の向こうで何者だと名乗る人たちはずいぶんと優雅な生活をしているように見えた。
実情はわからないし胡散臭くもあるけど、私もあちら側へ行きたいと思った。子どもが風邪を引いたら、いつでも近くにいられるような働き方に。私の中で時間や場所の融通が利く仕事がしたい目標が芽生えた瞬間だった。


不思議なものだ。いま私は、在宅編集者として、海外で過ごしながら、パソコン一台で自由に働いている。あれだけ夢も目標も、熱い思いも持てずに燻っていた自分なのに。

どうやら、ちゃんと行動していたみたい。そして必死で追いかけている渦中は、夢や目標はうんと遠いところにあるのに。何年も経ってから、いつのまにか叶っていたと気付く。


一方で、叶わなかった、叶えられなかったものだってある。
MV製作に憧れて広告代理店に入りたかったけどあっけなく選考で落ちた。脚本を書いてみたくて通信講座を始めたけど途中で放棄してしまった。編集者時代に挑戦した宣伝会議の賞はかすりもしなかった。
ぜんぶ途中で追いかけるのを止めてしまった。だからもちろん叶わなかった。自分で自分を、さっさと見限った。


「叶う」と「叶わない」のあいだには、ただ「やる」があるだけ、「続ける」があるだけ。甘いかもしれないけど、そんな気がしている。
だとするならば、いま何をやりたいだろう。何を続けたいだろう。
一日は24時間しかなくて。生活も育児も仕事も抱える中、まばらに散らばったほんの少しの余白を、何のために使いたいのか。

そんなことをつらつら考えている。11月の終わり。2020年の終わり。noteを書き始めて、もう2年が経ったみたい。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。