八方美人もつらいよ
くうう、刺さる〜。
個人的に高校生くらいから、八方美人が止まらなくてですね。私の場合は、みんなに良い人と思われたい、というよりは、とにかく誰にも嫌われたくない、という気持ちの方が強くて、人畜無害・無味無臭をモットーに日々生活をしておりました。
いや、今もしております。
社会人になってからも、あらゆる方面から嫌われないようにこねこねといろいろ考えてきました。自分が何か進めることで、どこかで摩擦が生まれるなんて耐えられない。自分が動くことで自分を恨んだり、嫌ったり、そこまでいかなくても少し嫌な気持ちになる人が発生するなんて、自己中な八方美人には耐えがたいのだ…。
これをしたら、あの人は喜ぶけど、あの人は嫌がるだろう…。
これをしたら、喜ぶ可能性もあるっちゃあるけど、余計なお世話と思われるかも…。
それをぐるぐるとしてきた。なんて自己中心的なんでしょう。
学生時代はまあいいんですよ。いてもいなくても変わらない奴が存在しても迷惑にはならない。でもこれ、社会人になると本当にいかんですよ。何も起こらないということは何も生み出さないから。
社会人になると責任が発生して、あらゆる選択を求められる。
選択するということは、選択しないものが発生するということ。
なに当たり前なこと言ってんだと思いますよね?
私も思います。
ただですね、これが非常に難しいんですよ、八方美人にとっては。
たくさんの関係者がいるなかで、全員が得をする選択というのは存在しないんですね。社会人になってから知って、本当にびっくりしました。(世間知らずすぎる)
*
みんなに嫌われたくないと勝手にぐるぐるしているなかでふと思う。何も選択しなければそれは時だけ流れていくけど、頼ってくれるお客様や大切な人の役に立てないということだと。あれ?それでいいんだっけ…?と。
え、今回こそみんなのためになる仕事だったのでは?と思える時もありました。
でもそんなのは視野が狭いだけで、一点からしか物事を見れていないだけでした。
自分の選択は自分の知らないどこかにも影響することがある。
これならみんな幸せだ…!なんて思っても、どこかで泣く人はいる。
私が顧客を獲得すれば、会社や上司や仲間は喜ぶ。でも競合は泣いている。
顧客が市場で勝てば、それに負けている他者がいる。
こりゃもうどうしようもない。世界ってほんと広いもんな〜。(頭悪そう)
でもこの一種の諦めを得て思えるのは、全人類を幸せにする力がないなら、せめて大切な人は幸せにしたいよね、ということ。せっかく生きているし働いているんだから。
腹を括ってだれの役に立つのか決めるしかないのかな。
お客様なのか、仲間なのか、上司なのか、部下なのか、家族なのか、子供なのか。
みんながいろいろな方向に向かって、大事にしている「だれか」のために全力を尽くす。これによって社会はできているのかな、と思ったりもする。
さあ、私はどうする。
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