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思いやりに正解はないけど、絶望する必要はない


社会人になってから、自分の無知をひしひしと感じ、苦手な読書をしてみたり、ニュースに触れてみたり、いろいろな方のnoteを読んでみたり、少しずつ勉強をしています。

世界は驚くほど動いていて、いろいろな人がいろいろな立場でいろいろなことを感じているようです。

知れば知るほどわくわくして、でも知れば知るほど悲しくなってきました。


こんなにもあらゆる知恵が溜まっても、悲しみが尽きないこと。

互いを受容できないこと。

こんな感じでいい人風味なことを偉そうに言っているくせに、自分自身も自らの考えと反する身近な人の行動にイライラしてしまうこと。



でも、こんなちっぽけなもやもやはちゃんとすでに提言されていて、ぴったりな本がありました。

『人は、なぜ他人を許せないのか?』

まさに求めていたタイトルです。笑

そもそも人間というのは、自分の基準で他人を成敗することに快感を覚えるらしいです。

自らの正義を振りかざすことがやめられない状態を「正義中毒」と名付け、脳科学や心理学、歴史的背景などあらゆる視点から解説してくれていて、すごく腹落ちします。

なかでも、個人的にすごく学びがあったのは、他人の個を見ずにラベリングして決めつけてしまうときは、脳が楽をしているという話でした。

個人の背景や思いを考慮せず、男だから、女だから、日本人だから、若いから、お年寄りだから…とまとめてしまうことは脳の処理的にすごくコスパが良いそうです。

ただし、個を理解するための脳の機能はちゃんと鍛えていけるよ、とも書いてあります。



誰かを許せないときや他人の挙動にイライラするとき、自分の器の小ささにがっかりするのではなく、「やばい、理解するのさぼっちゃってる」と思えれば、改善の余地がありそうで、少し気が楽になります。


他人のことはどうせ分からないからこれからもきっと傷つけるし、傷つけられるけど、まだまだ私たちにやれることはあるようです。

思いやりに絶対的な解がないと絶望するのは簡単だけど、やっぱりそんなのは思考停止でつまらないから、どうせなら考え続けたいような気もします。






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