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ねえ私、本当は変わりたくないんじゃない?


積み重ねてきた思考のクセで、人からの見られ方や評価を基準にこれまでいろいろなことを判断して生きてきました。

私にとっては、以前の自分と比べてどれだけよくなったか、進みたいところに近づけているのか、という視点ではなく、誰に勝ったのか、誰かに称賛してもらえたのか、という視点が一番大事なんです。

でも、あまりにもどうにもうまくいかないと感じているうちに、そもそも他人はコントロールできないということ、このままでは自分に満足し、受け入れられるようになることはないと気づきました。コントロールできない他人の基準で考えるから、いちいち落ち込んだり、自分を認めることができないというのは明確です。

この明確な理由に気づき、では少しずつこのクセをなくしていこうと考えているのが今です。


ただ最近、人に振り回されている自分が辛いようで本当は楽で、そのままでいたいのでは?自らその思考を選択しているのでは?と自分を疑い始めています。

振り回されること、自己肯定感が低いことをアイデンティティにしてしまっているような気がしてなりません。自己肯定感が低いけど頑張っている、とか辛いけど前を向こうと努力している、とどこか免罪符のようにしてしまっていないか…?と思うのです。

どうしてこう思うのか考えた時に、思いついた理由は2つ。

ひとつは、変わったあとの私が正ならば、今までの自分が間違っていたとなってしまい、過去/今の私が虚しすぎるよ…と思っている可能性が高いです。なんやかんや自分が大好きなのだと思います。

ふたつめは、変わった前向きさを手に入れたとき、私に何が残るのだろうという不安です。今のように生きることについて悶々と考えたり、答えがないことに向き合い続けたりすることをやめてしまうのではないか、それは私がのぞむ私の姿なんだろうか、と。





今書いていて思いましたが、私は劇的な変身でもするつもりなんですかね…?笑

一応人間ですし、点ではなく線の変化なはずなので、何もかもつながっているはずですよね。

ひとつめの「過去の私が虚しすぎる問題」については、私がよりよいと思える私になれたのであれば、それはこれまでの後ろ向きな自分が積み上げてくれたもののおかげもあるはずだと思おう。悲劇のヒロイン気取りの自分もきっと無駄ではないでしょう。

ふたつめの「考え続ける自分を失う怖さ」については、そもそもなりたい自分の要素として「考え続ける人間であること」をきちんと含めればよいはず。それもまた自分の選択次第ですね。

どうやら私は、すべては自分の選択次第だということを忘れがちなようなので、要注意です。

人間は変化を恐れる生き物とよく言いますが、本当ですね。まさに体験中です。でも、「変わりたい」と「変わるのが怖い」の間で揺れるとき、怖いと思う理由、変化しないメリット/デメリットを整理すると冷静になれるように思います。結果的に変わらなくてよくない?と思うなら、それはそれですっきりするはずです。

ただ、不安だけを言い訳に思考停止するのはだめだぞ、私よ。





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