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相手と向き合える自分

ここ最近、気になることがある。
少し前から体調不良で自宅安静となった私は、暇を持て余していた事もあり、今まで興味の無かった他人のSNSをよく眺めるようになった。
喜怒哀楽を表現したその文章は『なるほど〜』とか『納得!』といった理解に繋がるものとは程遠く、単に投稿者の“決めつけ”や“思い込み”によるものという感覚を覚えた。

恐らく、理解出来ない他人の言動を投稿する事により共感を集めては自己肯定感を保っているのではないだろうかと考える。
または行き場の無い感情を発散させるためのツールとして活用しているのかもしれない。
いずれにせよ、他人の私からしたら気持ちが良い内容ではないが、一部の世論として学びになるなぁとも思う。

例えば、日常的に私の私生活や行動を否定してくる他人はいないが、SNSの中では私と同じ行動や似た生活を送っている人間を否定する側の人たちがいる。
普段、私が気にならないような出来事であっても、斜めの角度で見ている人たちからすると気になって仕方がないのだ。
個人の見解としては、きっと人間は立場や生活環境によって考え方は違うだろうし、環境が変われば思考は変化するだろう。
今は否定派であっても数年後には肯定派になる場合もあると考える。

私が出した結論は“決めつけ”や“思い込み”があるというのは、“経験値が足りない人間が出した答え”のような気がしている。
人にはそれぞれの人生がある。
1つとして同じではない人生なのだとすると他人の立場になるなんてのは不可能だ。
だが、他人に歩み寄る事は誰だって出来るのではないだろうか?
他人を知った気になり否定するのではなく、しっかり“他人と向き合える自分”でありたいと思うのであった。

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