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愛しさに触れて。

2024年も早いものであっという間に2月の中旬を迎えた。
『あけましておめでとう』なんていうお決まりの挨拶を幾度となく繰り返していた時期が記憶に新しい。
昨年末、とある地域のコミニティで忘年会が開催された。
その一幕で1年を締めくくる漢字を1人ずつ発表することとなった。
参加者が各々の漢字を発表する中、私も1年を振り返ってみた。
昨年はどんな1年だっただろうか。
美味しいご飯とお酒を酌み交わしながら、記憶を呼び戻す作業を続けた。

昨年は職場の先輩が入院をし業務をフォローしたり、上司の休みが続いたりもあり公私ともに目まぐるしい日々を送っていた。
そんな私が選んだ2023年の漢字1文字は『死』であった。
理由は至ってシンプルだった。
昨年は私の身近な人間が度重なるように息を引き取った。
幼い頃、よくお小遣いをくれた親戚の叔母さん。
庭に私専用のお手製バスケットゴールを設置してくれた祖父。
初めてのミュージカルを一緒に鑑賞してくれた会社の先輩。
亡くなる前日までともに働いた優しい職場の同僚。
私の人生に関わってくれた4人もの人間を半年の間に失ったのだった。

叔母さんと祖父は年齢的なこともあり覚悟をしていたが、会社の先輩と同僚は私と然程年齢差がなく突然の出来事であった。
今までも人の死は目の当たりにしてきたが、その1年は異様だった。
今思えば、時間に追われる生活の中でどこか機械的な毎日を送っていた私に人生を見つめ直すきっかけをくれたような気がしている。
この『死』という衝撃がそれから暫く私に取り憑いていた。

年が明け、新しい1年を迎えたわけだが、まだ頭の中にそれは残っていた。
時とともにその感覚は薄れてきてはいるものの、命について深く関心を持つようになっていた。
身の回りの命を感じ、心が揺れる。
相手の寿命が私よりも短い存在なら尚更だ。
父方の祖父母はまだ健在ではあるが、医療に頼りながら生き延びているのが現状である。
今更ながらその現実を受け止めた私は、実家に顔を出す時は祖父母へ差し入れを持っていくようになった。
そして、そんな存在は人間だけではなかった。
今この空間で私に癒しをくれている存在の猫たちも同様に、その生涯は短い。
唯一自らの意思で家族に迎え入れたこの子を精一杯幸せにしたいし、少しでも長く傍に居たいと私は強く願っている。
この小さな命の温もり、このかけがえのない感情はなんだろうかと時々不思議な感覚にもなる。
そんな嬉しさと寂しさと切なさが織り混ざり、私はそっと“愛しさに触れて”いるのであった。

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