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友達ってなんぞや

私が最近知り合ったA子は、まるで入社試験で面接官に話をするように自分の価値を事細かに説明してくる。初めて会った時からずっとそうだ。私はこんなことが出来るとか、あんなことが出来るとか。こんな資格を持っている、とか。

会話の流れでこちらから聞いたわけでもない、私にとってはさほど興味もない彼女の価値の数々を、ことある毎に繰り返し聞かされて続けていると、いつの間にか言葉がスルスルッと脳みそをすり抜けるようになり、仕舞いには相槌を打つタイミングさえ分からなくなる。

そもそも私は相手の雰囲気や話し方、立ち振る舞いの方に興味があって、TOEICやDELFのレベルを聞きいたとて。。。私に何をどないせぃっちゅーねん。英語やフランス語で話しかけて欲しいんか?!

やたらカタカナだったり横文字をズラズラと並べ立てた、よく意味の分からないマニアックな資格の説明をつらつらとされたとて。。。ふーん、すごいね、としか返せない。

とにかく、一方的に押し付け気味に言われても困るのだ。

いや、聞くよ。A子は悪い子じゃないし、話したいことがあるなら聞くよ。聞くけどさ、彼女の話にはリアクションがし辛いのよ。

SNSが流行り出してから、承認欲求と言う言葉をよく耳にするようになった。もしかして、私が今ウザいと思っているA子のグイグイと押し攻めてくるこの自分アピールも、承認欲求と同じ精神構造があるのかもしれない。

みんなに認められたい。社会に認められたい。そして、目の前にいるあなたに認められたい?!ってことか?

でも認めるって何?私が認めて、それでどうなるのか?

私はA子の面接官でも上司でも何でもない、ただの知り合い。数回しか会ったことのないそんな彼女と私が話したいのは、日常の出来事だったり、共感したいと思ってることだったり。他愛もない世間話。

そこから共通の話題だったり興味深い話だったりを通してコミュニケーションを取り合い、また聞きたい話したい、もっと聞きたい話したいという思いを繰り返して友達になっていくのが理想だ。

なのに残念ながら、どれだけ頑張って彼女の話を聞いても共感するポイントは見つからないし興味も湧かない。

ごめんA子。私にはあなたの話を聞く資格も価値もないのかもしれない。

でもA子は言った。知り合って二、三回目の時、初めて二人だけで話をした時に、「ミアシバさんみたいな友達が欲しいと思っていたの」って。

私はどちらかというと引きこもりがちで、一人でチマチマと手作業をする時間が心地いいと感じている。買い物も誰かと一緒に行くより一人でじっくりと好きなものを吟味したい。

そして友達は少ない方だ。

実は中学の頃までは、知り合い=友達だった。

ある日クラスでいじめが発覚した時に担任の教師が独断で個人面談を決行し、一人一人に「あなたの友達は誰ですか?」という聞き取り調査をしたことがあった。

正直、当時十三歳だった私は、なんて馬鹿な質問をするのだと思った。なぜならその時の私にとって、クラスメートはみんな友達だと思っていたから。

座席が隣近所だったり、登下校の時間や方向が同じだったり、部活仲間だったり、トイレの手洗い場で隣に立っていたり、一日の要所要所で近くにいて話をする人は全員友達なんだと思っていた。だから堂々と、「みんな友達です」と答えた。

でも後で聞くと、他の子は個人名をいくつか出して答えていたそうだ。「○○さんと△△さんと××さんが友達です」と。

それを聞いてから辺りをよく見まわしてみると、確かに数人づつのグループが出来ていて仲良しオーラを放っている。そしてその時から私の中の友達という概念が少しづつ変化していった。

それまでは近くにいる子たちが集まって話しているのだと思っていたそのグループの輪にうっすらとした境界線みたいなものが見えるようになった。すると、その中に割って入ることが躊躇されるようになり、疎外感のような微妙な感情が湧きだしてくるようになる。

そして段々と、自分から声を掛けたり話に割って入ることが出来なくなり、話しかけてくる子だけと話すようになる。もしかしたらお邪魔虫だと思われているのかもしれない、と考えるようになったからだ。

以来、私にはほんの数人の友達しかいない。

結婚をして海外で暮らしている今も私には友達が少ない。

昔からの友達は離れたところに住んでいるのでなかなか会えないけれど、やりとりは続いているし数年に一度の割合で会ったりもする。

近くにいる友達とはたまにお茶をしたり出かけたり、しょっちゅう会うわけではないけれど他愛もない話で何時間でも過ごせる。

そんな他愛もない会話から、相手がどんなことが得意で何が出来て何が苦手なのかを知り、興味が湧き、自然な相槌やリアクションが無理なく飛び出すようになる。

今まで生きてきた中で、色々と意図せぬ言動で知らぬ間に相手を傷つけたり、やらかしてしまって去って行く友達もいた。そんな私の過去の失敗の数々を、非難もせず根にも持たずにずっと友達でいてくれる人は宝物だ。

逆に新しく知り合って仲良くなる友達もいて、少ないながらもいつも一定の数の友達に囲まれている私ってめっちゃ幸せなんちゃう?って思ったりすることもある。

果たして、A子の抱いている友達像と私の考える友達は同じなのだろうか?


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